ほんものの、ヒーロー
男が、ミズキを直視する。ミズキは顔を逸らそうとしたが、男の四白眼に釘付けとなったように体は動かなかった。
「お前を助けたせいで、マツリの奴は死にかけだ」
ミズキの記憶にある会話がリフレインする。
あのとき。会話を盗み聞きしたとき。この人と誰か他の人が言い合っていた。この人に、「あの化け物のせいでマツリが死んだ」と誰かが言った。この人は、それに反論した。したんだ。していたんだ。俺をかばってたんだ。なら、どうして、今。
そんな目で、俺を見るんだ。責めるような目をしているんだ。
やめてくれよ。俺は、俺は。そんなこと甘すぎるって分かってたのに、あなたがかばってくれたとき、うれしかったんだ。
そうか、考えてみれば簡単なことだ。この人はあのとききっと冷静じゃなかった。時間がたって、揉めてた向こうの方が正しいことを言っているって気がついたんだ。
だってその通りだ。俺のせいだ。俺のせいでピンクのステッカーのあの人は、マツリさんは。この人とも親しかったんだろう人は、死ぬかもしれないんだ。
ミズキの足下がふらついた。須藤が、ぴりぴりしたものを含ませて男と向き合う。
「そんなこと、言う必要があるんですか」
「あるさ。あいつはオレの妹なんだから」
ミズキの意識が遠のきそうになる。
あああ、そうか、そうだったんだ。この人がこんなにもむき出しの怒りをぶつけてくるのも無理はない。俺はやっちゃいけないことをやった。やってしまったんだ。
「おめえらだってマツリに世話んなったことがあんだろーがよ、……本当はお守りなんてしたかねえんじゃねえか」
ガツン! と重金属同士がぶつかったような音が部屋中に響いた。誰も金属製の物品は持ち歩いていないにもかかわらず。ただ、須藤の額には青筋が浮かんでいた。
「それ以上僕たちのやることに口を挟むようなら、しばらく口を開けられないように塞いでしまってもいいんですよ、こちらとしては」
「ふん、坊ちゃんのクセによくもまあ。ンな口上がすらすら飛び出て来るもんだな、ふん、そんなら今日は帰ってやる。今日はな」
男は背を向け、その場から立ち去った。男が出て行った後、衣笠は大股で扉に近づくと、乱暴にロックをかけた。
雰囲気が重くなった。どんよりとした空気が目に見えるようだった。
「俺のせいだ」
ミズキのその言葉に、衣笠が顔を上げた。
「それは違う。君は一方的に被害を受けた。今回のことは不幸な事故なんだ」
「でも。あの人がマツリさんの兄だと言うなら、俺は責められたって仕方がない、と思います」
須藤も衣笠も、なにも言えなかった。
ミズキが、ぽつりと聞いた。
「マツリさんは、そんなに悪いんですか」
容態のことだった。察した二人は顔を見合わせる。言いたくはなさそうだった。
ミズキは構わず、無言で答えを要求するように二人を見つめた。観念して、衣笠は「ああ」と答えた。
「時間停止室も念動の再補給の目処は立ってない、このままだと、継続して使えるのは一ヶ月というところだ。それまでに薬を完成させようと開発室が動いてる」
「間に合いそうなんですか」
「一ヶ月後までに、ぎりぎりだ、ということだ」
間に合わないかもわからない、という意が、含まれているようだった。
ミズキは床を見た。灰色の殺風景な部屋だ、床も天井も壁も灰一色の、無骨な部屋だ。
力を身につけること、それだけがこの部屋の存在意義だ。
だとしたら、やるべきことはただ一つだ。ミズキは高校生二人を交互に見た。
「俺が」
二人が、ミズキの目を見た。視線にさらされ、言葉が止まりそうになる。ミズキは、息を吸ってから続けた。
「俺が無意識のうちにウイルスを操って毒を弱めることができたのなら、俺がふつうに生活しても問題ないぐらい弱めることが可能だというなら、……治すことだって出来るかもしれない」
空気が張りつめた。ミズキは気圧されそうになるも、なお言い続けた。
「というよりも、あなたたちは初めからそのつもりだったんじゃないですか?」
二人の表情が分かりやすく、うろたえるような表情に変わる。
「でなきゃ、初対面の俺にこんな親切にしてくれる理由が分かりません。あの男の人に対する態度だって、兄弟が危ないんだから俺はああ言われて当然だ。それなのに関わるなと言ったり、隠してることがなきゃ不自然だ。それに、その、マツリって人はあなたたちにとっても大切な人だったんでしょう」
