表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霞草  作者: 椋原紺
10/12

10


 六月の中旬に差し掛かり、制服は半袖に衣替えした。しかし、連日あいにくの雨模様が続き、そろそろ梅雨入りなのだろうかと、真歩は空を見上げては憂鬱になっていた。

 突然斎藤が学校に来なくなったのは、そんなある日だった。その次の日も、また次の日も、斎藤の席に座る者は誰もいなかった。一日一日経過していく度、真歩はどんどん陰鬱になっていった。

 それに追い打ちを掛けるかのごとく、マリアの様子も日に日におかしくなっていった。授業中、意味もなく外の気配を気にしたり、笑顔もどことなくぎこちない。誰かと話しているときもいつも上の空だった。それは、真歩であっても例外ではなかった。

「それで私が――――聞いてるマリア?」

「・・・・・・ああ、ごめん。ぼけてた」

 申し訳なさそうに苦笑するマリアを見れば、不意に胸騒ぎを覚えた。夕焼けが薄い夕闇に飲み込まれようとしている空模様もまた、真歩の心を不安にさせるのだった。

 ついに我慢の限界を迎えた真歩は、今日こそマリアに問い詰めようと強い決意をしていた。わざわざ部活を休んでまで、こうしてマリアと一緒に帰宅しているのも、全てはそのためだった。

「何かあったの?」

 サスペンス・ドラマで刑事が容疑者に探りを入れるように、真歩は尋ねた。

「ううん、別に」

「嘘」

「嘘じゃないって。心配しすぎなんだよみんな。ちょっと風邪気味だから、ただそれだけ」

 マリアはこの日、五時間目を保健室で休んでいた。飛び抜けて明るく、かつ健康だけが取り柄のような人間だったから、クラス中はちょっとした騒ぎになっていた。

「そっか」

 真歩は傘をぷらぷらさせながら、黙り込んだ。レンガが埋められた歩道のすぐ横は、あせあせと車が帰り道を急いでいる。びゅん、びゅんと、二三回車が横切った後、マリアの目の前に立った。

「――――斎藤さんと、何かあったの」

 足を止めたマリアの顔が、一瞬、ぴくりと動いた。しかし、また落ち着き払った朗らかな老婆のような表情になって、「全然」とマリアは首を振る。

「何か、あったんでしょ」

 さっきより口調を強め、真歩はマリアを見下ろす。彼女の背景には、黒い海の漂っているみたいな空があった。すると、マリアの金髪も、輝きを失った宝石のように見えた。

「好きです、って言われたの」

 マリアは哀れむような、寂しいような、何とも言えぬ表情を浮かべていた。視線は道端に生える雑草に向けられ、風が吹くと無造作に髪を抑える。真歩もまた、少しばかりは驚いたものの、平然と構えていた。前述のように承知済みであり、それより先の答えを求めていた。

「で、どうしたの」

 マリアは少し躊躇って、その間に車がびゅんと過ぎ去っていくのを確認してから、口を開いた。

「断った」

 ごくり、と喉が勝手に鳴る。斎藤が不登校になったのを考えれば、大方予想はついた。だが、改まって本人から言われると、その衝撃はやはり凄まじかった。真歩は佇んだまま、うんんともすんとも返せなかった。

 驚いたのは確かだ。しかし、それは何色だと聞かれると、明確ではなかった。悲しみ、哀れみ、怒り、喜び。全ての絵の具がパレット上に溶かれ、何者とも思えない、不気味な色を見せていたのだ。

「なんで」

 やっと出てきた答えを、マリアは間髪入れず返した。

「私、約束したじゃん」

「約束・・・・・・」

「私は真歩の事嫌いにならないから、真歩はマリアの事嫌いにならないって」

「いや、そうだけど」

 何の関係があるのか、真歩にはすぐに理解できなかった。そんな真歩に、出来の悪い生徒を叱るよう、マリアは優しく諭すのだった。

「特別誰かを好きになるってことは、誰かをその分嫌いにならなきゃいけないでしょ。嫌いになるのも、嫌われるのも。私はいやだから」

 そこまで話すと、マリアはぱっと顔を輝かせ、「はー。真歩に話せてすっきりしたかも」と声を弾ませた。しかし、真歩は相変わらず曇り模様の顔色を浮かべながら、声を出すこともできなかった。

 


 


 



 とうとう世間では梅雨入りが発表され、じめじめと湿気漂う日々が始まった。真歩は一向に晴れない面持ちを抱え、マリアの本意をずっと考えていた。マリアはあの日以来、ネジをまき直したオルゴールみたく、いつものように人だかりの中心に立ち、皆とわいわいと話していた。その輪の中に、また学校へ来るようになった齋藤が入っても、違和感なく譜面通りの旋律を奏でていた。

 その光景を見ると、真歩は何だか切ない気持ちになった。嫌いになるのも、嫌われるのも、いやだ。輪の中に混ざるマリアが、一瞬哀しそうに見えたからなのかもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