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「コーラ、サイダー・・・・・・あとオレンジだっけ」
真歩は自動販売機の前に佇みながら、注文通りの飲み物を買っていた。エレベーターホールは、厚みのある真紅の絨毯が敷かれ、四方の壁には流線型のセンスのある模様が描かれており、ホテルらしい仕上がりとなっていた。その端っこに、まるで迷子にでもなったみたいに、自動販売機がぽつんとそびえていた。
ポーカーの勝負に負け、仕方なく真歩は「罰ゲーム」を受ける羽目になったのだ。とはいえ、本来はマリアが買いに行くべきなのだが、彼女は班長であったので、就寝前に行われる班長会議とやらに出席しなければならなかった。上手く逃げられたな、と真歩は苦笑した。
ガコン、ガコン。人気のないエレベーターホールに、飲み物の落下する音だけが虚しく響いた。壁伝いに取り付けられたほの明るいランプを頼りに、真歩は飲み物を回収していると、やがて絨毯の上を歩く、ポクポクした足音が耳に入ってきた。
ふと顔を上げると、足音の主は斎藤だった。
「どうしたの。今更変えにきても、もう買っちゃったよ」
腕に抱えた缶ジュースの山からオレンジジュースを一本、斎藤に手渡した。しかし、斎藤は受け取ろうとせず、真歩の顔とジュースの山の中間点に視線を彷徨わせていた。
嫌だな。真歩は直感でそう思った。これを第六感が働くとでも言うのだろうか。斎藤のえも言われぬ表情と醸し出す雰囲気が、いつもの彼女とは違う事を現していた。大抵、それはマリアの事だということも、真歩には三年間の付き合いで予想がついたのだ。
「・・・・・・・・・どうかした?」
「明日、自由行動ありますよね」
「あるけど」
修学旅行二日目は、各班の自由行動がメインだった。寺社巡りも良し、古い街並みを練り歩くのも良しで、夕方のホテル集合まで何でもありだった。真歩の班は嵐山に行く予定だったのである。
「私、この修学旅行で、自分にけじめをつけたいんです」
話題の飛躍は、恐怖の味がした。それ以上言わないでくれと真歩は内心願った。何となく、次の言葉に察しがついたのだ。
「マリアちゃんに、告白しようと思うんです」
ずんと胸に鋭利な刃物が刺さり、ぽっかり穴が空いたような感じがした。そこからぼろぼろと、肉片が剥がれていく。少しでも気を抜けば、両腕からジュース缶が落ちていきそうで、真歩は必死に平常心を保とうとした。
斎藤からマリアの事を打ち明けられた時。その時から薄々気づいていたじゃないか。ぐらりとした揺れが収まり、真歩は徐々に冷静さを取り戻した。とはいえ、返答に困った。喉の奥に大きいものがつっかえてるみたいで、声が出そうになかった。
黙って立ち尽くしている真歩を一瞥した後、斎藤は自分の足元を見つめながら話し始めた。
「前からずっと、マリアちゃんの事が好きだったんです。その、友達としてではなくて、異性として恋愛対象として。でも、普通おかしいじゃないですか。女の子が女の子を好きになるなんて。だから、今日まで一歩を踏み出せずにいた」
真歩が口を挟む隙もなく、斎藤は流暢に続けた。
「いつも真歩さんが相談に乗ってくれたから、私、ここまで来れたと思うんです。私だけだったら、自分の気持ちに嘘をついていたかもしれませんし。本当にありがとうございました」
「いいよ、そんな」
自分の声じゃない違和感を覚えながら、真歩は一つの疑問を感じていた。なぜ、わざわざ私に伝えたのだろう。
「実は・・・・・・真歩さんに訊きたい事があるんです」
斎藤の顔に少しばかりの陰影が浮かび上がったのを、真歩は見逃さなかった。エレベーターホールには、不思議と二人以外誰もいなかった。ただ、壁伝い取り付けられたランプが、赤い絨毯で敷き詰められた舞台を、その上に立つ二人を照らしていた。
少し間を置いてから、真歩は「何?」と言った。
「真歩さんは、マリアちゃんのこと・・・・・・好きじゃないんですよね?」
その瞬間、雷鳴とどろく稲妻が、頭のてっぺんから足先までを駆け巡っていくのを真歩は感じた。衝撃のあまり、何も思い浮かばない。好き、スキ、すき。変換処理も上手くいきそうにもない。ただ、唯一分かったのは、自分にとってマリアとはどんな存在であったのか、その一点のみであった。
その事実は、斎藤に最悪の結果をもたらすものである。しかし、一度認識してしまえば、もう今までの自分には戻れない。だが、真歩の眼には、斎藤の不安な表情が映っていた。それはまた、真歩に一つの過去を連想させた。
小学生の頃、マリアと互いを嫌いにならないと約束した、あの過去だ。なぜ今、あの映像が脳裏に流れたのか真歩には定かではなかったが、彼女にある決意を促せた。
真歩は取り繕った笑みを浮かべ、斎藤に優しい言葉を掛けた。
「安心して。私はマリアの事、そんな風に見てないから」
「良かった・・・・・・」
ほっと斎藤は息をついて、この事は二人だけの秘密にと念を押した。真歩は相槌を打ったのだが、視線は何も捉えていなかった。