6話. 希望と絶望と。
絹を裂くような悲鳴と言うのを、初めて耳にしたかも知れない。
思っていたよりも素早くオークを倒したらしいレニアが、涙を流しながらこちらに走ってくるのを視界に捉えながら、俺はデコボコの地面に背中を摩り下ろされつつ彼女の方へ移動している。
不意に現れたもう一体のオークの蹴りが俺の胴体に炸裂し、血反吐をぶちまけながら4、5メートルほど吹き飛ばされた形になる。
血の滲む視界を向けると、蹴りをくれたオークはゆっくりと此方に足を向けた所だった。
なんだってアッチコッチぶっ飛ばされなきゃいけないんだよチクショウ‥‥。
頭は痛むし手足も痺れている。
それでも起き上がろうと動けたのは、レニアの姿が目に入ったからだ。
震える手でアイテムボックスからハイポーションを取り出し、痛む喉を使って何とか飲み干す。一気に回復に向かうのを感じながら、左腕に突き立ったままの石斧を無理やり引き抜いた。
レニアがまた悲鳴を上げているが、それどころじゃない。
「レ、レニ‥‥、後ろ‥‥!!」
痙攣する内臓を押しつぶす勢いで発したハズの声は掠れ果てていたが、俺の目線から意図を察したレニアは振り返りざまに剣を振り抜いた。
金属同士の弾ける音が響く中、震える足を叩いて立ち上がる。
目と鼻の先には蹴りをくれたオークがいたが、立ち上がった俺を警戒しているのか足は止まっている。
腰に佩いた剣を抜き、オークと対峙、牽制するために思い切り睨みつけた。
剣を構えながらじりじりと後退すると、俺の背中にレニアから声が掛かった。
「ヨウイチ‥‥、良かった、無事なんだね」
振り向く余裕はないから顔は見えないけど、涙声から心配してくれていた事が分かる。
くそオークめ、レニアたんを泣かせやがって‥‥。
なんて思いながらレニアに返事をしつつオークについて電脳魔書で調べつつ使えそうで、なおかつ今の俺でも取得できるスキルを探す。
鼻が良くて鈍重、小回りが利かなくて炎にも弱いらしいが、弱点が分かった程度の俺じゃ明らかに戦力不足で彼女の足手まといにしかならない。何か起死回生の一手となるスキルを見つけなければならない。
悔しいけど、それが現実だ。
「レニア、俺がアイツを抑えてる間にそっちのオーク倒せるか?」
先刻の遣り取りだけで全力でぶつかっても5分もてば良い方だと分かるが、もしその5分で1体のオークを倒すことが出来れば最後の1体にも勝てるハズだ。
じわじわと俺たちに詰め寄る2体のオークに意識を向けながらレニアに背中を預ける形で警戒する俺に、彼女は厳しい現実を突きつけてきた。
「多分厳しい。いや、倒すことは出来るけど時間がかかり過ぎるんだ‥‥」
「‥‥さっきのオークみたいにはいかないって事か?」
つい今しがた倒したオークは、俺たちを挟む形で立っている2体とは違い、通常の個体らしい。
しかし、この2体は死んだ仲間を食べたからか通常よりも強い個体に進化しているそうだ。
言われてみれば確かに、黄緑色の肌は若干暗く濁っているし、両肩から突き出した角のような物も通常の個体には無かったものだ。
もっと言えば体格も一回り近く大きくなっている様に見える。
このままじゃ2人そろって殺される。だからと言って2体を一手に引き受ける様な真似をすれば確実に片方は死ぬ。
そう考えると、俺がいったん2体を引き付けて、その間に森に詳しいレニアが街道へと走れば可能性は有るんじゃないだろうか?
