第二十三話:考えを改める
第二十三話
春から夏へ、平日から休日へと変わりつつある時間帯に楠アキホは自室で目を覚ました。
「ふぁ……寝ちゃってましたか」
上三つしかボタンを留めていないパジャマは形のよい乳房に押し上げられてそこそこそそられる格好だ。もしも此処に、櫻井家で眠りこけている誰かさんが居たらそれとなく観察していたに違いない。
軽く額ににじむ汗を手の甲で拭い、アキホは苦笑いをした。
「ふぅ、本当……あまりいい夢じゃありませんでしたね」
アキホが見た夢は時折見る、小さい頃の夢。
大好きだった父からの……嫌な言葉だ。
「……この歳で魅了の魔法か。あの女の娘だな。節操のない、下品な話だ」
それ以後、楠アキホの父親も姿を消した。親戚連中に『カッコウには成りたくない』と言って消えたらしい。
親戚連中は一人残った楠アキホをあまりいい目で見なかった。従姉が面倒を見て、生活を支えてくれていると言っていい。
不幸中の幸いと言えば、彼女が実に魔法にひいでている事だった。楠アキホは魔法特待生として扱われていて、自身しか使用できない魔法もやってのける程の腕前だ。
もっとも、その魔法さえなければ普通の人生を歩んでいる事が出来たのだが……。
「ふぅ、魅了の魔法ですか」
そして、さらなる魔法能力を向上させるため、彼女は冬治へと近づこうとしていた。何でも、冬治の魔法は目を合わせるだけで相手を意のままに操れるらしい。
アキホは其処まで出来ない為、彼の事を探ることにしたのだ。当然、直接会うなんて愚の骨頂……魅了の魔法を使用する人間がほいほい近づくわけがない。
しかし、事情が変わったのは数か月前。魅了も含め、優秀な魔法使いがひしめく学園の中でも更に別格の存在だった冬治が行方をくらましたのだ。
蒸発した原因を探っている途中、魔法の使えない異世界の冬治と出会った。
「思えば、想像とはかけ離れていました」
最近はよくつるむようになってきたと思っている。本来は、異世界からきた珍客だったはずだ。
「明日は休みですね。たまには……真面目に接してあげましょう」
いつもからかって、馬鹿にしている気がする。
どこか人を見下していて、冷たい印象のする人間ではない。二人で遊びに行くのも悪くないだろう。
「って、柄じゃないですね」
楠アキホは先ほどまで見ていた夢の事を忘れ、眠りにつくのであった。
――――――
楠アキホに連れられて、やってきたのはコンビニだった。
「休日に連れ出すなんて何の用事が……」
今日もソファーの上でぼーっとしている予定だったのによ。最近、暑くなってきてハルカもマシロも涼しげな格好だからな。毎日見ていて飽きないぜ。
青少年としては全然健全じゃねぇか……。
「魔法の事について教えようかと思いまして」
魔法、魔法ねぇ……。
「どうせさ、俺が覚えたところで何の役にも立たないだろ」
最近、行きついた結論がそれだった。
後ろ向きになっているわけではなく、魔法は魔法使いに任せることにしたのだ。やはり、プロにお金を払ってサービスを受けたほうがいい物が手に入るのだろう。
それに、今の俺は楠アキホを真人間にせにゃならんのだ。魔法を頑張るよりも、人間を一人、普通の人間にするだけで元の世界へ戻れるのである。実に、ちょろいっぽい。
ま、目的地に向かうにはまずは道を知らねばならん。というわけで、楠アキホの事を知るのは理にかなっている。
「今日はわたしが何故、もてるのか。その秘密をお教えしますよ」
どうですか、知りたくして仕方がなかったでしょう? そんな顔をしていた。しかし、いつもと様子が違う気もする。
「今日、どうかしたのか? 何だか眠たそうだな」
「……大丈夫ですよ」
「そうか」
細かいところを突っ込めばまた、何だかんだ言う割にはわたしのことをちゃんと見てくれているんですね、等と返って来そうなのでその件については触れないでおく事にする。
