門出の日。しかしぼっちだ。
卒業式の日。もうすでに退屈な式典は幕を閉じ、僕達卒業生はそれぞれの教室へと戻り最後の退屈なHRの最中だ。
窓際の一番後ろというベストポジションに席を構える僕は、最後だからと熱く語っている若手教師の話を右から左に受け流しつつ、窓の外の景色を眺めている。
窓の外に広がっているのは淡いピンク色をした満開の桜の木々だ。わが校の校庭にはこれでもかというほど大量の桜の木が植えられており、今まさにそのすべてが満開を迎えているようだ。まるで僕達卒業生の門出を祝っているとでも言いたげだ。
普通なら大変喜ばしことなのだろうが、僕からすれば桜なんてものは世の中に数ある僕の心を沈ませる要因の一つでしかない。
この現代の若者の中に、桜の美しさに心の底から感動するような者はそう多くないだろう。かくいう僕もそんな心が冷め感性が死んでいるつまらない若者の一人だ。
では今を生きる大多数の若者がどうして桜をありがたがるのか。答えは単純だ。桜の季節になると、お花見ができるからである。
彼らは桜が咲くと、それをみんなで鑑賞しようとの名目でわらわらと桜の下に集まる。そして大人数の群れを形成すると、桜を見ようという名目なんてすっかり頭から抜け落ち、ただひたすら楽しく飲み食いして騒ぐだけの集団になるのだ。そうして騒ぎ始めた集団の目には桜など全く映らなくなる。そうなればもう彼らは夜が更けるまでどんちゃん騒ぎを続ける。
それをしたいがために、若者達は桜の季節を待ち望み、満開の桜をありがたがるのだと僕は予想する。
なぜ断言しないのか、それは僕自身が今述べた花見を待ち望む若者の一人ではないからだ。僕は生まれてからこの方お花見なんてものには一度も参加したことがない。だからここまで展開した論はただの予想から述べたものであり何の根拠もないものなのだ。どうして僕がお花見に参加したことがないのか。それは別に僕がお花見が嫌いだからいかないというわけではない。もっとほかの理由がある。
それはただ単に、僕が幼稚園小学校中学校、これまで全ての教育機関において、ずっとぼっちだからである。そう、友達のいない僕を花見に誘う人間なんて誰もいないのだ。だから僕はこれまで花見の席に着いたことは一度もない。もちろん、呼ばれたら行ってみたいとは思っているにきまっている。
ああ、誰か誘ってくれないかな。ありえないだろうけど。
そんなことを考えているうちに、担任教師による熱い演説は終わりを告げた。
クラス委員により起立の号令がかかる。ガタガタとやかましく椅子を鳴らしながらクラスメイト達が立ち上がる。桜に思いを募らせていた僕は、周りからは少し遅れて立ち上がる。
感極まったのか、礼の号令をかけるクラス委員の声は少し震えていた。ちらりと横目に見るとポロポロと涙を流していた。やっぱり友達がいて充実した学校生活を送っていると、あんな風に泣くことができるのか。羨ましい限りだ。
僕は逆にこれまでの空しい学校生活を思い出して乾いた涙を流したい気分だというのに。
震え声ながらも何とかクラス委員が使命を果たし、最後のHRは終わりを迎えた。クラスメイト達は着席することなくそれぞれ思い思いに移動してそれぞれお喋りに興じている。もちろん僕の元には誰も来ないし僕も誰のところにもいかない。
僕は荷物の整理をするために一度着席する。今日が最後なので机の中身をすべてもちかえらなければならない。できることならすべて置いていってしまいたいが、もし後で取りに来いなんて言われたらたまったものではない。
最後の最後だからと誰か話しかけてくれないかな、とわざとゆっくりと作業をする。本当ならば一瞬で終わる移植作業にやたらと時間をかけてしまう。
僕が無言でゆっくりと机の中からカバンの中への物資の移動を行っているとき、クラスではお互いの卒業アルバムの空白のページにメッセージを書きあって盛り上がっているみたいだ。ペンとアルバムを手にほとんどの人間があちらへこちらへ移動を繰り返している。くどいようだが、僕のアルバムは当然のように白紙だ。
