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第五集  「幽関攻略」

 幽関は今、隗雲と呉楊、ともに義兄弟の契りを結んだ二人が率いる山賊の手中に収まっている。崖の間に作られた、道を閉ざす門を思わせる幽関は他の城郭に比しても手狭で、それ故に総数にして五百名にも満たない山賊を収容するにも(いささ)か窮屈の観があった。義兄弟の兄たる隗雲としては、別の場所――それも、相互に援護し得る位置――に新たな拠点の敷設の要を痛感しているところだ。


 もっとも、本業の山賊業の方が思わしくない。幽関を根拠に周辺の支道に監視の目を張り巡らせ、道行く人々を襲い金品を巻き上げるのが彼らのやり方であった。元々幽関そのものを通らない人間が多いのは当然として、その周辺の支道を通る人影が、ここ数日に亘り完全に途絶えてしまっている。それ故に香南という広大な空間の中に隔絶されたような感慨すら、もはや守将となった隗雲すら抱いてしまっていた。

 誰かの下に付くべきだろうか?……という種類の逡巡を、今の隗雲は持っていた。香南の山中に隔絶されていても、香南の情勢は嫌でも風に乗り漂ってくる。朝廷による統制の箍が外れた香南、そこに犇めいている勢力は大きく三つ――朝廷、王律軍……そして赤蓮教だ。


 赤蓮教は?――やつらは駄目だ。中原にて広く信仰されている万能の神天帝、その御使いたる天人の降臨に備えて穢れ切ったこの世を清浄化しなければならないという奇矯(ききょう)な教義にやつらは凝り固まっている。それは教義の解釈によっては信仰を異にする人間に対する呵責なき排撃へと容易に直結する。現に香南のさらに南で起こっていることだ。転向したと言って身を投じてもいいように使われ、やがて名目を付けられて殺されるだけだろう。


 朝廷は?――皇帝が死に、新帝が即位したと言っても朝廷軍が碌な働きをしていないことから、その柱石に罅が入り、傾き始めていることぐらい隗雲には容易に察せられた。隗雲自身、山賊に身をやつする前は地方官の一人であった。ただし地方官とは言っても最下層の捕吏であった。大桑国において捕吏とは、一定の資格を満たした廂軍の兵士から選ぶものと決められていた。待遇も廂軍よりややまし、といった程度のものでしかない。その捕吏すら大桑国建国から二百年を過ぎた今となってはその称号を得るのに少なからぬ袖の下が要った……その些細な待遇の向上につられて役人になってはみたものの、そこで隗雲は宮仕えに幻滅し官を去った。大局を見て、というより個人的な感慨から大桑国に期待は出来なかった。


 では王律軍は?……そこまで思索を深めたとき、傍らに気配を覚えた。隗雲の義理の弟 呉楊が部下を伴い控えている。

「兄者、いい知らせがある」

「ん……?」

「避難民がこちらに近付いて来ている。中には商人もいる」

「間違いないか?」

 隗雲は呉楊に眼を細めた。鷲のそれを思わせる厳めしい眼差しを注がれ、隗雲の弟分は恐縮したように眼を泳がせた。痩せぎすの隗雲に対しやや太り気味の気がある呉楊は元々香南の小作人の子で、鍛冶屋の徒弟として町に出、長じて隗雲配下の吏員となった。隗雲が官を辞するに当たり、呉楊は隗雲の後任就任への打診を蹴り、さらには彼自身が使っていた手下を引き連れてまで隗雲に付いてきた。それらの事実の積み重ねが山賊団の現在に繋がっている。

「人が百人……馬と驢馬……あと牛も何頭かいたな」

「何で商人とわかった?」

「ああー……牛を持っていたから……」

「それじゃあわからん!」

「…………!」

 一喝され、呉楊は竦み上がった。雄牛を思わせる巨体に似合わない驚愕ぶりであった。呉楊の読みが今一歩足りないのはいつものことで、それは結局襲撃にあたり慎重な対応――言い換えれば相手の見極め――に繋がっている。

 配下に馬を引くよう命じ、呉楊には幽関の留守居を命じる。獲物への急襲は隗雲の仕事、一方で砦の守備は呉楊の仕事であった。幽関に籠り山賊稼業を続ける内、自然とそうなってしまっている。