あのお兄さんの受け売りだけど、俺はそう思う。
ミズキの言及に衣笠は申し訳なさそうにしている。
「確かに、そういう目的ではあった。あったが」
「そうですか。分かりました。これからもよろしくお願いします」
ミズキはさっさと頭を下げた。衣笠が驚いたようで、ミズキをまじまじと見ている。
「君は、いや、すまない。しかし、それでいいのか」
ミズキは、そうするのが自然である、と確かに信じていた。
「いいも悪いも、俺を助けてくれた人が死にそうだって言うのなら。俺が救う手だてを持っているって言うのなら。やることは一つですから」
ミズキは自分の役目であると、受け入れた。二人は、ミズキに頭を下げた。
ああ、俺はこれでやっとほんもののヒーローになれる。
ミズキはそれを言わない。自分の中にある子供じみた感傷ががこうさせたのだとは、とてもじゃないがさらせなかった。
その日は、ここで解散することになった。
二人に連れ添ってもらい隔離棟まで帰ってきたミズキは、だんまりを決め込んだまま部屋の中に入っていった。去り際にちょっと礼をして、二人もそれに返した。
部屋の敷居をまたぎ、扉を閉める。すると、ミズキの脳にしびれるような痛みが走る。以前にも経験したものだ。ただの頭痛ではない、ミズキの頭に音が入ってくる。
「あれじゃあ、強制したようなものですよ」
「彼が言い出さなくても私から切り出した、どのみちこうするつもりだったんだ」
聞こえる。あの二人の声だ。これも、念動ってものの力なんだろうか?
ミズキは気味が悪いと自分でも思う。とはいえ、盗み聞きするのはやめなかった。というよりも、使い方が分からないのでやめようがなかった。
「そうするつもりではありましたが、彼はまだ中学生なんですよ、……本来なら、こんなことに巻き込まれるはずもなかった。これはただの勘ですが、以前の彼には適性がなかったように思えます、あんな目に遭うことがなければ、一生こちら側とは縁がなかったはずだ。それなのに、自分の世話どころか、他人のことまで背負わせるなんて、いいやり口とは思えません」
「だから、余計な気を使わなくてもいいようにってお前が言い出したんだろう。せめて学生の自分たちが面倒を見るべきだと」
ミズキは、聞きながら口を開けていた。悪くなっていた印象が、再び正の方向に傾き始める。
「それはそうですが」
「年が近ければ、少しでも違うかもしれない。一緒にいて、分かってやれるかもしれない。負担をいくらかでも背負ってやれるかもしれない。それを言ったのはお前だ」
「一も二もなく賛同したのはあなたですね」
須藤の声が、ワントーン落ちる。
「でも、それには彼が心を開いてくれなければ」
言ってから、すぐに「いや、それは違う」と自分で言い直す。
「僕たちが、歩み寄るべきですよね」
「そりゃそうだ。分かってるじゃないか」
「ですよね。もう、番匠さんが余計な八つ当たりをするから頭がごっちゃになってしまいました。あの人も、気持ちは分かりますけどいい大人なんだからあんな言い方はないでしょう」
「言うなよ。カイジュさんは当事者なんだぞ」
「まあ、そうなんですけど」
足音が、そこでいったん止まった。
「衣笠さん、どうしました?」
「須藤、ちょっと止まってくれ」
「ええ、それはいいですけど」
息を吸う音が聞こえた。
「そうだ、今言ったとおり、私たちの他の職員は君のことをどう考えているか分からない」
ミズキの心臓が止まりそうになった。明らかに、この盗聴を看過していた。
「だが、少なくとも私たちは君の味方でいたいと思っている。信じてほしい。厚かましく聞こえるだろうが、私は本心からそう思っている」
耳元に囁くような小さな声。ミズキの耳にはきちんと届いていた。
「衣笠さん?」
「ん、なんでもない。私は鞄をとりに戻るよ。お前は?」
「僕は手ぶらで来たのでそのまま戻りますよ」
「そうか」
足音が遠ざかっていく。
今のは、間違いない。分かっていたんだ。俺が聞いているって、分かってたんだ。
ミズキの涙腺を刺激するものがあった。涙がひとしずくこぼれる。なぜ泣いているのか、ミズキには判然としなかった。
ただ、真っ暗闇の中歩いている道に一筋の光が差したら、こんな気分になるんだろう。それをミズキは実感していた。