第三話:楠のいる世界
第三話
ハルカに手を引かれたまま、かれこれ三十分は経つ。
まだ少し寒いと言えど、それだけの時間手をつないで入れば手汗をかくもんだ。ちょっと手を放してくれてもいいのに、そんな気配は一切なかった。
「で、どこに連れて行く気だ」
「私の家です」
「ハルカの家? 何故?」
「え? だって、こっちの世界じゃ冬治さんの家、ないでしょ。人間は住む場所が必要だよね」
「……」
言われてみればそうかもしれない。夕方になってお家に帰る事がこんなに難しい事なんて生まれて初めて知ったぜ。今の俺が家に帰りつくにはこの世界から脱出せねばならんのだ。
はぁ、無理だわ。
「あー、そうだな。あと数時間してもどこに泊まればいいんだろうとさまよっていた事だろうよ」
「まさか、考えてなかったんですか?」
異世界に召喚され、ドラゴンに襲われて、ちょっと現実逃避していたからだ。
「今後はあっちの世界へ戻るまで私の家で寝泊まりしてね」
「でもハルカにとって利益はないだろう?」
何故だかにこやかなハルカに俺は首をかしげてしまった。
「最近召喚魔法の使用規則が厳しくなってまして。召喚したものは破壊するか、送還しないといけないの……えーと、ほら、犬や猫も最後まできちんと飼わないと駄目でしょ?」
そう言う類の責任なのだろうか。何だか、非常にランクが低い扱いを受けてそうだ。
「それに今の冬治さんは異世界生命体という扱い」
「侵略者みたいだ」
この青く輝く生命の源、地球を乗っ取るため、今日も異世界から侵略者たちが……うん、B級テイストだわ。
「それで、それがどうした?」
「限りなくこの世界の人間に近しいが、他者に危害を加えた場合は処理される対象にあります」
「嘘だろ。俺、ただ召喚されただけだぜ?」
電車内で女性の近くに立っていたら女性がいきなり俺の手を……そして、まさかの痴漢扱いを受けた気分である。
「俺は悪くない」
「それでも適用されるから」
え、何その理不尽要求。こっちは無理やり召喚されたと言うのに、俺が何かすれば駆除対象になると言うのか。
―――――――
「はい、友人君の負け―」
「あー……畜生。それで、お題はなんだよ」
「友人、お題は俺が決めてやるよ……この不思議ボックスの中から選んで……っと、ほら、出たぞ」
「理不尽な事をしてこい? 理不尽なんて普通に学園生活送ってたら起きないだろ」
「屁理屈はいいよ」
「さぁ、お前の理不尽を試してやるときが来たぞ」
友人はデパートの女性物の下着売り場へと歩いて行った。怪訝そうな店員さんの前へと立つ。
「すみません、ブラジャー下さい」
「は?」
「ブラジャーです、ブラジャー」
彼は必死だった。胸の前で寄せて、挙げると言うジェスチャーを繰り返す。
「あの、お客様は男性では? あ、彼女さんへのプレゼントでしょうか?」
「男がブラジャーしてちゃおかしいですか!」
「い、いえっ!」
友人の言葉に女性店員さんは圧倒されている。
「じゃあ、最高のブラをお願いします。追剥に遭った時に『え、お前そんな大胆なブラ、つけてるの?』っていわれるぐらいのすげぇやつ」
「か、畏まりました!」
そんな二人を見送って、俺たちは頷き合った。
「理不尽だねー」
「理不尽だわ―」
――――――――
「冬治さん?」
「あ、ああ……ちょっと現実逃避してた」
友達の事を思い出してしまった。無事に暮らしてるかな、あいつら。
「じゃ、行こう。迷子になったら危ないから手、繋いだままね」
「……ああ」
肩がぶつかっただけでも、処分されそうだな。うん、気をつけねば。
曲がり角を曲がったハルカを追いかけたと思ったら、そこには誰もいなかった。
「何だ? いきなり壁が……」
目の前には茶色いレンガを積み上げた壁が出来あがっていたのだった。先ほどまで確かに感じていたハルカの存在も、今では消えてしまっている。あれだけ握っていた手の感触なんて残っちゃいない。
どうしたもんかと考え込む。これはあれかね……元の世界に戻れる?
