異世界―悪夢―
「此方はバルテノア守護騎士団団長のベリエル、隣が団長補佐のマークスです。この二人にはホクトー様の運動能力と武器の扱いを向上させるためにトレーニングを担当してもらいます」
「ほっほほ、やはり異世界の者は貧相な身体じゃな」
「よろしく御願いするね。ミスターホクトウ」
「こちらこそ、よろしくお願いします……」
俺こと北桐荒祢は今、筋肉に囲まれている。
訳が分からない。
数十センチほど近く、俺を囲むようにして立つ二人の男。
値踏みするようにジロジロと顔を動かし、近付いてくる二人の男。
ベリエルと呼ばれた方の爺さんが、分厚い胸筋をピクピクと震わせている。
枯れた肌はオーク色、その身長は二メートルをゆうに超えており、腕の筋肉は丸太のようで、足の筋肉も丸太の如く、首も丸太みたいに太く、胸板はまるで巨木を切り倒した丸太の化身だ。
巨木の様な見た目通りの厳つい顔からは老人らしさを感じない。
老人らしさが感じられるのは灰色に白髪の混じった長い髪と髭ぐらいだろう。
俺は知っている。これはオーガというモンスターに違いな「一応人間ですよ」
エーヴィンさんがそう言うと、爺さんが物凄い形相で俺と彼女に交互に見た後、俺にターゲットを絞った。なんでだ。
ちなみにマークスさんの方は、筋肉も普通盛りで肌は日焼けで少し赤みがかった肌色。
しかし、何故かバケツ頭。
グレートヘルムというものか、金属製のそれに空いているのは目元を横に伸びる小さな穴だけ。見上げてもそこからは闇しか覗くことが出来ず、髪も目も見えないからどんな人物なのか判断しづらい。
挨拶とはいえ取らないのは恥ずかしがりやなのか、取れない事情でもあるのか。
そして、爺さんとお揃いなのか、短パン一枚で上半身は何も着ていないので不審者にしか見えない。
そんな二人からは鍛錬と称した行程についての具体的な話や諸注意を聞かされる。
のだが
いかんせん、全然頭の中に入ってこない。
そもそも、何故俺がこんなものを受けねばならないのだ。子作りのための身体作りとか馬鹿げているだろう。
というか、上半身裸で下半身がピチピチの短パンな二人の恰好はどうしてなのか。
気になるんだが、聞いたら色々駄目な気もする。
騎士だと言うから鎧でも着てるかと思ってたが、この感じだとこれが通常通りの服装かもしれない。
正直目に毒というよりもこの状況に吐き気を感じ始め、目の保養を求めていく視線を彷徨わせるとエーヴィンさんが目に留まった。
真面目そうな雰囲気をまとっている彼女は、最初にチラリと見た女性達に負けておらず、綺麗な顔の作りをしている。切れ長の目と無表情なところが冷たさを感じさせ、可愛いというよりは美しい系だろうか。
肩の辺りで切り揃えられた黒髪にイヌ科のような獣耳は同化し、手入れもちゃんとしているのだろうか。光沢があり、風にサラサラと靡いている。それが白の割合の大きいメイド服によく映えた。
発育は……俺と同じぐらいとだけ言っておこう。身長は俺の方が上だが、獣耳を含むと追い抜かれるほどには背が高い。女性としては高身長な部類だろう。
更にさらにと、分析を続けると視線に気づいたのか、失礼しますと頭を下げて去っていった。
「小僧、どこを見ておる。……初日だから軽いものにしてやろうと思ったが、その余裕だと必要もないようだのう」
オアシスの無くなったそこに残ったのは、むさ苦しい男二人という残酷な現実だった。
▼▼▼▼▼
「まずは限界を見せてみよ」
「は、はい」
「取り敢えず腕立てから始めようか。自分のペースで良いから頑張ってね」
二人からそう促され、腕立てをする。
一、二、三、四、五……
……にじゅうなな、にじゅうはぁち…、にじ、き、きゅ、きゅ…
「も、もう無理です」
三十回を超えそうだったが、限界が先に来てしまった。
プルプルと震える腕に汗がだらだらと垂れる。
部活を引退してから随分経ってるからか、体力がかなり衰えているようだ。自分でもこれほど衰えているとは思っていなかった。これだと体重も増えてるかもなぁ……、まぁダイエットにもなりそうだし、ちょうどいいか。
目に入る汗を拭う、良い仕事をしたものだ。
……
……………?
