第七話「揺れる視線、交錯する想い」
緊張と準備の続いた数日を越え、ついにその日がやってきた。北方マーレン国からの正式な使節団が、王城に到着する日である。
エミリアは、第一王女リリアのすぐ背後に控え、穏やかな面持ちでその到着の場に立っていた。衣装はいつも通り控えめだが、姿勢や視線の一点に乱れはなく、まさしく王女付き女官としての完成された所作だった。
ただ、その彼女を、離れた場所から密かに見つめる視線があった。近衛副長――カイル=ラングレンである。夜会以来、彼の中には妙な戸惑いが生まれていた。今までは“優秀で地味な女官”という認識で接してきた相手が、あの夜を境に大きく揺らいだのだ。
目に焼き付いて離れない。
あの時、仮面の下から現れた美貌と、信じがたいほど柔らかく訛った口調――そのギャップは、どこかで自分の内側を大きく動かしてしまった。
以降、彼は必要以上に話しかけることができなくなっていた。何を話せばいいのかもわからず、視線ばかりが彼女を追ってしまう。そして、その目は、今日もまた彼女の後ろ姿を捉えていた。
王宮の広間にマーレン国の使節団が到着し、荘厳な扉が開くと、一行の中でもひときわ異彩を放つ男が姿を現した。ジーク=ラドクリフではない。今回は正式な国の代表として、マーレン国の第二王子レオンハルト=ヴァルゼンが団長として派遣されてきていた。
黒髪に漆黒の瞳。貴族然とした細身の王子ではなく、体つきは明らかに鍛え上げられた軍人のそれであり、どこか野性の気配をまとっている。眼差しは鋭く、歩みに無駄がない。まるで戦場からそのまま来たかのような風格を持っていた。
その風貌と並んでリリア王女が歩み寄り、互いに礼を交わす。国王アレクサンダーに代わっての儀礼ではあったが、空気は決して和やかとは言えなかった。会談の空気の硬さを中和するかのように、王女が小さく微笑む。エミリアはその一歩後ろから、無言で状況を見守っていた。
対面の儀式が終わると、レオンハルトはふと視線を向け、エミリアを指名するようにして言った。
「滞在の部屋まで、ご案内願えるだろうか」
その要請を受け、王女が頷き、エミリアが一礼して前に進み出る。
「かしこまりました。どうぞ、こっちさおいでくださいまし――まんずは南の塔の、応接の間さご案内しますけんの」
さらりと口から出た案内の言葉に、レオンハルトの黒い瞳が一瞬だけ動いた。反応は控えめだったが、その沈黙の中に、明らかな“何かを飲み込んだ”気配があった。
エミリアの訛り――それがあまりに強烈なものであることを、彼は事前に聞かされてはいた。ジークがその“衝撃”を遠回しに語っていたのだ。だが、いざ面と向かって聞くその言葉は、想像以上に素朴で、そしてどこか温かかった。
――これが、王女の最側近なのか。
レオンハルトは内心で呟いた。油断も軽視もしていなかったが、どこかで想定していた“宮廷女官像”と、目の前の彼女はまるで異なっていたのだ。
エミリアに対して、レオンハルトは次第に言葉を重ねるようになった。滞在中の取り次ぎや書状の受け渡しを、すべて彼女に任せたいと願い出たのも、その延長だった。さらに夜会の席でのパートナーも彼女を所望したとき、ジークがほんのわずかに目を伏せたのを、カイルは遠目に見ていた。
――まさか、王女の影に控える彼女が、ここまで注目されるとは。
カイルの心には焦燥が渦巻いていた。
あの夜会以来、自分は彼女にまともに言葉もかけられていない。任務中に顔を合わせるたび、言いかけた言葉が喉で止まり、ぎこちない頷きしか返せていない。
彼女の姿が、ただの女官ではなく、“誰かの視線を惹きつける女性”として映ってしまったから。
その変化に、心が追いついていなかったのだ。
一方のエミリアは、いつも通りだった。目の前の任務を淡々とこなし、感情を乱さず、言葉も少ない。誰に対しても丁寧で、だが一線は崩さない。だが、カイルだけは知っていた。彼女が時折、ふと静かに目を細めるとき、それは“考えごとをしている”ときの癖であることを。
――いま、彼女は何を思っているのか。
言葉にできぬまま、ただその後ろ姿を見つめるしかない自分に、カイルはほとほと呆れていた。
外交という名の駆け引きの中で、一人の女官をめぐり、騎士も外交官も王族も、それぞれの立場と思惑を抱えていた。
その中心にいるエミリアだけが、今なお“気づかぬままに”淡々と働いているのだった。




