第一話:行ってはいけないと言われた庭園で王女が見たもの
アストレア王国の中心にそびえたつ、宝石をちりばめた宝冠のような城。そのきらびやかな威容とは裏腹に、城の裏手には、人の手が入らぬまま時を止めた荒れ地が広がっていた。
そこを、二つの足音が通り過ぎていく。一つは、精巧な銀の車輪がぬかるんだ土を噛む重たい音。もう一つは、左右でわずかに重さのちがう、湿った草を踏みしめるいびつな靴の音。
双子の王女、姉のリアナは、車椅子という名の玉座に座りながら、背後で車椅子を押す妹のエルザへ気遣わしげに声をかけた。
「エルザ、ここの道は荒れているわ。あなたの細い足には毒でしょう? 今日はもう自室に戻りましょう」
裏庭へと続く道は、エルザが想像していたよりもずっと険しいものだった。背の高い雑草が道をふさぎ、湿った土がまとわりつくように車輪を重くさせる。しかし、エルザは姉を元気づけたい一心で、ハンドルを握る手に力を込めた。
「いいえ、お姉様。お部屋に戻るにはまだ早すぎるわ。道が荒れているから行ってはいけないと言われている場所だけれど、そこには息をのむほど美しい庭園があるらしいの。お姉様の瞳と同じ色をした、美しい花が咲き誇っているんですって」
「エルザ、もういいわ。このままではあなたが倒れてしまう……」
リアナが不安げに声をあげた、その時だった。
車椅子の前輪が、地面から蛇のように突き出した太い木の根に、がくりと深く沈み込んだ。
「あ――っ!」
エルザの細い腕では支えきれず、車椅子が大きく傾く。左右のバランスが悪いエルザの足は、泥に足を取られて踏ん張りがきかずに滑った。リアナの体が地面へ投げ出されそうになったその瞬間、茂みの奥から一つの影が飛び出した。
「おっと、危ない!」
荒々しいけれど確かな力強さを持った腕が、リアナの肩と背中をしっかりと受け止める。
エルザが息を切らしながら顔を上げると、そこには一人の青年がいた。粗末な麻のシャツの袖をまくり上げ、首には汗を拭うための手ぬぐいを巻いた、若き庭師だった。
「申し訳ありません、王女様方。ここは庭師以外、立ち入りを禁じられている場所でして」
青年――リュカは、怯えるリアナを安心させるように穏やかに笑った。彼は手際よくリアナを座席に戻すと、迷うことなく泥の中に膝をつき、車椅子の車輪をのぞき込んだ。
「右の車輪が歪んでいます。これではお体に響く。……少し、触らせていただきますよ」
彼は腰の道具袋から、使い込まれた小さな槌を取り出した。
カン、カン、という小気味よい音が静かな森に響く。リュカは作業をしながら、ふと顔を上げてリアナを見つめた。
「王女様、この先の花を見に行こうとなさったのですか?」
その問いに、エルザの表情が暗く沈んだ。
(お姉様に綺麗な花を見せて元気づけたかったのに……これじゃ、怒られてお城に連れ戻されてしまう……)
自分の不甲斐なさに、エルザは自嘲気味に目を伏せた。しかし、リュカは作業の手を止め、意外な提案を口にした。
「侍女もつけずにこんな場所に来るなんて、よほどこの先の花々を見たかったのですね。では、せん越ながら僕がエスコートいたしましょう」
その言葉に、エルザは弾かれたように顔を上げた。「危ないから帰りなさい」でも「かわいそうに」でもない。ただ、自分たちの願いを汲み、手を貸してくれるという言葉が、エルザの心に温かな火を灯した。
「よし、できました。……お嬢様、背中を預けてみてください」
リュカが膝をついたまま、リアナの目線に合わせて言った。リアナが恐る恐る体をあずけると、驚くほど滑らかに車椅子が動き出した。泥を噛んでいた振動が消え、まるで誰かの温かな掌に包まれているような心地よさだった。
「まあ……! 全然、揺れないわ。まるで、浮いているみたい」
「それは良かった。庭園のバラと同じです。支柱がしっかりしていれば、花は安心して空を向くことができますから」
リュカは車椅子のハンドルに手をかけると、エルザに向かって優しく微笑んだ。
「エルザ様、よければ俺が……僕が押しましょうか? こう見えて力仕事には自信があるんです。お任せください」
エルザがこくりと頷くと、三人は裏庭のさらに奥へと足を踏み入れた。
辿り着いた庭園には、息を呑むほど鮮やかな花々が咲き誇っていた。リアナがその美しさに目を奪われていると、隣に立ったリュカが静かに語りかけた。
「リアナ様、もしここに来たいのであればいつでも来てください。僕がエスコートさせていただきますよ」
「ありがとう、ここの花々は本当に美しいわ。……あなた、お名前を聞いてもよろしいかしら?」
「リュカと申します。今日のお嬢様は、どの花よりも綺麗ですよ」
リュカが屈託のない笑顔を向けると、リアナの頬がさあっと桃色に染まっていく。
その光景をすぐ隣で見ていたエルザは、弾んだ声で言った。
「リュカさん、今日はありがとう。……ねえ、よろしければ、今後もお姉様の車椅子を押していただいてもいいかしら?」
それが、三人の運命を縛り付ける、最初の一歩になるとも知らずに。