もう無理だと言ったのだが、二人からの返事はなく、思わず顔を上げる。
二人に反応は見られない。
ただ、その場から俺を見下ろしているだけだ。
聞こえなかっただろうか。
「もう、無理なんですけど!」
大きな声でもう一回言うが、やはり反応はない。
耳が遠いのか、理由は自ずと分かる。バケツと老人だからだろう。後者は仕方ないのかもしれないが、前者は外すなり何なりとしてほしいものだ。
やれやれと呆れながらもう一度
「あの! 無「自分のペースで、良いから」」
バケツの向こうから笑顔が見えそうな声が被せられる。
笑顔ではあるが、目は笑ってないようなそんな冷たさを感じる声。
「いや、「十秒ぐらいの休憩は、自由にしても良いからね」」
「あの「動けなくなるまで、頑張ろう」」
「…はい」
「よし! じゃあ休憩もたくさんしたし、続きをやろうか」
この世界にまともな人間はいない。
そして俺は文字通り限界まで腕立てをして、意識が遠退いていくのをうっすらと感じながら大地に熱いキスをした。
ファーストキスは汗の染み込んだ土の味だった。
▼▼▼▼▼
「という夢を見たんですけど面白くないですか?」
「いえ、全く」
「あっ、はい」
本当に変な夢を見た。
筋肉お化けと鬼畜バケツに攻め続けられながら、腕がピクリともしなくなるまで腕立てするなんて聞いたこともない。
夢のせいか全く腕が動かないし、本当変な夢だ。
色んなことがあって疲れているのかもしれない。そりゃ異世界だなんて言われたら精神的に参るのも無理はない。どうせなら全て夢だったら良かったのに。
「【彼の者を癒したまえ:ヒーリング】 筋肉痛と疲労はこれで多少取れたと思います。朝食をどうぞ」
不思議と軽くなった身体を動かし、目の前にあるサンドイッチらしきものに手を伸ばす。
二度目の目覚めは、異世界初の食事と一緒だ。
思い返してみれば昨日は衝撃の連続で、全く食欲も湧かなかったが流石に一日も空けたらお腹がペコペコである。
タワーのように積まれたサンドイッチの天辺を慎重に取り、口に頬張る。
ぬちゃぬちゃとしたパンにねばねばな中身、鉄みたいな味に芳香剤の中身を直接かいだようなきつい匂いがじわじわと口の中で広がっていき
………
「おげぇえええ!! ごふっ! ごふっ!」
口の中で戦争が起きた。
鍬や鎌を持った農民風な我が陣営。
それに対するのは侵略者。獣耳風な兜を着けたもの達が、戦闘機で爆撃し農民たちを焼き尽くすようなイメージが見える。
いや、もう形容出来るものではない。
「久々に料理をしてみたのですが、口に合いましたか?」
目の前の女が恐ろしいことを口にする。
これはお前が精製したのか、とんでもない奴だ。
「ぐっ、ぐぜぇ、癖が、あり、ますね…、でも、割りど、好きで、ですょ…」
貼り付けた笑顔もじきに剥がれ落ちる、水でも飲んで口内の地獄を洗い流してやらなければ。
タワーの近くにポツリと置かれたグラスを掴むと勢いよく流し込
「ぶふっ!? ……ぁぁああがぁぁぁあああ!! の゛と゛の゛と゛お゛お゛お゛!!」
喉が焼ける。
焼けた地を癒す恵みの雨かと思いきや、まさかの火山噴火、火砕流。
不味いとか吐くとかいう次元ではない。
「昨日たくさん汗をかいていたようでしたので、塩を入れたのですが、加減を間違えましたようですね。申し訳ありません」
「ぁ゛ぁ゛あ゛みじゅ! みじを゛く゛れ゛え!!」
「分かりました」
叫び、大きく開けていた口に手を宛がわれ、【ウォータ】と告げられる。
この最悪な朝食で覚えている最後の光景である。
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「……とかいう夢を見たんですけど、笑えますよね、へへっ、へへへへ」
「…誠に申し訳ありませんでした。不出来な料理を出してしまったことをお許しください」
「いや、夢の話ですよ、夢の。へっへへへ」
変な夢だ、本当に。
朝食はちゃんとしたもの、といっても果物と水だったけど普通に美味しかった。異世界初めての食事はどんなゲテモノが出るかと思ったが、案外普通であった。普通、普通だ。
普通普通ふつうふつう……
「ところで、僕達どこに向かっているんですか?」
朝食を食べ終えた後、エーヴィンさんに謝られながら部屋から連れ出され今に至る。
聞いても昨日の続きですと微妙そうな顔で言うのだが、昨日は何かあっただろうか。
もしかしたら、エスターニャ様からまた長ったらしい話を聞かされるのもかもしれない。
いやだなぁ。
「ホクトー様…辛いかもしれませんが、現実を見てください」
「えっ、何を言ってるんですかエーヴィンさん。僕ちゃんと現実を見てますよ」
「足が動いてないですよ」
「………」
あれ、おかしいな。
あんなのゆめにきまってるけど、ちょっとおなかいたいからかな。あさにへんなものたべたからか。
「ほう、遅いと思ったが廊下で立ち往生とは……良い根性をしておるのう」
うわ、おーががいる。にげないと。
「ミスター、今日は腹筋をしようか。ヒーリングを受けてるだろうから昨日と同じぐらいは頑張れるよね」
うわ、きちくばけつ。
「終わり次第回収に参りますので…耐えてください」
「もう嫌だぁぁぁぁあああ!!!」
早く、地球に、日本に帰りたい。






