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ソラミ  作者: 一筆
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 空から降り注ぐのは雨や雪。それから光。

 彼女が待っていたのはその光。かつてぼくらが空を見上げていたころに輝いた光。その光の源は〈シリウス〉。そこまでの距離は約八・五光年。八年と半年前に放たれた光が、今頭上で瞬いている。

 ぼくらが小学生のとき、あの夜空を見上げたころ、隠れるように発した明りが今見えている。

「ね。なんだか不思議」

 堤は言う。

「私からしてみれば、今見えている〈シリウス〉っていう星は、《おおいぬ座》の一等星であり地球から見た恒星の中で太陽の次に明るい星っていう説明や意味だけじゃなくて、『小学生のころ見上げた空の影で瞬いた星の光』っていう意味があるの」

 みんなみんな、特別な思いとかを何かに写している。だから、他の誰かにとってはただの何かにすぎなくても、誰かにとっては素晴らしい何かなのかもしれない。

「今夜私が見た星には、やっぱり私個人の思い出が詰まることになると思う。それは、恒野つねのくんと一緒に見上げたっていうこと。それを私はこの星々をいつかまた見たとき思い返す。思い返せる」

 恒野つねのくんにとっては、どうかな――

 ぼくは滔々と語った堤に、携帯電話の画面を見せた。そこにはこれまでの文章に加えて、もう一文つけたされている。

「『双眼鏡で覗いた先に切り取られた明りが見えたように、今日の星空だって切り取れる。』」

 気になったのだろう。堤は読み上げた。それからぼくの顔を見た。

「私も、切り取っていい?」

 双眼鏡を吊っている帯を首から外して、堤に手渡した。彼女は頬笑みながらそれを受け取った。「ありがとう」と言い、空を向いてそっとレンズを双眸にあてた。

 彼女恍惚とした声音できれいだとつぶやいた。

 それからしばらく、彼女は星を眺めては嘆息をはき出していた。それを見ながら、ぼくはぼんやりとしていた。

 明日は土曜日だし、朝まで外にいても平気。堤は突然、冗談みたいにそんなことを言った。

「本気よ」

 だけれど、ぼくはもう眠たかった。それに、やはり寒い。堤は寒くないのかと、携帯電話を使って伝える。すると彼女は、「そんなのは気にならない」と答えた。

「だけど、そうだね。やっぱりもうそろそろ帰ろうかな」


 ぼくが声を失ったのは小学五年生のとき。ある日突然といってもいい。朝起きたら、ぼくは自分の声が聞こえなくなっていた。だけれど、他の音は聞こえる。鳥の鳴き声や車の音、キッチンで母さんが料理をする音。

 なのに、ぼくの声だけが、聞こえない。

 ああ、ぼくは声が出せなくなったんだな。そう気付いた。

 昨日まで普通に話していたぼくが突然話せなくなったことに、ぼく以上にクラスメイトたちの方が大きな反応をみせた。心配してくれて、悲しんでくれて。そうしたら、ああ、そうか、ぼくは今不幸なんだなってわかった。だけれどしばらくすると彼、彼女らはぼくを避けるようになり、言葉をかけることすらしなくなった。いちいちぼくは紙に言葉を書かなければコミュニケーションが取れないのだから、面倒には違いなかった。

「ねえ、もう慣れた?」

 堤だけがしばらく経ってからも話しかけてくれた。とはいえ堤はクラスが違ったためそう会うことはなく、会ったとしてもそれは下校途中の偶然に頼ったものであった。

 口のきけないぼくに対して、堤はひたすら話しかけ続けた。それははたから見たら異様な光景だったのかもしれない。言葉でリアクションが返さないのに話しかけ続けてくる堤に、疑問とか懸念を覚えた。何がしたいのか、わからなかった。

『どうして、ぼくにかまうの? ぼくは、答えることができないんだよ?』

 ある日の帰り道で会ったとき、ノートと鉛筆をランドセルから引っ張り出してそう書きつけた。堤はそれを読んで、「だからだよ。だって、ひたすら話を聞いてくれることなんて、普通ないじゃない」と答えた。なるほどね、と思った。彼女はぼくを、ある種掃き溜めのような存在としてとらえたらしい。

「話したいことを話せるんだもの」

 それは中学生になっても同じで、朝の教室とか帰り道でぼくは堤のお喋りにつき合うことになった。高校は別々になったため、さすがにそんなことはなくなったのだが。

「ほら、これ私の携帯電話のアドレスと番号」

 そう言って彼女はぼくの携帯電話に個人情報を登録した。つい先日のことだ。帰宅途中、偶然ぼくは堤に見付けられた。

「いつでも連絡頂戴。逆に話を聞いてほしいときはかけるから」

 じゃあね、と言って彼女は去っていった。

 ぼくからは彼女に自分のアドレスや番号は教えていなかったので、とりあえずこちらから連絡を取るようなことはしなかった。

「じゃあ、私に君のアドレスとかを教えてもらおうか」

 ソラミの帰り道で、堤はそう言った。

「君だけ私の情報を知っているのはアンフェアじゃないか」

 なるほどね、と思いかけたが、いや違うだろう。堤の方から勝手に教えてきたんじゃないか、と言い返したくなった。

「ほれほれ、いいから携帯電話をよこす」

 抵抗する間もなくぼくの携帯電話は堤に回収された。勝手に人の携帯電話の中身を見るのはどうかと思うが、反論などできもしない。

 ――また、堤の話を聞き続けなくてはいけないのか?

 すこし厄介に思えたが、天体の話が聞けるのなら、それはそれでいいのかもしれない。メールでなら、話すこともできる。

「じゃあ、これまで通り待ってますんで、連絡よろしくお願いします」

 そう言いながら、堤は携帯電話をぼくへ返した。ぼくはそれを受け取りながら、堤が今なんと言ったのかを反芻した。それから、返ってきた携帯電話にメール画面を開かせ、文字を打った。

『どういうこと?』

「どういうことって?」

 確かに。いったいぼくは、何が聞きたかったのだろうか?

 返答に迷ってうつむいていると、堤はぼそっと呟いた。

「きみが話したいことを、これまで通り待っています」

 堤の頬笑みが、闇夜の中でやけに明るく見えた。

最後までお読みいただき誠にありがとうございます。

この物語が、読んでいただけた方と星空との接点になれれば――星空に何かしらの意味を見出している方の、その意味のひとつに居座らせていただければ、僕にとって僥倖そのものです。

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