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「私、マリアと一緒の学校受けようと思うの」
吐く息が白く染まり始めた秋の夜。塾帰りに、真歩が打ち明けると、マリアは喜びと驚きが入り交じった表情を浮かべた。
「うっそ・・・・・・」
「何それ。喜んでるの?」
「だって、真歩ならもっと良い学校受けられるじゃん」
マリアの言う通りだった。真歩は塾内でも成績上位につけていて、常に呼び出しを食らってばかりの問題児のマリアとは、授業も別のクラスで受けていたのだ。
「もっと良い学校・・・・・・ね」
口から漏れる白い気体を細目で見ながら、真歩は焦れったい気分になった。おそらく、彼女は微塵たりとも、私の気持ちに気付いていないだろう。首元に巻いていたマフラーを鼻まで押し上げると、生暖かい息の感触がした。
マリアと一緒にいられたら、それだけで十分だった。偏差値も、世間の目も、就職も、制服の柄も、余計な物差しは一切いらなかった。
「マリア」
「なにー」
「私の側に、ずっといてくれる?」
「なになに、急に」
マリアは無邪気な笑みを浮かべた後、「いいよ」とけろりと言い放った。真歩はほっとしたのと同時に、他の人にも同じように答えるのだろうかという疑問を抱いた。きっと、そうなんだろう。
「マリアちゃんは、きっと、真歩さんの事が好きなんだと思います」
齋藤が遠くを見つめながら、糞真面目にこう言った。放課後、非常階段に腰掛けながら、真歩は内心嬉しかった。
「あり得ない。絶対」
「なんで、気付いてあげないんですか」
茶化すような真歩の態度に、齋藤の顔は一層真剣みを増していた。
「マリアちゃん。真歩さんの事になると、いつも嬉しそうに話すんです。小学校時代の真歩さんの失敗談とか、面白話とか。もう何回も聞いているのに、何回も新しい顔をして話すんです。修学旅行の班分けだって、真歩さんがいたから、マリアちゃんはあの班を選んだ。違いますか?」
「そっかなぁ」
しかし、今の真歩にはどうすることもできなかった。下手に近寄れば、崩れる。離れても、崩れる。それは真歩にとっては生き地獄に近かった。この想いを押しつぶしながら、マリアと「友達」でいなければならない。
いや、それで良い。それでも、私はマリアと一緒に居たい。真歩はいつしか、そう思うまでに深い海の底へ沈み込んでいた。
結局、二人は同じ高校に入学した。部活を決めようとなった際に、真歩は部員がおらず廃部状態だった写真部にマリアを誘った。写真など、これっぽっちも興味はなかった。ただ、真歩はマリアと一緒に居られる時間を作りたかったのだ。マリアは美術部と兼部する形で、写真部に入ってくれた。
写真部の部室は元々、旧校舎ではなかった。タイルもぴかぴかに輝いている新校舎の三階の隅にある、小さな会議室が部室だった。しかし、同じフロアに三年生の教室があり、放課後も居残って勉強をする生徒がいて騒々しかった。二人の時間を邪魔されたくない。真歩は、今や誰も寄りつかない旧校舎の一室を新しい写真部の部室とした。
進級した時、写真部に入りたいと願い出る新入生もいた。だが、真歩は片っ端から断った。いつも部室には二人だけしかいない。後は、山のように積まれた机と椅子、古びた床、色あせた黒板、その他諸々のガラクタしか存在していなかった。
全て、マリアのためだった。
マリアといえば、特に不快感もなく、楽しそうにしていた。しかし、真歩は言わば、横に傾けられた砂時計だった。空っぽになることもなければ、満たされることも永久に叶わない。楽しそうにしていたとして、果たしてそれは心から楽しいからなのだろうか、それとも嫌いにならないために偽物の笑みを浮かべているだけなのか、真歩には分からなかった。
ならば、尋ねれば良いのか。真歩は幾度となく、「マリア、私といて楽しい?」と聞いた。その度マリアは決まって、「楽しいよー。変な真歩」と返した。そこまでくれば、蟻地獄に嵌まってる心地がした。
誰にも嫌われたくない。マリアの頑なその精神は、真歩にとっては痛みでしかない。マリアに触れようとすれば、肌の感触ではない、棘の鋭利な感触がした。それでも手を伸ばしてみる。しかし、背伸びしても、歯を食いしばってみても、マリアには触れられそうになかった。棘の壁が何重も張り巡らされ、ぶすぶす、腕を突き刺す。やがて諦めて、手を引っ込めるのだ。
棘の繭の中にある霞草は、一体どんな色をしているのだろうか。小ぶりな純白の花弁を持ち、さらりと風に揺れているのだろうか。考えていけばいくほど、しかし、第六感めいたものが警報を鳴らす。もし彼女に嫌われたら。私はまた、一人になるのかもしれない。
そんな危惧を抱けば、真歩にはそれ以上見当もつきそうになかった。