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第二十六話「引導と誓約と、駆け抜けた春」

その知らせが王宮に届いたのは、穏やかな午後のことだった。


「マーレン国より、第二王子レオンハルト=アルマード殿下が、謁見を求めております」


報告を受けた皇帝ダリオス=ヴェルターは、長く息を吐いた。


来るべき時が、ついに来たか――と。


レオンハルト。エミリアの過去において、心のどこかで繋がりを残したままの存在。彼の想いを、エミリア自身は深く意識していなかっただろうが、皇帝の立場として、その存在は無視できるものではなかった。


彼は――「引導」を渡すべき相手だった。


ダリオスは躊躇なく謁見を許可した。


そして、数日後。マーレン国から護衛を従えてやってきたレオンハルトは、軍服姿のまま皇帝謁見の間に現れた。かつての戦場で名を馳せた冷徹な眼光も、いまはどこか焦りと不安の色を含んでいた。


定型の挨拶が交わされると、レオンハルトは短く要件を切り出した。


「陛下。……恐れながら、エミリア=アルバレスト殿との面会を願います」


沈黙が流れた。


ダリオスは玉座から静かに立ち上がり、レオンハルトにまっすぐ視線を向けた。


「……それは叶わぬ」


「……なぜでしょうか」


「エミリアは、私の妻だ。婚姻はすでに結ばれた。……面会の理由がない」


レオンハルトの瞳が、大きく揺れた。


「……婚姻……?」


声が掠れていた。信じられないといった様子で、ゆっくりと目を伏せる。


エミリアが帝国入りして、まだ二か月も経っていない。その間に、何が起きたというのだ。あの恋に鈍いとまで言われていたエミリアが――他国の地で、年上の、しかも悪人顔の皇帝に、心を許すなど。


だが、それが“現実”だった。


レオンハルトは、もうその事実を否定する力を失っていた。誰よりも早く動いたはずの自分が、結局は何も掴めず、ただ見送ることしかできなかったのだ。


「……そう、ですか」


それだけを呟くと、彼はそれ以上何も言わず、エミリアの顔を見ることもなく、静かにギラン皇宮を後にした。



その頃、当の本人であるエミリアは――彼の来訪を知らされることすらなく、日々の職務と王妃教育に追われていた。


側近たちは、敢えて知らせない選択をした。彼女の心を波立たせる必要はない。いま、彼女にとって大切なのは“これから”なのだから。


とはいえ、その“教育”も驚異的な速度で進んでいた。


武術、魔法、語学、礼儀作法――どれもすでに高水準にあり、皇后として必要だったのは、ギラン帝国特有の宮廷規律と政治構造、貴族社会の網目に関する知識程度に過ぎなかった。実質的には一か月ほどで大部分を習得し、異例の速さで教育課程が終了しようとしていた。


そこで、ダリオスは動いた。


「挙式を早める。……四ヶ月後だ」


最初に彼がそう告げたのは、ちょうどエミリアの両親を帝都に呼び寄せた直後のことだった。


まだエミリアが帝国に入って一か月にも満たない時期のこと。両親であるレオナルドとラフィーネは、急な呼び出しに戸惑いつつも、王室からの正式な使者とともにギランへ向かった。


そして王城での再会。


「……お母様、お父様。……お久しぶりです」


凛とした佇まいのなかに、娘としての素直な微笑みを見せたエミリア。その姿に、父は思わず目頭を押さえ、母は穏やかな笑みを浮かべながらも、表情の奥に深い驚きを隠せなかった。


「陛下と……婚姻を?」


「はい。……私からエミリアに申し上げました。……好きだと」


ダリオスの真っ直ぐな物言いに、さすがのラフィーネも絶句した。


だが、その後のエミリアの柔らかく、どこか少女のような笑顔を見たとき――父も母も、もはや何も言えなかった。


娘が、本当に幸せそうだったのだ。


式の形式、届出、契約の取り交わし。すべてが異例の速さで進められ、婚姻は正式に登録された。


“皇帝ダリオス=ヴェルター、エミリア=アルバレストと結婚す”


その報は瞬く間にエルデバーデ王国にまで届いた。


王宮では、アレクサンダー王が使者から書簡を受け取った瞬間、額に手を当てて天を仰いだという。


「……は、早すぎるだろう……まだ、こっちでは“政略候補”にすら挙がってなかったぞ……」


“政略候補”――すなわち、他国との結婚を通じた外交戦略の要として、王国が正式に人選を進めるべき相手。優秀な貴族の娘として、エミリアは本来その枠に入るべき存在だった。だが、それよりも先に“個人としての想い”で動かれたことで、王国としては外交的な主導権を逸した形となった。


隣で黙って書簡を読んでいた宰相マークレンが、無言で小さく頷いたのは、すでにすべてが“既成事実”として固められていたことを悟ったからだった。


だが、何より驚かされたのは、その末尾に添えられた一文だった。


“心より、エミリアを、愛している”


皇帝ダリオス=ヴェルター自筆の筆跡で、それは記されていた。


アレクサンダー王はしばらく書簡を見つめたのち、ぼそりと呟いた。


「……あの地味で、不器用だった娘が……まさか、あのギランの皇帝を本気にさせるとはな……」


呆れとも、感心ともつかぬその声色には、ひとりの国王として――そして臣下の娘が異国の皇帝の心を射止めたという、静かな感慨が滲んでいた。



こうして、引導を渡された者、理解し支えた者、そして祝福した者――それぞれの感情を胸に秘めながら、エミリアとダリオスの物語は、正式な“始まり”へと足を踏み出していくのだった。


挙式まで、残り四ヶ月。


その間に、まだ多くのことが動き出すことになる。


だが、ふたりの心は、もう迷っていなかった。


──すでに、揺るぎない誓いは交わされていたのだから。

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