「初めまして、夢川冬治さん」
「ん?」
後ろを振り返ると其処に立っていたのはウェーブのかかった栗毛色の女性だった。
落ち着いた雰囲気をしているが、歳は俺とタメか、一つ下ってところだろう。茶系のカーディガンに、下はワイシャツ姿だ。
張りつく笑顔が嘘っぽい。
「俺に何か用ですか?」
「ええ、行方不明になった冬治さんがこうやってこの世界に戻って来たんですもの。挨拶の一つでも、と思いまして」
「行方不明……ああ、こっちの世界の冬治ね」
これで三人目か、冴えない俺と違ってこっちの冬治は人気者だな。魔法も使えるそうだし、本当にうらやましい限りである。
「ところで、今ご自分がどこに立っているのかわかりますか」
「そりゃあ……」
アスファルトの上だ。
そう言おうとして気付いた。自分の足元にはレンガの道が出来あがっている。
「……レンガの上? いや、アスファルトの上だな」
瞬きをするとレンガは消えて、再びアスファルトの道に立っている。
不思議な空間は消え去り、遠くから喧騒が聞こえてくる。先ほどまで居た場所は人の気配なんて皆無だった。
「あら、もう切れたんですね」
「切れたって何が」
「魔法の効果です」
「魔法?」
やはり、目の前の女性も魔法使いなのか。どっちかというと詐欺師に見えるんだがね。
「そうです。わたしは五感に影響を与える魔法が得意なんですよ。今の魔法は簡単な幻覚魔法です」
「はぁ、なるほど」
魔法に詳しくない俺はその程度の反応しかできない。
相手の女性はそれに納得がいかなかったのか、どこからか干からびた棒のようなものを取りだした。よく見ると和紙を包めて棒にしているみたいである。
「満足していただけなかったようですね。では、もっと高度な魔法を……」
「冬治さーん? どこ行ったの?」
「おっと、時間が来たようです」
女性はぺろりと舌を出して、俺を今一度見据えた。
「わたしの名前は楠アキホです。覚えておいてくださいね」
「はぁ、まぁ、いいですけど」
約束ですよ、綿毛のように微笑んだまま女性は俺の目の前から消えた……ように見えて、普通に歩いて去っていこうとしていた。
「あの、見えてるけど」
「こほん、手加減です」
何のだよ。
「わたしが本気を出せば、人差し指の第一関節だけとか、二重瞼を一重消すと言った一部分を消す魔法が出来ます」
一部分を消すって言うのなら俺の持っているエー……こほん、モザイク消してみろよ……とは言わなかった。面倒な人間、嫌いなんです。
「次は本気ですよ。えいっ」
そういって姿が消えた……のも、やはり数秒。ばっちり、くっきり見えている。本人は見えていない自負があるのか俺の前で中指立ててこっちを見ていた。
「うわー、本当に消えてしまったぞー」
怒らない、きょどらない……おかしな人間に会った時は透明人間として扱うのが一番なのだ。無駄に構ってしまうと骨までしゃぶられて終わっちまう。
「おやおやぁ、見えてないんですね? 所詮はこの程度の人間ですかぁ」
またここで声をかけたら絶対に面倒なので黙っておいた。
「あ、冬治さーん」
「……ああ、俺は多分異世界生命体だから魔法が効きにくいのか?」
この世界の住人なら、あの楠アキホとやらの姿は見えていないのだろう。ハルカはすれ違ってもアキホに気付くことはなかった。
「もー、冬治さん。はぐれないで!」
「……悪い」
俺は悪くないよ。
そう言おうとして辞めた。説明するのが億劫だし、魔法なんて言って信じてもらえるかどうか……そこまで考えてこの世界自体が魔法の世界だった事を思い出した。
「魔法が悪いんだ」
「はぁ? まだ召喚されたことに対して文句を言ってるの?」
「違う。さっき人間が居てだな、なんかちょっかいを……」
「さ、行きますよ。手を握りますからね」
俺の言葉なんて聞いちゃいなかった。
こうなったら流されるしかなさそうだ。
「もう好きにしてくれ」
握られて困るものではないし、減るものでもないからな。
どことなく嬉しげなハルカの横顔を見る事もなく、俺は青空を眺めていた。