「ま、もてる秘密については……あいにく、間に合ってるんでね」
「それは既に彼女がいるということでしょうか?」
食いつき気味の楠アキホに軽く驚いた。
「いるわけないだろ。いたのならこうやって遊びにきてないっつーの」
「そうですよね」
あ、少し馬鹿にしたよな目線を送るんじゃあない。俺だってね? それなりにですね、これまでの人生の中で……女の子の友達っているんですよ? 結構さ、いい感じの雰囲気になった事も多いし! まぁ、彼女は出来てないけどさ。
「何ぶつぶつ言っているんですか?」
「何でもねぇよ。暇で暇でしょうがないなと言っただけだ」
「それはよかったです。ちょうどいい暇つぶしが出来ます」
俺の手を引いてコンビニまでやってきた。何やらにこにこしている。本当、どうかしたんだろうか。
「で、コンビニにきて何するんだ」
そういって雑誌コーナーへと移動する。
「何か本でも買うのか」
「はい」
そういって手に取ったのは……。
「おい、それ」
「はい、えっちな本ですよ」
女の子が手に取るにはあまりにも変わりすぎている。脇に立っていたおっさんがぎょっとして俺らを見ていた。
「なぁ、それどうするつもりだ」
「買うんですよ」
「何に使うんだ」
「魔法に、です」
こちらの世界では別に女の子がエロ本を買っても気にしないのか、普通に買えてそのまま二人でレジを出る。
ふと、後ろを振り返るとバイト臭い大学生が二人、こちらを見てにやにやしていた。肘を突いて何かを想像しているらしい……暇な連中である。おっさんは人妻から露骨に読む本を変えていた……ったく、男って悲しい生物ね。
「欲しいですか?」
「え? いや、別に」
あいにく、俺は巨乳物が好きなのだ! お前が手に取っている『貧パラ(貧しき乳に愛の手を)』には全く……ほんのちょっとだけ、見れるんなら見せてもらいたいなぁ……この程度しか興味が無い。後で、買っておこうかな。
「そうですか」
「それで、何をするんだ」
「魅了の魔法を教えるんです」
魅了の魔法か。これは使用が禁止されている魔法じゃなかったか。
そもそも、難しくて使える魔法使いは少ないのだと授業で聞いたぞ。失敗すれば変なのが近寄ってくるし、呪文と魔法陣だけでは作りあげるのが不可能だと聞いた。
「まぁ、といっても完璧な魅了の魔法は準備が必要ですからね。今回は簡単な事をします」
「へぇ、どうするんだ?」
「こうするんですよ」
人通りが比較的少ない場所へと、エロ本を広げて設置した。
「……内包する魔力よ、姿を変えて敵を引きつけろ……」
そう呟いて杖をふるう。こんな平和な世界に敵なんていないだろうに。
「しかし、魅了の魔法か……あまり良いイメージはないな」
こちらの世界の冬治は魅了の魔法を使って、好き勝手やっていたらしいし、目の前の人物も魅了の魔法で男子生徒をアッシー君やら脳みそ付きの財布として扱っている気がする。
「冬治さん」
「何だよ」
少し真面目くさった顔で名前を呼ばれた。
「魅了の魔法を誤解しないで下さいね」
「……はぁ?」
魅了の魔法で男遊びしてそうなお前が言ってもなぁ……と、何故だか言えなかった。
「人間は何かしらに興味を持ちます」
俺の手を引いて、近くの塀を乗り越えてそこからエロ本を見守る。
「ふむ、それで?」
「先ほどのエロ本には興味のそそられる効果を倍増しで乗せました」
「するとどうなるんだよ」
「人間という物は他人の目を気にする事がありますからね。もっとも、冬治さんのような破廉恥は下半身を見せても気にするどころか、自慢するそうですが」
「いや、しないから。それで、羞恥心がどうのって言ったな?」
「はい。その羞恥心等を取り払うのと、たとえ周りに人が居ても多大な集中力を与え、エロ本に興味を持たせます。勿論、簡単な魔法なので巨乳好きな人には効果がありませんよ」