どちらの体が震えているのかすらもう分からないが、どうにか生き残る道を探す俺たちに向けて、オークの進化個体は一歩ずつ足を進めだした。
――――――――――
オークは俺たちを追い詰めながらも油断はしていない様子だ。
突っ込んでくる事をせず、獲物を狙う鮫の様にゆっくりと俺たちの周りを回りながら、時々手にした無骨な石斧で切り付けてくる。
馴れない剣での防御で何とか攻撃を往なしつつ、必死に電脳魔書のスキル取得方法に目を通す。
何か無いかと目を血走らせていると、先ほど調べたオークの弱点に合致するスキルが目に留まった。
[速度上昇]、攻撃・移動速度が若干上がるスキルだ。
今のスキルポイントは50で、[速度上昇]の取得には40必要になる。
[速度上昇]を取得してしまえば、残りの10ポイントで取れるスキルに使えそうなものは見当たらない。
迷っている時間が惜しい。とにかくやれるだけやって、レニアだけでも無事に逃がすんだ!
心を決めて[速度上昇]を取得し、時間を稼ぐ事をレニアに伝えてオークに躍りかかった。
背中からレニアの声が届くが「何とかするからソッチを頼む!!」とだけ答えて目の前のオークに集中する。
どれだけかかっても良い。レニアの負担が大きいのだけが気に食わないけど、2人で町に戻る為にはこれくらいしか思いつかないんだ。
歯を食いしばって、突撃した。
剣術を覚える条件はとにかく剣を使って戦う事らしい。
スキルポイントはそういった手間を省く事が本来の役割みたいで、頑張れば戦いの中で成長する事が分かった。
なら、今の俺に出来る事も決まってくる。
[速度上昇]で敵を翻弄しつつ、剣を振るって攻防を重ね、スキルを取得すれば良い。
実際の動作に加えて思考速度も若干ながら上昇しているらしく、アドレナリン垂れ流しの冴え渡った頭で攻撃を繰り返す。
弱点通りの鈍重な動きを繰り返すオークを翻弄し、段々と敵にダメージを蓄積させていく。
時々視界に入り込むレニアとオークの戦いは一進一退で、僅かにレニアが圧してはいるものの、彼女の顔には疲労が色濃く表れている。
決定打を持たない俺ではとどめを刺す事は出来ないが、レニアを信じてただ剣を振った。
30分ほど剣を振り続けて、そろそろ腕が千切れるんじゃないかと思った所で[初級剣術]を取得することが出来た。
死ぬほど疲れてはいるが、今までよりも格段に剣の扱いに無駄がなくなり、今までよりも効果的にオークを攻め立てる事が出来るようになった。
苛立ち紛れに振り回された斧を回避していると、後ろからオークの断末魔が聞こえた。
回り込みながら視線をやると、ついにレニアが敵を倒してくれたようだ。
折り重なるように倒れ伏した2体のオークに、少し心が軽くなった。
「今行くぞ、ヨウイチ!」
返り血塗れのおどろおどろしい状態のレニアだけど、俺の目にはまさしく女神に映った。
このまま最後の1体を協力して倒す事が出来れば、時間はかかるけど町に戻って休もう。
ギルドに報告するのなんて、2人で疲れをいやした後で良い。
それくらいの我儘は許してもらえるハズだ。
ポーションを口に含んで駆けつけてくれたレニアと、最後のオークに切り付ける。
5分ほど経った頃だろうか、全身の至る所から血を噴き出したヤツは、重低音を伴って地面に沈んだ。
勝ったんだ!!
