12
ガタン。木と木のぶつかり合う音がした。マリアは椅子に背を預けたまま、仰向けの状態になっていた。その上へ覆い被さるように、真歩が四つん這いになって目下のマリアをじっと見つめていた。
音はなにもしない。人もいない。世界に、二人だけしか存在しない錯覚に襲われそうになる。
マリアの顔をこんなに近くで見るのは、初めてだった。肌のきめ細かさが、はっきりと見える。すっと通った鼻筋も、目元にある黒子も、耳から生えている産毛も。今まで明確に認識できなかったものが、全て手に取るようにわかった。
「ま、真歩」
マリアは撫でるような、甘い声を出した。顔をぷいと真歩から背け、腕をぐいと突き上げ真歩との距離をとろうとしている。しかし、その強さはあまりにも脆く、弱々しかった。西日がきついせいなのか、それとも羞恥によるものなのか、マリアの頬は滲むように赤く染まっていく。
無性に興奮しているのと同時に、微かな理性が働いているのが、真歩にはわかった。熱い吐息が口から漏れ、体が熱を帯びてくる。しかし、真歩はぴくりとも動こうとしなかった。
「真歩」
困っているのか、笑っているのか。マリアはまた、曖昧な顔をしている。それを見れば、真歩の心は痛んだ。
「マリア。私ね」
「・・・・・・うん」
「マリアの事が、好きなの」
「・・・・・・・・・」
眉一つさえ、マリアは動かさない。石像のように、冷静に、身構えている。その視線は、軽い軽蔑の意があるように、真歩は思えた。
ああ、そうか。
もう止めようとしたのだが、一度でも溢れ出た感情をせき止めることは不可能だった。
「分かってる。マリアが私の事、そう見ていないのも。マリアが誰からも嫌われたくないから、そうしたら誰かが自分を恨むかもしれないから、誰かを特別に愛さないことも。全部知ってる。でも、でもね。私、もう耐えられそうにない。だから・・・・・・嫌いなら嫌いって、早く言って。私を突き飛ばして」
「真歩。もういい、もういいよ」
そっとマリアの手が体を包んだ途端、真歩は暖かい抱擁感に包まれた。マリアの体は、真歩より小さいはずだった。しかし、ずっと大きく、柔らかい。絨毯に包まれた感じがした。
「私、また元に戻るから。だから、一日だけ。一日だけ、私の恋人になって」
マリアは何も言わなかった。目と目を合わせれば、自然と、吸い込まれるようにマリアの顔は近づいていく。
「じゃあ、約束、して」
額を付き合わした刹那、小ぶりなマリアの唇がぷるぷると動いた。それが恐怖なのか、悲しみなのか――――悦びなのか。やはり曖昧で、分からなかった。「絶対、今日だけだから」
「うん」
金色の髪を指で解かし、真歩はマリアの唇に触れた。滑らかな、それでいて冷たい、艶やか。二度目はマリアの方から求めてきた。真歩は思わず、目を瞑ってしまった。瞼の裏に、熱い、情熱的な色が塗られる。体を起こし、二人とも膝立ちの状態になった。夕陽はスポットライトのように、薄闇に染まった教室の中で、二人だけが照らし出されていた。
二人は体を付き合わせ、くねらせるように、蔦が絡み合って一つになっていくように、何度も、何度も、キスを交わした。
「私の事、ホントは好きなんでしょ」
「大っ嫌い」
マリアはそう言って笑った。霞草が風に揺れた、気配がした。