第九話:そして最後につながった(最終話)
戴冠式を翌日に控えた、静まり返った深夜のことだった。
エルザは、胸を騒がせる予感に突き動かされ、眠りにつけずにいた。寝間着のまま城のバルコニーに出て夜風にあたっていると、眼下の暗がりに一人の人影を見つけた。
(リュカだわ、なんでこんな時間に?)
エルザは高鳴る鼓動を抑え、二階のバルコニーづたいに気配を消して彼を追った。
そこで彼女が目にしたのは、旅装束に身を包んだリュカと、彼に支えられて立つリアナの姿だった。
二人は、エルザが知るはずもなかった「真実」を分かち合っていた。
「リアナ様、準備はすべて整いました。爵位も王族の地位も、この門を越えればすべて過去のものです。……これからは、一人の男としてあなたを守り抜くと誓います、愛しているリナア」
リュカの声には、エルザに一度も向けたことのない、深く静かな慈しみが宿っていた。
「ええ、リュカ。私も、あなたの妻として、新しい世界を見たいわ」
リアナは頬を赤らめ、リュカの首に手を回すと、二人は熱い口づけを交わした。
石柱の陰で、エルザの世界は音を立てて砕け散った。
何が起きているのか、理解できない。脳が情報の処理を拒絶し、歪な思考が渦を巻く。
(リュカが、リアナを愛していると言った? ……違う、リュカが愛しているのは私。なら、私の名前が『リアナ』なの? 私は生まれてからずっと、自分の名前を偽られていたの? じゃあ、リアナを名乗るあこ女は誰? あの魔女?)
エルザの視界から色彩が消えていく、世界は輪郭線だけの白い虚無へと変わった。音が消え、距離も、上下も、自分という存在の境界すら曖昧になっていく。
「私はだれ?どこにいくんだっけ?」
その白光の中で、ふと、幼い日の残像が手を差し伸べた。
「ああ、そうだ……。約束したんだっけ。行かなくちゃ約束の場所に……」
エルザはふらふらと歩き出した。
彼女の目には、妄想が作り出したリュカの幻が、優しく手を引いているように見えていた。鋭い枝が皮膚を切っても、痛みも熱さも感じない。ただ、心地よい浮遊感の中を、幻に導かれて進んでいく。
やがて、夜風が神木の枝葉を揺らし、エルザの頬を優しく撫でた
その感触に、一瞬だけエルザは正気を取り戻す。
エルザは神木の高い位置、太い枝の上に立っていた。目の前にあったのは、かつて作ったあの大きなブランコだった。もちろん、隣にリュカはいない。ただ一人、暗闇の中に立ち尽くす自分。
「……本当は、分かってた。リュカは最初からお姉様が好きなんだって。お姉様は、最初から何も悪くないんだって……」
乱れた髪、涙で濡れた頬。悲壮感の漂う表情で、エルザは一人、ブランコに腰を下ろした。
「でも、もうつらいの……耐えられない。終わらせましょう」
エルザは、死のブランコを漕ぎ出した。
放物線を描き、風を切る。神木の巨大な幹に向かって、身体が加速していく。
「この国の神様、最後は私を包み込んでください。……ああ、でも。最後はこの右足に、痛みを与えてほしい。もう私には、何も感覚がないから……」
激突の直前、エルザは渾身の力を込めて、感覚を失った右足を突き出した。
――凄まじい衝撃音が、静寂を切り裂いた。
二日後。
行方不明になっていた王女エルザが発見されたとの報せを受け、エドワードは神木の元へと急いだ。
そこで目にした光景に、屈強な騎士たちですら悲鳴を上げ、目を背けた。
そこには、右足を神木の幹に深く喰い込ませ、逆さまに吊り下げられたまま動かなくなったエルザの姿があった。
右足の骨は靴底を突き破り、楔のように神木の幹に深く打ち込まれていたのだ。
彼女が最期に望んだ「痛み」は、余りに残酷な形で叶えられていた。
「引き抜け! 早くしろ!」
エドワードの号令で大の大人五人がかりで取りかかったが、彼女の脚は神木と「結合」したかのように一体化し、どれほど力を込めても引き抜くことはできなかった。
それは、想い人と繋がろうとし続けた彼女が、最後にようやく手に入れた、永遠に離れることのない、たった一つの結合だったのだろうか。
神木の枝葉は、変わらず優しく風に揺れていた。
まるで、ようやく眠りについた幼子を、静かにあやす揺り籠のように。
このエピソードは本編「暗殺依頼を受けたらとんでもない事になった」の関連作品であり、本編の核心的な内容となっている為、双方のネタバレにならないように書いています。
全ての結末は本編が執筆完了すれば分かるようになっています。




