15
能天使を処断した俺は、そのまま『世界庫』の扉を閉め、元の世界へと戻って来た。
「……ッ!?」
その瞬間、俺をすさまじい空腹感……否、飢餓感を襲った。
それだけではない。
深い眠りに誘うような……強烈な睡魔も俺を襲う。
だが、今は睡魔よりも飢餓感の方が圧倒的に強かった。
これは……非常にまずい。
どうやら俺は予想以上に睡眠に入る前の大戦で力を使っていたらしく、目覚めた今も回復しきれていないようだ。
その結果、俺は今耐え難い飢えに苛まれている。
ああ……迂闊だった。
力の確認をするにしても、もう少し上手く出来ただろう。
俺はその場で膝をつくと、必死に込み上げる飢餓感を抑えつける。
抑えなければいけないのだ。
「あ――――」
俺の視界に、静かに眠るセオルドとミリアが入る。
……ああ……。
なんと……なんと――――。
「美味そうな――――」
思わずこぼれ出た言葉に気づくと、俺はすぐにその場に散乱していた瓦礫の欠片を掴み――――口に入れた。
「ッ! ッ!」
自身の飢えを押さえつけるように、俺は周囲の瓦礫を貪り食らう。
だが……まだ、足りない。
まだまだ、足りないのだ。
こんなものでは、俺の飢えは満たせない。
「ッ……ふぅ……」
周囲の瓦礫をひたすら食べ続けた俺は、何とか飢えを抑えられるところまできた。
とはいえ、本来なら抑えようと思って抑えられるモノでもない。
事実、少し落ち着いたとはいえ、飢餓感はなくなったわけではないのだ。
ただ、抑制しているだけ。
急いで何か食べ物を口にしなければ……俺は世界そのものを食べてしまうだろう。
陸を。
海を。
空を。
そして――――『人間』を。
『人間』でいう心臓部分に手を当て、俺は目を閉じて深呼吸をした。
「まったく……我ながら情けない。そしてつくづく不便な体だな」
俺は静かにその場に立ち上がり、冷静な感情でセオルドたちを見た。
「……取りあえず、この【食欲】は【睡眠欲】で打ち消せそうだ。それも、普段の睡眠で何とかなるだろう。まあしばらくは力も使えぬかもしれぬが……。そして今回は【性欲】が出てこなくてよかったと喜ぶべきか否か……難しいところだが、【性欲】だった場合はそれはそれで大惨事だからな。今は良しとしよう。それよりも、残りの天使どもを――――」
そこまで言いかけて、俺はこの周辺に近づく多くの人間の気配に気づいた。
「この気配は……ふむ。どうやら俺の出る幕はないようだ」
近づく気配の中には、【ラグナロク】の長をしているグレイドの気配と、同じく【ラグナロク】の保険医をしているヴィオラの気配があったのだ。
「どうやら救援が来たらしいな。この戦力ならば何の問題もなかろう」
グレイド一人でも大した苦労せずに済むだろうが、他の人間たちの気配も強大であり、この場にいる天使どもの相手をするには過剰戦力すぎた。
「他の天使どもや神々が出てくる気配もない……ならば俺は早く退散して食事だな」
俺は首にかけられたネックレスの漆黒の石の部分を掴んだ。
その瞬間、俺は周囲の、この星そのモノに溶け込むようにして消えていく。
俺が使ったモノは【自然の欠片】と呼ばれるものであり、効果は単純かつ絶大。
この星そのモノに同調し、何者からも姿や気配を察知できないようにする効果があった。
俺がその場で姿を消した直後、グレイドたちがセオルドたちを見つけた。
「セオルド君、ミリア君!」
グレイドはすぐにセオルドたちに近づき、安否を確認するとホッと溜息をついた。
「無事、か……だが、この服を見る限りとても無事だったとは思えないのだが……」
グレイドの言う通り、ミリアの服などは腹部が完全に破けているし、セオルドの服もボロボロで血まみれだ。
普通に考えれば無事であることのほうがおかしいだろう。
グレイドは周囲を見渡したあと、ヴィオラに声をかける。
「……何はともあれ、無事で何よりだ。ヴィオラ君、彼らをすぐに病院へ。君は彼らに付き添いなさい」
「かしこまりました」
ヴィオラはミリアを抱え、セオルドをほかの部下らしき人物に抱えさせるとその場から離れていった。
「……一体、誰がこの惨状を救ったのだ……?」
俺はミリアたちが無事保護されたのを確認すると、グレイドの問いかけに答えることもせずその場から静かに去るのだった。
◆◇◆
――――【討滅院】。
それは【天使】や【神】、そして【悪魔】などを相手に戦う【討滅者】たちを管理する組織だった。
「……」
神々しい白銀の長髪に、まるで神々が丁寧に作り上げたかのように完璧に整った顔。
黄金比率といってもいいほどに女性として完成されたその体は、世の女性が求めてやまない美の究極の一つであろう。
彼女の美しさは容姿だけにとどまらず、一つ一つの所作も美しく洗練され、どこまでも高貴な気配を身に纏っていた。
そんな彼女の宝石のような青色の瞳は、目の前の書類へとむけられていた。
「失礼します」
そんな彼女のもとに、スーツ姿の生真面目そうな女性が現れる。
「何か用ですか?」
そんなスーツ姿の女性へ、神々しい女性は書類から目を離すことなく美しい声音で問いかけた。
その声と姿にスーツ姿の女性は一瞬で心を奪われそうになるが、すぐに自制した。
「は、はい。グランディオ王国での天使の襲撃に関する報告に参りました」
「そうですか。それで? 無事に終わったのですよね? 死傷者は何人ですか?」
「そ、それが……」
「? どうかしましたか?」
突然言いよどむスーツ姿の女性に、彼女は初めて目を向け、首を傾げた。
「……それが、死傷者の数が圧倒的に少ないらしく、また救援に駆け付けた時には不自然なことに、服装はボロボロで体は無傷だという者が多くいたそうで……」
「……どういうことですか?」
スーツ姿の女性の報告に彼女は眉をひそめた。
「どう考えても今回の襲撃は救援がなければ対処できないような戦力差だったはずです。悔しいですが、天使たちの陽動に騙されて戦力を割いてしまったわけですし……」
「はい……実際に、救援が来るまでの間は絶望的だったそうです。ですが、救助された者たちは街全体を覆っていた『神聖結界』がなぜか崩壊し、その直後に聞こえたというとても綺麗な音を聴いてすぐ傷が癒えたと……」
「綺麗な……音……?」
その報告の内容を受けた彼女は、目をかすかに開く。
そして、漆黒の髪と夜空を思わせる黒い瞳を持つ一人の男が脳裏に浮かんだ。
「そんな……まさか……」
だが、彼女はその男の姿を、大切に、そっと記憶の中にしまった。
「……いえ、何かの間違いでしょう。あの方は、もう……」
「あ、あの……?」
「……何でもありません。報告は受け取りました。もういいですよ、下がりなさい」
「は、はい!」
スーツ姿の女性は勢いよく返事をすると、退出していった。
彼女はそれを見届けると、寂し気に微笑む。
「ご主人様。私は、貴方様とのお約束を守れているでしょうか――――」
その呟きは、静かな部屋に消えていくのだった。