「呉楊」

「……お、おう」

「おれは三百人余りを率いて関を出る。守備を頼むぞ」

「心得た!」

 拳で胸を叩き、呉楊は笑った。むさい髭面だが、円らな眼とヤマアラシを思わせる収まりの悪い髪との取り合わせが、この魁偉な巨体の持主に一種の愛嬌を与えていた。



 幽関から飛び出した敵兵の数は、二百を明らかに越えていた。彼らはそのまま北へと向かい、やがては気配すら山の狭間に呑み込まれるようにして消えた。

「主将、やつら行きましたよ」

「……うん」

 配下に言われ、魯春醍は生返事で応じた。別働隊は巧く動いてくれたようだ。敵は彼らに引き付けられ、その希少な兵力を割いてしまっている。

「よし……打ち合わせ通りにやろう」

 茂みの中で春醍は立ち上がり、小路まで馬を引きそこで騎乗する。慶邑の役所から拝借した官服を纏った春醍。その背後に下人の格好をした配下が続く。幽関の前に現れたその姿は、騎乗した役人と彼に付き従う随員という、国都大封にごく有り触れた姿と何ら変わらなかった。


「そこのお前! 止まれ!」

 案の定、城壁から春醍に番えられる矢――内心で気圧されつつも、春醍は馬上より拝礼し、当初の作戦通りに声を上げた。

「朝廷の刺使 劉安石に御座います! 勅命により城主にお目通り願いたい!」

「ちょ、勅命だと!?」

 城中の賊がどよめき、その後には動揺が広がるのが見て取れた。この辺りはやや予想外だ……山賊にとって、朝廷の威光なんて全く縁のないものであるように思えたのに――城の反応を窺いつつ胸中をざわつかせるのは僅かな間で、その後には軋みを立てて関門が開き、やはり部下らしき随員を連れた大男が現れた。獰猛な熊を思わせる髭面の男。いかにも山賊然とした男……春醍は下馬し、彼を再拝した。

「あなた様が城主でございますか?」

「城主?……俺は違う。城主に命ぜられて関の守備を任されている者だ」

「では城主はどちらに……?」

「城主は今外出しておる」

「それではあなた様でも宜しい。是非申し上げたき議が御座います。事は危急を要します。大桑の命運が掛かっているのです」

「大桑の……命運だと……?」

 大男は春醍に顔を近付けた。彼の左右にあって剣の柄に手を充てている男たち……彼らを交互に見遣りつつ、春醍は声を顰める。

「あなた様を国士と見込んで、先ずはお話申し上げとうござる……お人払いを願えまいか?」

「国士?……おれがか?」

 春醍は微笑み、頷いて見せた。大男が驚き、次には顔が緩みだすのがわかった。煽てに弱い性質なのかもしれない。

「事が露見すれば、大桑は忽ち滅亡の危機に瀕しましょうぞ。どうか……」

「うーん……」

 もったいぶったように苦笑し、春醍は駄目押しの一言が必要と感じる。

「事が成った暁には、国事に貢献した者に爵位と封土を授けると皇帝陛下及び丞相閣下の御言葉、誓紙を頂いております」

「本当か!?」

 瞠目した大男に、春醍はさらに言った。

「……誓紙を、お見せいたしましょうか? 国璽も捺してござる」

「ぜひ拝見したい……!」

「ではお人払いを。無暗に下民の目に触れさせてはならぬと国法で決まっております」

 畳みかける様に春醍は言い、大男は仕方ないと言いたげに左右の男に目配せした。男たちが離れ、関門の陰まで退くのを見計らい春醍は下人姿の配下に目配せした。二人掛かりで巨大な葛籠を抱えて大男の傍に置き、蓋に結わえられた紐を解く――


「剣――?」

 葛籠を開けた途端、飛び込んできた抜き身の剣を前に、呉楊は我が目を疑った。同時に圧し掛かった烈しい力に抗えず彼の眼前に地面が迫り、そして顔面から叩き付けられる――人心地を取り戻した時には呉楊は上から数名掛かりで抑えつけられ、剣の刃が彼の喉元に当たっていた。強引に腕を取られ、そして後ろ手に縄を巻かれるのを彼は自覚した。