全身から力が抜けて、ヘナヘナと座り込む俺を、レニアが優しく抱き留めてくれた。
お互い血みどろのよれよれだけど、この瞬間の達成感は一入だった。
アイテムボックスからポーションを2つ取り出し、それぞれ喉を潤す様に飲み下しながらどうするかを話し合った。
取り合えず体力の回復を待って死体の内部に生成されていれば魔石を採取、オークの討伐証明である右手の親指、進化個体の捻じ曲がった肩角を取って移動する事に決めてから、傾き出した日に照らされながら少しだけ休んだ。
本当ならさっさと移動するべきなんだろうけど、ポーションでも回復しきれない全身の疲労が俺たちを地面に縫い付けていた。
大きく育った木に背中を預け、肩を寄せ合うと、どちらからともなく手を繋いだ。
「すごいな‥‥ヨウイチは」
「どした?藪から棒に」
「絶対助からないと思ってた‥‥。アタシが囮になってもヨウイチじゃ森から出る前に捕まるだろうし、逆だと囮にもならないと思ったから‥‥」
oh,,,言ってくれるじゃないのマイハニー。
なんて、同じ事を考えて、同じ結論に至っていた事が嬉しくて、握る手に力を籠める。
「確かにまだまだ弱いけど、すぐに追いついてレニアと肩を並べられるようになってみせる」
ちょっと気取り過ぎな気もしたけど、レニアは微笑んで「戦いの最中に急に強くなれたんだ、ヨウイチならアタシよりも強くなれるよ」と言ってくれた。
見つめ合い、指を絡ませ、お互いがお互いを求めあう形で顔を近づけた。
唇が触れ合う直前に目を閉じ、血の気の引いた顔を一点に向ける。
大音量の咆哮が、夕暮れの迫る森に響き渡っていた。
――――――――――
レニアが倒したハズのオークが、先ほどまで倒れていた場所に1体、身に着けていた何かの動物の毛皮や、人間から奪って身に着けていたものと思われる鎧屑を弾けさせて佇んでいる。
開いた口からは白い湯気が立ち上り、血走った目は俺たちを貫かんばかりの勢いで睨みつけている。
隣からは今にも壊れそうな小さな掠れ声で「そんな‥‥」と呟くレニアが居た。
真っ青な顔で体は震えている。
それはそうだろう。殺し切ったはずの敵が立ち上がり、此方を睨みつけているのだ。
俺が1人だったら、まず間違いなく諦めて四肢を大地に投げ出していたところだ。
っていうか、もう疲労困憊で動きたくないのに、なんだってこんな事になるんだ。
恐怖と疲労で震える足を叩き、ゆっくりと立ち上がってレニアの前に移動する。
ここまでの戦いでレニアは満身創痍だ。
1人で2体のオークを倒し、その上もう1体、協力したとはいえずっと戦ってくれていたのだ。
例え心が折れたとしても、レニアを責める事は出来ない。
そう思いながら剣を構える俺の後ろで、呻きながら立ち上がるレニアの声が聞こえる。
泣きそうな声で俺に逃げろと言う彼女に、首を振り、気力を振り絞ってオークを見据える。
尋常じゃないくらいに隆起した筋肉は凶悪で、全身に浮いた血管はまだ遠いここから見てもう蠢く様に脈打っているのが分かる。
弾け飛んだ毛皮と鎧すら踏みしめる全裸のオークは大蛇の様な一物をぶら下げ、見るだけで足が竦む様な鋭い角を肩から突き出させていた。
「おうおう、ド変態裸族が見せびらかしてくれやがって‥‥」
頑なに一緒に戦おうとするレニアに作戦を伝えた俺は、スキル[速度上昇]を発動させる。
速度を生かして翻弄し、その間にレニアが不意を打つ作戦だ。
お互いボロボロだけど、今度こそこれが最後の戦いになる。
一丁、気合入れて行こうか。
空気を吸い込み息を止め、スキルの力で全身を駆動。
オークめがけて飛び込んだ俺の目に映ったのは、暗い黄緑色をしたとんでもないデカさの握りこぶしだった。
咄嗟に腕をクロスさせて防御姿勢に移る事は出来たけどただそれだけ。
今までに経験したことの無い途轍もない衝撃に、何が起きたのか分からないまま吹き飛ばされた俺は、先ほどまで背を預けていた木に受け止められながら、苦い苦い絶望を噛み締めた。
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相変わらずの二転三転でお恥ずかしい限りですが、第一部終了までの目途が立ったので、次話以降1日1話更新でオマケの19.5話まで更新します。
お楽しみいただけると嬉しいです(*´ω`)