ONE LIFE
このたび東北地方太平洋沖地震により、被災されたみなさまには心よりお見舞い申し上げます。
この掌編には今回の地震に関しての描写があります。使い方が良くないかなとは思いましたが、書いた時期がはっきりわかるような作品に仕上げたいという願望があったので、そのような描写を使用しました。
僕が個人的に思い入れがあるthe pillowsの楽曲『ONE LIFE』を聴いて、これを書きました。
the pillowsのメッセージを少しでも再現できていたらいいなと思います。
善と悪、本物と偽物、そんなテーマです。
読者様に少しでもそういったことを考えていただける作品になっていれば幸いです。
揺れる車両の真ん中の席で、俺と妹は窓の外を眺めていた。
東京から、群馬の田舎に向かって東武線を使ってゆっくりと下る。東北で起きた日本観測史上最大の大地震の影響で特急は運行停止だった。
群馬に入ると、しばらく同じ様な景観となる。のどかな田園が一面に広がり、遠くに山が見えるのだ。
車両内には俺と妹以外の乗客は見えない。もうすぐ午前十時を回る時間帯だ。電車の利用者は少ない。
窓から差し込むやわらかな朝日影が暖かく心地よかった。
「変わらないね」
来週十四歳になる妹、咲は窓の外に向けた視線をそのままに、静かにそう言った。
「着くまでしばらくこんな風景だぞ」
「違うよ、八年前と変わんないな、って」
「あぁ……そっちか。八年前、懐かしいな」
俺たちは八年前まで群馬に住んでいた。それから、東京に引っ越したのだ。それっきり、故郷には訪れていない。訪れることが出来なかった。
「お前、覚えてるのか? 五歳の頃のことだろ」
「うん。なんとなく」
咲は嬉しそうに微笑んだ。こんな表情は久しぶりに見た気がした。俺が連れ出すまで、咲はずっと、毎日悲しげにしていたから。
「ねぇ、あとどれくらいで着くかな?」
「……うーん。一時間くらいかな。特急使えないしなぁ」
「あたしはこれで良いと思うな。のんびり、緑を見ながら、昔を想い出すの」
――そうか。
咲にとっては、これで良いのかもしれない。今までずっと、少しずつ削り失われ、これから完全に失ってしまう思い出の中の、大切な記憶を呼び起こしているのだから。
「お兄ちゃんは、悪人になっちゃうのかな?」
咲は悲しげに笑いながら、俺を見た。
「咲は俺を恨むか?」
「恨まない。恨むわけないよ。あたしをここまで連れてきてくれたんだよ?」
「そっか。だったら、俺は悪人じゃあないよ。罪人かもしれないけど、悪人じゃない。お前がそう言ってくれるなら……」
涙が頬を伝うのが分かる。泣かないと決めたのに、堪えきれない寂寞が、俺に涙を流させる。咲は俺の涙に気づいているだろう。……だけれど、何も言わない。言わないでくれる。
俺は、妹を殺すのだ。
地震が起きてから八日が経つが、それよりもっと、ずっと前のことだ。妹が死を宣告されたのは。
咲はずっと病気がちだった。小さな頃から。八年前、もしかしたらそれより前から。
東京に引っ越したのも、治療のためだったのかもしれない。免疫不全系の重い病気。入退院を繰り返して、年々入院生活の方が長くなっていく。
そして先日、遂に咲は決定的な病状の悪化をみせた。本当は外を出歩いていい状態じゃない。治療をしてもひと月、数日間でも治療を怠ればすぐにでも、妹は死ぬ。
それを誰よりも知っていて、俺は妹を病院から連れ出したのだ。地震の影響で混乱した病院と医療スタッフと普段なら厳しい警備の、僅かな隙を狙って、俺は妹を連れてあの白い鳥籠を抜け出した。残された時間を急激に縮めても、俺は咲に幼い時を暮らした田舎を見せてあげたかった。
地震の影響は俺たちの愚行を後押ししたのかもしれない。けれど、俺と咲にとっては愚行などではないのだ。決死の覚悟で、最期の幸福を望んだのだ。
「あたしね、最高の誕生日プレゼントを貰ったよ。叶わないって諦めてた願いを、お兄ちゃんが叶えてくれたから」
