番外編「エミリアのもう一つの秘密」
これは、とある静かな夜。
喉の渇きから始まった、“ほんの一杯”が巻き起こす、小さな大事件。
そして、皇帝陛下の理性が限界を迎える、ただ一夜の物語。
普段は隠された、愛らしくて、ちょっぴり危険な“エミリアの一面”を
どうぞこっそり、お楽しみください。
挙式からしばらく経ったある夜のことだった。
公務も落ち着き、帝国の空には澄んだ月が静かに浮かんでいた。エミリアとダリオスは、連日続いた外交対応を終え、ようやくふたりだけの穏やかな夜を迎えようとしていた。
エミリアは入浴を済ませ、少し火照った体を薄衣に包み、寝室に戻っていた。寝る前の習慣として、枕元にはいつも飲み慣れた果実水が用意されている。だがその夜に限って、机の上に置かれていたのは、淡い琥珀色の液体が満たされたグラスだった。
「……果実水、じゃない……?」
ほんの少し首をかしげたエミリアは、けれど喉の渇きに負けてひと口飲んだ。
それは、口当たりが良く、柔らかな甘みと微かな香りが舌の奥に残る不思議な飲み物だった。知らず知らずのうちに、もう一口、またもう一口と進んでいく。
ほどなくして、頬がぽっと赤らみ、肩の力が抜けていく。
「……美味しい……これ、好きかも……」
そう呟いて、グラスの中の酒精をすっかり空にしてしまった。
その頃、執務室で一報を終えたダリオスは、ようやく寝室へと足を運んでいた。
扉を開けて中に入った瞬間――彼の目に飛び込んできたのは、まさかの光景だった。
「エミリア……?」
いつもなら整然と本を読んでいるか、穏やかに横になっているはずの彼女が、今日は椅子に座って頬を染め、目を潤ませ、ふわふわとした視線を宙に向けていた。そして、ダリオスに気づいた瞬間、ぱっと笑顔を浮かべて立ち上がると――よろけながら駆け寄ってきた。
「だりおすさま~……エミリアね、待ちくたびれちゃったの……」
甘えた声。潤んだ目。思わず抱きついてきたエミリアは、胸元に頬をすり寄せながら、まるで猫のようにくすぐったい声で囁いた。
「はやくぅ……だりおすさまと、いちゃいちゃしたいのぉ……」
ダリオスの思考が、一瞬、硬直した。
その口ぶり、その甘え方――どれも、エミリアではなかった。いや、間違いなく“彼女”なのだが、“素面のエミリア”ではない。
いつもなら照れ隠しにそっけなく振る舞い、時折そっと甘える彼女が、まさかの自発的な誘惑モード。これは、間違いなく――
「……酒か」
グラスを見やったダリオスの瞳がわずかに揺れた。
「……まさか、これを……全部?」
「ん~、美味しかったぁ……もう一杯ある?」
満面の笑みでねだる姿に、皇帝の理性が一気に焼き切れた。
彼の腕が、そっと彼女の腰を引き寄せる。肌に触れた体温が心地よく、甘い香りが立ち昇る。
「……その代わり、おかわりは……私の手からしか出さないぞ」
その夜、エミリアは“寝酒”の意味を、深く深く知ることとなった。
翌朝、日が高く昇ったころ。
エミリアはふと目を覚まし、隣で目覚めたダリオスと目が合った。
「……あれ、昨夜……私、何か……変なこと、してませんでしたか?」
「いや……たいそう愛らしかった。酔いが覚めるまで、大切にいただいた」
「…………っ!」
布団を頭までかぶったエミリアの耳まで真っ赤だった。
その日の朝、侍女に言い渡された新たな決まりごとはひとつ。
“皇后陛下の飲酒は、今後すべて寝室限定とすること”
誰が決めたのかは、言うまでもない。
そしてエミリアも、二度と“寝酒”を油断して飲むことはなかった――はずである。
【了】
お読みいただき、ありがとうございました。
静かで真面目、常に品格を崩さぬ皇后エミリアにも――
実は、こんな“とんでもなく甘い夜”があったのです。
たった一杯の寝酒が、
皇帝の理性を溶かし、
皇后の本音と素顔をぽろりとこぼす。
こうしてまたひとつ、
帝国宮廷に残る“誰にも語られぬ秘密”が生まれたのでした。
また別の番外編で、甘くて可笑しなふたりの一夜をご紹介できる日を、楽しみにしています。