「守将は捕えた! 城兵に告ぐ。降伏しろ!」

 春醍は叫んだ。その後には恐慌が狭い関中を伝播した。彼自身呉楊に馬乗りになり刃を充てつつ、春醍は配下に目配せする。配下が布を振り、合図を受けたその途端に茂み木の間に潜んでいた兵が一斉に開いたままの関門を目指し駆け出して来た。指揮官を失った砦から戦意はとうに失われていた。武器を捨て、春醍の配下の突き出す槍と剣の促すがまま一箇所に集められ、雌伏を強いられる山賊たち――


「――主将、うまく行きましたな!」

 春醍から呉楊の身柄を与った配下が弾んだ声を上げる。官服を脱ぎ、受け取った剣を腰に差したところで春醍は言い放つ。

「何の……問題はこれからだ」

 城壁にはすでに配下の兵が取り付き、弓矢の準備をしていた。何時戻ってくるとも知れぬ賊の頭目と彼の軍への警戒の、それは表れであった。春醍はといえば配下と共に関内に入りつつ、更なる指示を下す。

「伝令を出そう。一番いい馬に乗せて」

「宇貫どののところにでございますか?」

「違う。魯哀の隊を探し、急いで此処まで来てもらうんだ」

「心得たり!」

 配下の一人が合掌して一礼し、身を翻す。攻守が交替し、完全に防備の整いつつある砦の様子に、春醍は思わず安堵の溜息を漏らした。



 襲撃は、結局のところ空振りであった。

 幽関に向かう人間の列は見付けた。だが彼らはこちらの接近に気付いたのか、幽関のごく近くまで来たところで行き先を翻し、北へと戻って行ったのだ。それでもなお彼らを追う内に、彼らが全くの丸腰ではなく武装していることに気付き、賊を束ねる隗雲から掠奪の意図は徐々に四散していった――帰還の必要を彼は感じた。それに、彼らに執着するあまり幽関から離れ過ぎたことも気に掛かる。

 はたして、幽関に戻った彼は仰天した。それまで何処の旗の下にも属さなかった幽関から赤い烽火が上がり、王律軍の旗が翻っていたのだから当然だ。それでも半信半疑のまま馬を進めた隗雲に、城壁から一斉に番えられた矢を目にしたとき、彼は一生分の驚愕を使い切ったかのように、辛うじて声を絞り出したのみであった。 

「ど……どういうことなんだ?」

「賊将に告ぐ! この砦は諌軍が占領した。守兵二百は皆捕虜にしてある。武器を捨てて降伏しろ! そうすれば危害は加えない!」

 城壁の下に向かい声を張り上げる配下を見、春醍はもう一人の配下に目配せした。彼は城下に向かい旗を振り、次には隗雲らを取り巻く茂みから弓兵が飛び出し、水平に矢を番える。隗雲らにとっての不運はこれで終わらず、今度は血相を欠いた部下が隗雲の傍らに駆け寄り声を張り上げた。

「我々が追っていた連中が此方に迫っています! 武器を持っている!」

「包囲された……!」

「――――!」

 彼らはやはり此方の動きをつかみ、あまつさえは包囲と追撃の機会すら窺っていたのだ!――動揺は恐慌へと瞬時に変貌した。碌な訓練を受けていない賊故に、統制が崩壊するのは早い。それを収集し部下を救うために、隗雲に残された途はひとつしか残されていなかった……下馬し、剣を捨てて隗雲は城下に更に歩み寄る。

「お前たちに投降する。武器は捨てた。この通りだ!」

 主将が有能で、人望もある人間であるのならば、部下も容易く彼の動きに従う。賊たちは一斉に武器を捨て、そして馬を下りて城下に歩み寄った。伏撃した弓兵、そして追求してきた王律軍の兵に身柄を抑えられ、縛られる隗雲とその配下。開いた城門から引き据えられてきた呉楊の姿を目にした時、隗雲は怒るよりもむしろ唖然として、彼の義弟を凝視した。

「兄者……面目ない」

「いったい何が起こった。やつら、殆ど無傷で幽関を占領したようだが……」

「あいつだ……全部あの男の描いた絵図だよ」

「…………」

 門から出てきたひとりの男の姿に向かい、呉楊は顎をしゃくった。帯甲した王律軍の中でただ一人、市井の若者らしい庶服を纏った青年の姿。まだ少年の面影を残したその青年は、隗雲の眼前で彼の配下と二、三言指揮に関する会話を交わしたかと思うと、今度は踵を返しこちらに歩み寄ってくる。拝礼――青年が自分に向けたそれが、一分の乱れも無い挙動であることに、隗雲は彼自身役人上がりゆえに気付くことが出来た。こいつもまた、元は役人? それもより高位にある役人か?