なるほど、だから俺はそっちによっていかないのか……いや、まぁ、あれよ? あれですよ? 多少なりとも興味があるから……結構、反応するのかなぁと冷や汗かいていたりするんですけどね。
よかった、俺が心底大きいのが好きな男の子で。
「あ、ちなみに冬治さんは基本的に魔力が通用しませんから効果、ありませんよ」
「……そ、そうか。知ってたよ?」
「何を焦ってるんですか」
「別に、何も」
その言葉に俺は首をすくめて二人してエロ本を見つめる。
奇妙な光景だ。
「お、来たな」
人影が近づいてきたが、それは少し疲れているような女性だった。しかし、エロ本を一瞥するときょろきょろと周りを見渡して吸い寄せられていく。
「え、何でだ。女の人も釣れるのか」
どういうトリックだ? あれか、あの女性の人は……ぶらさがっている人よりも、ぶら下がっていない人の方が好きな人なのだろうか。
それはそれで、需要がありそうだ。
「……もう一つ、あの雑誌には見たいものを見せる魔法がかけられています」
「みたいもの?」
「はい。現実逃避したい人にかなり効きやすい魔法です」
「あの人には何が見えてるんだろうな」
「きっと、素晴らしい何かですよ」
女性はそれから十分間、周りの目を気にすることなく本を読み終えた。
そして、またエロ本を置いて去っていく。
心なしかその表情は晴れ晴れとした物に代わっていた。
「どうですか、魔法の本の出来上がりです」
「凄いな」
単純に驚いた俺にアキホは笑っていた。普段は心の中に一物抱えてそうな嫌な笑みだが、純粋に笑っている。
まさか、エロ本を見た後にあんな爽やかな笑みを浮かべる人間がこの世の何処かにいるなんて思いもしなかった。
「いい物を見せてもらったのは嬉しいけどよ」
「はい」
「俺にこの光景を見せてどうするんだよ」
「……こちらの世界に居た冬治さんは一切興味のない相手も虜にしていたそうです」
ああ、またスケコマシの話か。
「言っとくけど、俺は全く関係が無いぞ。それに、魔法だって使えやしない」
「わかっています。しかし、不思議ではありませんか?」
「不思議? 何がだ」
「何故、あの人はそこまでして女性を口説いていたのでしょうか。それこそ、防衛魔法のエキスパートに追われるような事態を招いていたのです。いくら冬治さんが優秀だったとしても執拗に追いかけられていたらいつかはやられてしまいますよ」
「そらまぁ、そうだろうよ」
年がら年中襲われていたら、普通だったらどこかでやられるはずだ。
「冬治さんがやられた、なんて話は聞いた事ありません。それに、魔法の使い過ぎで精霊化してしまったという話も聞いた事がありません」
「魔法を使わないで撃退してたんだろ?」
ステップを踏みながら相手に近づいて、アッパーカットやオラオラァ的なラッシュを繰り出したんじゃないのか。
「いいえ、それはないでしょう。常に最高値で魔法を叩きだしていたのはよく聞きましたからね。派手に防衛魔法をぶつけあっていたのを何度か見ています」
まるであの頃は良かったと言わんばかりの言い草だった。
「ふーん、結局のところお前さんは何が言いたいんだ」
「魔法さえなければ、こちらの世界の冬治さんもあなたのような人間に育っていたのでしょう」
魔法さえなければ、ね。
魔法さえなければ俺もこちらの世界にやってくることはなかっただろう。しかしまぁ、今日見たように魔法はいい事にだって使うことはできる。
「こちらの世界の冬治さんは魔法に嫌気がさしてしまって、何処かへ行ったのではないでしょうか。そうは思えませんか?」
「さぁな。俺らが話しても意味無いだろ」
「そうですね。すみません、下らない話を延々としてしまって」
楠アキホが謝るところなんて初めて見た気がする。それに、謝る必要性は感じられなかった。
「ま、それはいいさ。それで、これからどうすんだ」
