第三話「王女と訛りと素顔の騒動」
正式に王女付き女官として任命されてから間もなく、エミリアは第一王女リリア=セレスティアと初めて直接対面した。
宮廷内では常に品位と距離を保ちつつ接していた王女だったが、その日は少しだけ緊張しているように見えた。エミリアもまた、穏やかな表情を保ちながらも内心では心拍がわずかに上がっているのを自覚していた。
「あなたがエミリアね。思ったより、ずっと静かな人だわ」
第一声は穏やかだった。言葉を交わすうち、互いに礼儀のなかに柔らかさを見出し、次第に距離が近づいていった。
ちょうどその時期、王宮では少々厄介な予定が持ち上がっていた。来月、北方のマーレン国から外交視察団がやってくるというのだ。今年で学園卒業を控えたリリア王女は、王女としての公式な顔を外に向けて見せねばならぬ場が増えつつあった。ましてや来年にはギラン帝国へ政略結婚で嫁ぐ予定もある。国際情勢も不安定な中、リリアは視察団を迎える式典や接待役としての責務を果たさねばならなかった。
こうした微妙な情勢のなかで、王女は従来の“古株女官”ではなく、年齢も近く、気質も誠実な新任女官――エミリアを身近に置くことを望んだ。形式だけの忠誠ではなく、個として向き合える人材が必要だったのだ。
王女は、言葉遣いや振る舞い、知識の確かさを確かめる意味も込めて、エミリアとマーレン語でのやり取りを試みた。
「マーレンの主要産業について、マーレン語で答えていただける?」
リリアの問いに、エミリアは即座に言葉を選び、口を開いた。
「……主力は羊毛と乳製品、あと干し肉といった畜産系です、だべ」
静かな室内に響いたその語尾に、リリアの眉がぴくりと跳ねた。
「……いま、だべって言った?」
思わず問い返す王女に、エミリアは「……あっ」と目を伏せた。普段の標準語とはまるで違う、訛りが混じったマーレン語。あれほど整った話し方をしていたエミリアから飛び出したその素朴すぎる響きは、意外を通り越して、もはや衝撃に近かった。
王女は笑いをこらえきれず、ついには椅子に身を預けながら声を立てて笑ってしまった。
「どうしてマーレン語だけ、そんなに訛ってるのよ……他の言語は完璧だったのに!」
笑いながら涙を浮かべた王女は、何かがツボに入ってしまったようで、しばらく笑い続けた。あまりにもギャップが大きかったのだ。静かで真面目、しかも学問も魔法も完璧にこなす女官が、ことマーレン語になると「~だべ」「~すっぺ」と親戚の農家のような調子になるとは、誰が想像しただろうか。
「これはもう……反則ね」と、王女は口元を押さえて言った。「あなた、そんなに面白い人だったなんて」
その一件から、王女はエミリアに強い興味を抱くようになった。堅物ではなく、完璧でもない。けれど、その“抜け”がまた魅力だった。
そして、ある日ふと思いついたように、王女はエミリアに言った。
「ところで、あなた。素顔って、どんな顔してるの?」
エミリアは一瞬だけ沈黙し、眼鏡の奥でまっすぐ王女を見つめた。
「……特に変わりはございません。地味なままです」
「うそ。ちょっと、見せてみて」
王女は他の女官たちに軽く目配せをし、半ば強引にエミリアの眼鏡と前髪を整えてしまった。
その瞬間、室内の空気が変わった。ぱたぱたと動いていた女官たちが思わず手を止め、視線が一点に集中する。そこに現れたのは、透き通るような白い肌、形の整った眉、艶めく口元に小さなほくろ。誰もが思った。
――詐欺だろ、これ。
でも、声には出さなかった。代わりに皆の胸に浮かんだのは、ある種の感動と驚き、そしてほんの少しの嫉妬と……“ギャップって素晴らしい!”という思い。
「……ねえエミリア。その姿で夜会に出てみない?」
王女はそんな突拍子もないことを口にした。
だがエミリアは、わずかに目を伏せて首を振った。
「申し訳ありません。子どもの頃に、素顔でいたことで不快な思いをしたことが多く……人前ではできるだけ、控えたく存じます」
その答えに、リリアは少し口を尖らせた。
「もったいないわね。あれだけの美貌とあの訛り、もはや王宮の秘宝よ」
王女は軽く冗談を混ぜながら、ふと思いついたように手を打った。
「じゃあこうしましょう。素顔で夜会に出ても、人が寄ってこないように“仮のパートナー”を用意すればいいのよ」
そして、誰をその役にするか考えているうちに、王女の目に浮かんだのは――カイル=ラングレン。近衛騎士団副長で、エミリアと書類の受け渡しなどでよく顔を合わせていた。
「そうね、彼がいいかもしれない。真面目で、変に下心もなさそうだし」
さっそく王女はカイルに声をかけた。
「副長、エミリアを夜会でエスコートしていただける? あなた、よく彼女と仕事してるでしょう?」
カイルは驚いた顔をしたが、すぐにうなずいた。
「承知しました。……いつもの延長のようなものですし」
その返答に、王女は満足そうに笑った。そしてエミリアはというと――複雑な表情で眼鏡をそっとかけ直していた。