「大封の魯春醍と申します。天の巡り合わせとはいえ、貴公をかくも理不尽な目に遭わせたことをこの場でお詫びしたい」

「幽関の隗雲だ。大封の者が何故かような賊軍に?」

「脅されたのです。任務を果たさなければ大封に帰さないと」

 申し訳なさそうに、春醍は言った。反射的に隗雲の口元から苦笑が漏れ、隗雲は口を開いた。

「都では、何をしておられた?」

「書生です……小用で香南まで来たところで、この有様です」

「何でぇ、俺らはこんな書生上がりの若造に手玉に取られたってわけかい」

 皮肉っぽく言った呉楊を、隗雲は目で制する。

「それで……我々はどうなるのか?」

「王律軍に加わって頂くことになります。なあに、双方無傷で占領できたのだから、あなた方が従順である限り王律軍には何のしがらみも無く受け入れてもらえるでしょう」

「成程……」

 春醍を見つめる隗雲の目に、次第に好奇の光が宿り始めた。

「失礼ですが、春醍どのの手持ちの兵は如何程か?」

「今の手持ちは借りものです。慶邑に戻ったら元の持主に返さないといけません」

 隗雲は頷き、傍らの呉楊を見遣って言った。

「呉楊、決めたぞ。今日よりこの春醍どのが我らが兄だ」

「――――!?」

 春醍と呉楊は互いに顔を見合わせた。その直後には呉楊ですら座りながらに居住まいを正し、春醍に向かい低頭する。

「俺も決めた! 魯春醍どの、どうか我らを弟と思い、導いて下され!」

「参ったな……」

 春醍は困惑を隠せない。やがて頭目の意思を察したのか隗雲、呉楊の背後に控える男たちの間にも、春醍を仰ぐ目の色が変わってくるのが判った。一頭の騎馬が関外に滑り込むように入り、声を張り上げる。

「報告ぉーく!」

「何事だ!?」

「魯哀どのの隊、幽関にご到着!」

 騎馬の一群が北側の小路から踊り出、その数は時を追う毎に増えていく。王律軍では見られなかった逞しい奔馬、それに跨った男たちの一団に守兵たちは驚き、土埃が立ち込めた。それが止む頃には幽関と対面するように居並ぶ騎馬の群が、道の外へ溢れ出んばかりに犇めいて並んでいる。

 一騎が、幽関に向かい進み出た。

「我が名は魯哀、魯春醍どのは何処か!」

 精悍な若者であった。春醍と同年代と窺える顔立ち。ただし体幹が春醍よりも太いことが、帯甲したその出で立ちからも察せられた。冠の下で覗く長く白い鬢、柳の様な形の白い眉、その下でやや赤み掛かった眼が、厳しめの光を幽関に向かい注いでいる。春醍は隗雲の許から立ち上がり、魯哀と名乗る馬上の若者の前に進み出た。

「魯春醍、魯哀どのに拝謁いたします」

「おお……!」

 魯哀の厳めしい無表情が崩れたが、それも僅かな変化でしかなかった。次には薄い微笑を向け、魯哀は春醍の手を握る。

「あなたが大封の魯春醍どのか。お会いしとうござった」

「魯哀どのと合流でき、私も安堵いたしました」

 魯哀は一礼し、言った。

「非才の身と我が配下を王律軍にお預けします。以後どうか懇意に……!」

「こちらこそ……!」

 春醍は縛られたままの隗雲、呉楊を見遣り、配下の兵に彼らの縄を解くように言った。

「彼らは?」と魯哀。

「幽関の元の持ち主です。彼らも帰順したので共に慶邑に連れて帰ります」

「ざぞや賑やかな凱旋になることでしょうな」

 魯哀はそう言って笑った。春醍もつられて笑いつつ、その目は空に向かい泳いでいる。とうに中天を過ぎた日は、西の端にその下弦を預けようとしていた。一千名近くの兵などこの幽関には入り切れない。少なくともあと一日は野宿が必要であった。そして春醍は、香南においてそれを為す余裕は未だあるものと信じ込んでいた。



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