第三話
おそらくはショックのあまり、日記を書くことも出来なかったのであろう。
そのことが記されていたのは、死亡日より一月ほども飛んだ日付であった。
そしてそこからは暗黒の日記となった。
怒りと苦悩と後悔がどす黒く渦巻き、黒煙を撒き散らしながら極寒の冬で冷えきったレールの上を地獄へ向かってまっしぐらに突き進む蒸気機関車の如き、筆致で書かれていた。
それは無論、彼女が死ぬ原因となった、覚せい剤売買を強要した男に対してのものであった。
そう……”あいつ”に対しての恨みつらみであった。
だがそれもやがて様相を変えていく。
自責の念が色濃くにじみ出てきたのだ。
そしてそれは恨みつらみを次第に凌駕しはじめた。
なぜならば、彼女に直接覚せい剤を売っていたのは隆志なのだ。
彼女との逢瀬は覚せい剤の売買によってであったのだ。
だから隆志は彼女に覚せい剤を売り続けた。
……売り続けてしまった。
そして……彼女は死んだ。
隆志の自責の念が強くなるのも当然のことといえた。
だが”あいつ”に対する全ての恨みが消え去ったわけではなかった。
だから隆志は、日記の最後にその男の名を記した。
この一文と共に……。
父さん、母さん。ごめんなさい。
僕はこの日記に書かれてあるとおり、取り返しのつかないことをしてしまいました。
だから……ごめんなさい。
僕は旅立ちます。
彼女が許してくれるかはわからないけど、彼女の元へと行きたいのです。
そして彼女に謝りたいのです。
もちろん、こんなことは許されることではありません。
彼女の元へ旅立つということは、父さん、母さんの元から離れるということです。
本当にごめんなさい。
父さん、母さんには長生きして欲しいです。
僕の分も長生きしてください。
そして寿命が尽きたら、あの世でお会いしたいです。
そしてその時には一杯、一杯謝ります。
だから、先立つ不幸をお許しください。
そして……最後に僕をこんな生き地獄に連れ込んだ男の名前をここに記します。
この男をどうするかは、父さん、母さんが決めてください。
男の名は……
その時、突然部屋のドアをノックする音が響いた。
僕はとても驚き、物凄い勢いで後ろを振り返った。
するとそこには、隆志の母親がドアの隙間から顔をのぞかせ立っていたのだった。
おそらくその時、僕は途轍もなく凄い顔をしていたのであろう。
隆志の母親は僕のその顔を見て、かなり驚いた様子であった。
だがしばらくして気持ちを整えると、隆志の母親は穏やかで優しげな声で僕に声をかけたのだった。
「玲央くん……来てくれてありがとうね。隆志も喜んでいると思うわ」
僕はチェアから立ち上がって一礼すると、型どおりのお悔やみ文を並べ立てた。
「おばさん。この度はご愁傷様です。謹んでお悔やみ申し上げます」
「うん。ありがとう……玲央くん来てくれてありがとうね……」
隆志の母親は途中で思わず涙ぐみ、最後のほうは消え入りそうなくらいであった。
だがしばらくすると落ち着いたのか、かすかに笑顔をのぞかせるようになった。
「……そうだ。玲央くんお腹すいてない?下にお寿司があるから食べにこない?」
「あっ、いえ。今のところお腹すいてないので大丈夫です」
「そう……じゃあ後でお腹すいたらいらっしゃい」
隆志の母親はそう言うと、柔らかな微笑を残して部屋を出て行った。
「……ふう。びっくりした……急に入ってくるんだもんなあ……まったく、こんなもの見られたら大変なことになるところだったぜ……」
僕はそう言って振り返ると、パソコンの画面を見下ろした。
するとそこには明朝体の冷たく寂しい書体で文字が記されていた。
加納玲央……と。
そう、パソコン画面には僕の名がはっきりと映し出されていたのだった。
「まったく……まさか隆志の奴が売人するのを嫌がっていたとはなあ。てっきり分け前もらって喜んでるとばっかり思ってたのにな。それに、まさか隆志が俺の友情をいじめだの脅迫だのと思っていたとは……まったく人の心は判らないもんだね」
僕はぶつくさと隆志に対する文句を零しながら、マウスを素早く動かしていた。
「……え~と~これを全部……移動させて……証拠隠滅っと……」
僕は日記のファイルをごみ箱に移動させると、なんのためらいもなく左クリックしてごみ箱を空にした。
「……はいっ!これで消去完了っと」
僕は満面の笑みを浮かべてそれだけ言うと、パソコンの電源を落としてなんの思い残しもなくそのまま部屋を後にした。
そして階段を滑るように降りるとまっしぐらに廊下を突き進んで玄関に辿り着き、素早く靴を履いて家の外へと飛び出した。
抜けるような青空と燦燦と照りつける陽光の元、漆黒の家を背にして僕はゆっくりと歩き出した。
空は相変わらず青い。
ただひたすらに青かった。
嗚呼、快晴なり。