みんなが手当たり次第にメッセージを書いたり書いてもらったりしているなか、その中でも一番人を集めている生徒がいた。それは僕の隣に座る男子生徒の関口くんだ。
関口くんはサッカー部キャプテンで長身でイケメン。おまけに性格もすこぶるいいときた。まさに絵にかいたような人気者、クラスの中心的な人間だ。
関口くんの周りには女子も男子も含めてたくさんの生徒が集まって輪を作っていた。その輪はどんどん大きくなって、やがてはほかの場所に散っていたクラスメイトほぼ全員が集まった。
ちなみに今この輪に加わっていないのは、こういう明るいリア充的な雰囲気を嫌うごく少数の日蔭者グループの人間達だ。そういうメンツはHRが終わると同時にさっさと帰ってしまったようだ。きっとその集団でどこか打ち上げにでも行ったのだろう。羨ましい。言うまでもないが、僕はそういう日蔭者グループにも迎え入れられていない。一度アニメの話に参加しようとした華麗にシカトされてしまった苦い思い出がある。それ以来そのグループには近づいていない。
僕のすぐ隣では関口くんとその仲間たちが思い出話などに花を咲かせている。僕の送ってきた灰色の学校生活とは対照的で楽しげな会話は、ザクザクと僕の心を抉り取っていく。聞いていて楽しいものではないが、すぐ近くで行われている会話なので嫌でも耳に入ってしまう。
もう教室から退散しようにも、20人近い関口くんグループは僕の席と出入口を繋ぐ動線を塞ぐ壁のように広がっているため教室から出ることは難しそうだ。こんなことになるのならもっと早く教室を後にしておくべきだったと後悔する。こんなに近くにいるのに誰も僕の存在には触れてくれないし。
隣で続く楽しげな会話は全く終わる気配を見せない。むしろどんどん盛り上がっていっている始末だ。今の時刻は正午だが、放っておけばこのまま夜まで続いてしまうんじゃないかと心配になる勢いだ。そうなったらもうすでに深刻なダメージを受けている僕の心は確実に崩壊してしまう。
一体いつまでこの拷問は続くのだろうか。そう思った矢先、関口くんの一言により会話の流れが少し変わった。
「今日この後花見やろうぜ!」
花見、という言葉に自然と体がピクリと反応してしまう。やはりリア充集団と花見は切っても切れない存在のようだ。僕の仮説は間違っていなかった。
「お、いいねぇ。場所はどこにする?」
「あそこの公園は? 超でかい桜があるとこ」
そんな具合でどんどん花見の計画は膨らんでいく。みんなが口々にあげていくアイディアを関口くんが驚くほど上手にまとめていく。場所や集合時間、買い出しの班分けなどを的確に振り分けていく。正直学生の花見でここまで厳密に担当を振り分ける必要があるのか僕にはわからなかった。しかしあの関口くんのやることだ、きっとリア充界ではこういうものなのだろう。恐れ入る。
関口くんの恐るべき手腕により、すでに花見の計画は素早く纏まったようだ。
「んじゃあ各自用意ができ次第駅前に集合な〜。遅刻すんなよ〜。はい解散!」
関口くんの解散の音頭で関口くんグループの人間たちは一斉に荷物をまとめてゾロゾロと教室を出ていった。
残されたのはさっきまでとは対照的な深い静寂と、一人佇む僕。そして黒板にでかでかと描かれた卒業おめでとう! というメッセージだった。
あれほど騒がしかったというのに、こうして急に静かになってしまうと何だかつらい。早く終われと思っていたはずなのに、いざ終わってしまうとこんな気持ちになってしまう自分が何だかとても情けなかった。
「……さて、きゃえるか」
あまりにも久々に言葉を発したせいか、ただの何気ない独り言ですら噛んでしまった。もう泣いてしまいたい。
腹いせに、黒板のメッセージを思い切り消してやってから僕は教室を後にした。
僕の中学校生活は本当に何もないまま終わりを告げたのだった。
飽きずに連載していきたいと思います。
もし不運にもこの小説を発見してしまった方がいましたら、ぜひ批評していただけるととっても嬉しいです。