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真歩がマリアと約束を交わしたあの日以来、真歩の取り巻く環境に変化が見られ始めた。今まで声をかけずらそうにしていた女子とも、マリアを介することで壁がなくなり、真歩自身も以前ほど「女子アレルギー」を抱かなくなった。男子とも、これもマリアのお陰なのか、また話す機会が増えてきた。
楽しくて仕方がなかった。今まで何を悩んでいたのか、自分でもおかしいと思うくらい、真歩はパステルカラーに彩られた日々を送った。その中心には、いつもマリアがいた。
地元の中学校に上がると、他の小学校から来た生徒と混じり、クラスが細かく分かれていく。その過程で、人間関係は掃除機のパックのように、新陳代謝を繰り返す。真歩の周囲も同様、目まぐるしく人が入れ替わり立ち替わりした。
しかし、マリアとの関係だけは不思議と消えることはなかった。素麺の束に入り交じった一本のピンクの色麺みたいに、大勢の中からいつでも見つけられることができた。
ただ、誤解を恐れずに言うと、真歩はマリアと大して仲が良かったわけではなかった。幼馴染みだったわけでも、同じ部活に入っていたわけでもないし、クラスがずっと同じだったわけでも、家も近所ではなかった。だから、一緒にいる時間は決して多くはなかった。
しかし、偶然廊下ですれ違った時にはいつも長話になって、一緒に帰ろうとか週末遊ぼうとか、無限に話が盛り上がった。また、一緒にいても苦痛になる事はなかった。だからといって飛び抜けて楽しいかと言われると、真歩はそれも違うような気がした。マリアの側に居ると、祖母の田舎に帰郷したような、落ち着きをもたらしてくれたのだ。真歩だけでなく、マリアも同じだった。二人は形だけのコミュニティに縛られず、ただ純粋に気が合ったのだ。
「マリア、高校どこに行くとか決めてる?」
真歩は学習机に顎をちょこんと載せながら、背後にいたマリアに聞いた。すべすべとした樹の手触を感じる机には、一枚のプリントがあった。B5用紙の中心に、志望校調査と大きなタイトルが書かれてある。勿論、枠内には何も書かれていなかった。
「決めてるよ」
素っ気ない調子でマリアは答えた。素っ気ないと言っても、別に不機嫌だった訳ではなく、真歩の部屋にあった少女漫画を読むのに神経を集中させていたからだ。丸テーブルに肘をつき、背中を真歩のベッドの縁にもたれさせていた。
「ええっ!」
真歩は驚愕の表情を浮かべ、立ち上がっていた。じっとマリアを見たあと、「ホントに?」と心許ない声で聞いた。
「うっそー」
マリアが茶目っ気たっぷりに笑うのを見ると、真歩は力なく椅子に座り込んだ。
「あーびっくりしたー」
「だってマリア、そのプリント無くしちゃったもん」
「それはそれでダメでしょ」
二人はなんとなく目が合って、吹き出して笑った。
中学二年生の冬だった。来年受験生ですと言われても、イマイチぴんとこなかった。真歩は平均より賢い方だったのだが、マリアは逆に平均よりも悪い方だった。しかも、マリアは英語が最大の苦手教科であり、逆に国語を得意としていた。ハーフ能力全然関係ないじゃんと真歩が突っかかったところ、実はイギリスにいた頃は英語を話す機会が全くと言って良いほどなかったらしい。
「じゃあ、英語は何も話してなかったんだ」
「ううん。話してたよ」
「じゃあ例えば?」
「ハロー」
こんな調子だから、たとえ嘘でもマリアが進路を決めていると言ったのは、真歩にとって驚くのも当然の事だったのだ。しかし、それとは別の、焦りのようなものも感じた。あと一年近くで、マリアと別々の高校へ行くかもしれない。そう考えると、真歩は時々無性に寂しくなるのだった。