「遊びに行きましょうか。たまには魔法の事なんか忘れてしまって」
楠アキホも何かしら考えているのだろう。ちょっと疲れた表情で笑っている。
その後、二人で遊びへと向かう。
「そう言えばよ」
遊ぶと言っても、繁華街を二人でうろうろするだけだ。特に何か買うわけでもない。
「何でしょうか」
「お前さん、俺と同じで女子に襲われたりしないのか?」
「何故、わたしが?」
「そりゃあ、男を骨抜きにするような奴だ。女がいる男だって引っ掛ける事が出来るんだろ?」
俺の言葉に、彼女は苦笑していた。
「その通りですね」
「この世界の冬治はいないが、魅了を使う魔法使いは俺の目の前にいる。お前が異世界へ逃げる前に聞いておくよ。何でそんなことをしているんだ?」
人差し指を顎につけ、楠アキホは眉根を寄せる。
「笑いませんか?」
「笑わないよ」
「運命の人を探しているんです」
「運命の人? でもよ、魅了の魔法をかけているのなら大抵の人間が楠にへいこらするんだろ?」
「そうですね。その人達は運命の人じゃありませんよ」
「ふーん」
よくわからないが、まぁ、少々おとめチックな考えをしていることは分かった。
「いつか見つかるといいな」
「はい、もう見つけましたから」
「ほー、そりゃよかったな」
さすがに、十数年も魅了を使っていれば見つかるのだろう。ふと、この前の馬鹿な男が頭の中で騒いでいたが、おそらくあれではないのだろう。
ま、俺にとってはどうでもいいことか。
「ではまた、学園で」
「ああ、さいなら」
右手を軽く挙げて、十字路で別れた。
「お、冬治君じゃあないか」
「うわ……」
そして、曲がり角を曲がったら女子生徒を両脇にひっつけた男子生徒を発見する。
「確か、あんたは……シドだったか?」
「おぉい、まるで友達の名前を忘れているような言い方じゃあないか」
友達……え? 誰が。
「僕の名前はシド。シド・D・ロードさ」
「ああ、そうなの? じゃ、俺はこれで」
しかし、周りこまれてしまった。
「僕も、デートが忙しいんだけどね」
目の前でいちゃついてんじゃないよ、馬鹿。俺が魔法使えたらためらいもなくぶっ放していたところだ。
「折角会えたんだ。これも神の思し召し……ふっ、僕にはこの二人を幸せにする義務があるがらね」
「シド君っ! 大好き!」
「シドさん!」
「おっと、二人とも……彼が見てる」
そういって両脇の女子生徒を……いや、女子生徒じゃなかった。よく見たら片方が年上っぽい女性でもう片方は法律ぎりぎりレベルの幼さ。
「アキホは君が、守ってあげてほしい。彼女、ああ見えて恨まれやすいんだ」
「だろうな」
易々と想像できる光景である。つーか、保健室の先生にも言われている事だしな。
「君を友達として見込んでるんだ……お願い出来るかい?」
「まぁ、別に構わんが」
「さすが、心の友だ。君は男でありながら、僕の名前を呼ぶ事を許そう」
こいつもきっと、男の友達が居ないんだろうな……可哀想に。
「これは本来、僕の口からいうことじゃないかもしれない。だがね、君に伝えておきたい事がある」
「何だよ」
「彼女の事を、誤解しないでほしいんだ。彼女が幻覚の魔法、特に魅了の魔法にひいでているのは彼女の母親……ま、今は僕のママなんだけどね……その人物のおかげなのさ」
今、さらりと凄い事を言われた気がした。
「それがどうした」
「彼女の父親はある日、姿を消した」
「……何故」
「僕は伝書鳩みたいなものさ。伝えるだけ」
脇からハトが飛んでいった。無駄な演出である。
「彼女の事を頼んだよ」
「わからんね。何が言いたいのか」
本当に伝えるだけだったのか、首をすくめていた。
「知っていればいいのさ。じゃ、僕は行くよ」
「……」
俺の目の前を、女を侍らせながらシドが歩いて行く。
「楠、アキホね……」
こりゃ、人を一人、真人間に戻すのは難しいのかもしれないねぇ……。