「俺はお前に何もしてやれなかった。今だって……いや、今はしてやれることがやっとできたのかな」
寸前で、俺は語尾を濁した。本当は不安でしょうがない。……今だって、これが本当に正しいことなのかって――いや、正しくないのは解ってる。正しいか間違ってるかではなく、これが本当に妹の、咲の幸福だったのか。それが、分からない。
咲は寿命を限界まで縮めることになった病状の悪化から、一時的に回復した状態だ。次に咲が意識を失ったら、その後はもう目を覚まさないだろう。それを担当医から聞いた咲は、命が消える前にもう一度故郷が見たいと願った。当然、医師も両親もそれを許さなかった。たとえもうすぐ消える命でも、最後の最後まで、延命したいというのが彼らの意志だった。
でも、彼らは知らない。咲が叶わない願いを夢見て、毎晩泣いていたのを。
「ねぇお兄ちゃん、ひとつ、訊いていい?」
「あぁ」
「あたしが故郷を見たいって言ったとき、お兄ちゃんはあたしを連れ出すって決めてたの?」
「……それは」
それは、違った。俺だって妹が死ぬという現実を受け入れられなかった。できる限り長く俺の傍に居て欲しかった。
「最初は、そんなこと出来ないって思った。でも、だんだんお前の望みを叶えてあげたいって思いが強くなって、そんなときに、あの混乱が起きた。……俺は間違ってたのかな」
「間違ってるよ。もうすぐ死んじゃう小鳥をもう一度空を飛ばせてあげるために鳥籠から逃がして……どうせ、消えてしまうのに、叱れるようなことをしちゃうなんて……」
「それでも、俺は咲の正義でいたかった。他の誰かに悪だと非難されても、歪んだ正義だとしても――」
――俺にとって本物の存在は、唯一お前だけなのだから。
「あたし、誕生日まで元気でいられたらいいな」
「キツいか?」
「ううん、まだ平気」
今の咲は、信じられないくらいに元気だ。もうすぐ消える命の火が、最期の輝きを見せてくれている。
窓の外では、見覚えがある風景が左から右へ流れていく。遂に、俺たちは旅の目的地に着こうとしていた。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「お願いがある」
咲は真剣な表情をこちらに向ける。
「何?」
「お兄ちゃんはお兄ちゃんでいてね。これからどんなに非難されてもあたしを最高に喜ばせてくれた、大好きなお兄ちゃんでいてね。この懐かしい風景みたく、いつまでも変わらずに。どんなに周りが変わっても、お兄ちゃんの人生はお兄ちゃんだけのものだから」
「……ああ。約束する。俺は元気に俺の人生を生きる」
咲はそれを聞いて黙って涙を流した。つられて俺まで泣いてしまった。
俺は、俺のしたことが咲の本物の幸福に繋がると信じていたい。それが真実かは俺が決められることではない。だけれど、咲の命の火をもらって、俺はこれからも歩き続ける。
たった一つの命を繋いで。
拙作を最後まで読んでいただき、感謝します!
前書きにも書かせていただきましたが、この掌編はthe pillowsの『ONE LIFE』を参考にしています(著作権に関するガイドラインは順守してますが)。『ONE LIFE』を聴いていただけると、より解りやすい話かなと思います。僕の実力不足もあり、伝えたいことが十分には伝わってないかと思うので……;;
何が正義で、何が悪か、それは簡単には決められないことであり、決めていいものでもないと思います。偽物の幸福のための善か、本物の幸福のための悪か。本当の意味の「正しさ」とは何なのか。
常識やルールは、自由を守る為のものかもしれませんが、「正しさ」を縛る鎖なのかもしれません。
それが「本物」か知ることはできないけれど、信じて選ぶしかないのが人間なのかもしれませんね。
陳腐な内容だったかもしれませんが、何かご感想を頂けたら嬉しく思います。