第八話:妹の本音
アストレア王国の深奥、神木がそびえ立つ断崖絶壁。そこが「王位継承の儀」の舞台だった。森を抜け、険しい崖の上に最初に辿り着いた者こそが、次代の王として認められる。
エルザにとって、この試練の目的はただ一つ。リュカの告白――「生涯仕えたい女性がいる」という言葉に報いることだ。
(もしお姉様が王になれば、彼はお姉様のものになってしまう。……そんなの、絶対に耐えられない!)
隣に立つリアナへ向ける視線には、かつてない嫌悪が混じっていた。
試練が始まると、エルザは圧倒的な速さを見せた。リアナが不安定な義足で慎重に道を選ぶ一方、エルザにはブランコ制作で培ったロープの扱いと、リュカと語り合ったことで得た森の知識があった。
しかし、運命は残酷だった。
突如、足元の岩場が轟音と共に崩落する。
「あ……っ!」
かろうじて指先が岩の縁に掛かるが、鋭い岩肌が容赦なく肉を割く。眼下には、霧に巻かれた底知れぬ暗闇。
(……死ぬの? 私が? 戴冠を前にして……)
薄れゆく意識の中、浮かんだのはリュカの横顔だった。
(私が死んだら、お姉様が王になり、彼を娶る。二人はこの崖の上で、私の死を知らずに笑い合うのね……。それだけは、嫌……。リュカ、助けて!)
指が岩から離れかけたその時、白く細い手が、エルザの手首を強く掴んだ。
「エルザ! 離さないで!」
そこには、泥にまみれ、なりふり構わず崖にしがみつくリアナがいた。
つい先日まで車椅子なしでは立ち上がることもできなかったはずの姉が、義足を岩に食い込ませ、血を流しながらエルザを引き上げていく。
「……なぜ? あなたが先に行けば、望み通り王になれるのに!」
泣きながら叫ぶエルザに、リアナは激しい喘ぎを漏らしながら微笑んだ。
「王冠なんて、いくらでも代わりがあるわ。でも、私の妹は、あなた一人なのよ。……ごめんなさい、エルザ。私、あなたが寂しがっていることに気づいていなくて、ずっと自分の理想を押し付けていたのね。また、あの頃のように……仲良しだった私たちに戻りましょう」
その言葉は、エルザの胸の奥に閉じ込めていたわだかまりを、溶かしていった。
「お姉様……私だって、本当はお姉様と仲良くしたいわ……」
エルザの瞳から涙が溢れる。だが、その直後に沸き上がったのは、さらなる葛藤だった。
(リュカは『女王』に仕えると言っていた。リアナが王になったら、リュカはどうなるの? ……ダメよ。リュカだけは渡さない!)
救出され、リアナの背中を見送るエルザの脳裏に、ドス黒い衝動が過る。
(今日、ここで殺してしまえば……)
リアナは疲弊した身体で、殺意の視線を背中に受けながらも先へ進む。
リアナは岩場に手をついた瞬間、身体の限界が訪れた。義足に供給されていた魔力が途絶え、ただの木の塊に戻る。
祈りは届かず、リアナの意識は暗転し、彼女は冷たい土の上に崩れ落ちた。
後を追うエルザが見たのは、無惨に横たわる姉の姿だった。
かつて憎しみ、踏みつけてきた背中。しかし今、その背中は誰よりも小さい、呼吸は浅く死に絶えるの時間の問題かのように思えたり
(このまま置いていけば、リアナは死ぬだろう、そうすればリュカは私のもの)
冷酷なまなざしで見下ろすその顔に、自分を助けた姉の血の温もりがつたう。
ゴール地点。現れない二人に、エドワード大公やリュカの顔に不安がよぎる。
その時、森の影から人影が現れた。ボロボロの服をまとい、足を引きずりながら、エルザがリアナを背負って現れたのだ。
エルザは崩れ落ちるように膝をつき泣き叫んだ。
「助けて……! 誰か、お姉様を助けて!このままでは死んでしまうわ!」
リアナの体を抱きしめ悲痛な声がこだまする。
「かけがえのない、たった一人の肉親なの……! お姉様、今まで意地悪してごめんね! 本当は、また仲良くなりたかったの! お城に帰って昔みたいに遊びましょう、今度はリュカも入れて、三人で!だからお願い死なないで!」
儀式は、唯一意識を保って帰還したエルザの勝利で幕を閉じる。
数日後。リアナは王室専用の医療室にて順調に回復をみせていた。
エルザは王位継承権を得て、リュカとの結婚が確約されたと確信し、以前の毒気が嘘のように消えていた。
彼女の表情は聖女のように健やかで、右足の靴底には、もうリアナの肖像画はない。
踵を激しく鳴らして憎しみを刻む必要など、もうどこにもなかった。彼女はついに、愛する姉と、愛する男を同時に手に入れる「理想の幸福」を手に入れたのだから。




