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第二十三話「静けさの裏にある決意」

一夜明けて、陽光が静かに皇城を包んだ朝。


ベッドの余熱がまだ残る空間に、エミリアの姿はもうなかった。夜が明ける前に静かに身支度を整え、地味な制服に袖を通して、いつも通りの時間に女官としての任に戻っていた。


昨夜、心と身体を通わせ、確かに触れ合ったふたりだったが、それが一夜の夢で終わらぬようにと、互いに多くを語り合った。そして、語り合ったからこそわかっていた。


離れがたい想いがありながらも――今は、それぞれの立場がある。


ダリオスは皇帝として、執務と政務に追われる日々。エミリアもまた、皇太子妃リリアの側を離れるわけにはいかなかった。公的な距離を保ちながら、私的な想いを胸に秘める。そう決めたのは、ふたりの誇りでもあった。


エミリアは何事もなかったかのように、淡々と業務に戻っていた。


今日、ジークフリート皇太子とリリア皇太子妃にとっては、形式上の「初夜」とされる重要な日。その準備に王宮内は静かな緊張に包まれていた。エミリアは、王女の衣装の確認、入室の段取り、部屋の香の調合まで、細やかな気配りを見せながら、完璧に仕事をこなしていく。


昨夜、ダリオス皇帝と心を通わせ、身体を預けたあのひととき。それは、エミリアにとってまさしく“初めて”の経験だった。


人としての尊厳も、誇りも、相手に対する信頼もなければ踏み出せぬ境界線を、彼女は初めて越えたのだ。


ダリオスに抱きしめられ、口付けられたその時、震えるほどに戸惑いながらも、エミリアは拒まず、ただそっと告げていた。


「……私は、こういうことに……慣れていないんです。……これまで、誰とも……ありませんでしたので」


その一言に、ダリオスは明らかに動揺した表情を見せ、次いで息をひそめるように彼女を見つめた。


「……処女なのか?」


言葉は簡素でも、その声音には驚きと、どうしようもない喜びが込められていた。


エミリアは頷いた。


「はい。お恥ずかしながら……誰かのものになったことも、一度もなくて」


その告白が、ダリオスの中の何かを決定づけた。


――この女を、離すわけにはいかない。


今ではないにせよ、必ず妻として迎え入れる。

ただ、周囲の人間たちは気づいていた。何かが、確かに変わったのだと。


一方その頃。


皇帝ダリオス=ヴェルターは、すでに動き出していた。


あの夜を経て、自身の中でひとつの答えが揺るぎないものとなった。エミリアはただの側仕えではない。心から欲した、唯一の伴侶であると――。


即座に、腹心たちを呼び集めた。政務官、宮内長、侍従長、王宮法務官までもが顔を揃えたその席で、彼は静かに、しかし断固とした声で命じた。


「エミリア=アルバレスト殿を、皇后候補として遇する準備を始めよ。あれを、わたしの妻とする」


重々しい空気が流れる中、誰もすぐには口を開けなかった。


「……は?」


最初に沈黙を破ったのは、古参の側近アレニウスだった。彼は明らかに困惑した表情で、声を落として言う。


「そ、側女に……ではなく、妃に、でございますか?」


「そうだ。女官のままでも良い。だが、然るべき時には職を辞し、皇后としての教育を受けてもらう。皇太子妃リリアの傍にいる時間はそのままで構わない。ただし、教育課程は並行して進めるように。……準備は急げ」


淡々と語る皇帝の言葉に、空気が凍りついた。


「……殿下。……いや、陛下……」


ようやく腹心の一人が、恐る恐る口を開いた。


「夜会の後から……確かに、陛下のご様子はどこかおかしいと思っておりましたが……あのお方は、まだお若く、淡々としておられ、好意にも疎そうで……まさか結ばれるとは……」


「結ばれた。処女だった。証は取ってある。」


即答だった。


場が、また静まり返る。


「……お言葉を選ばず申し上げれば……どのように……?」


それに対して、ダリオスはあろうことか、口元をわずかに緩め、心底愛おしそうな声で答えた。


「嫉妬して……つい、口付けてしまった。それでも拒まれなかった。むしろ、愛しいと……思ってくれたらしい」


「……最後は……力業、でございますな」


「結果としてはな」


側近たちはもはや言葉を失い、顔を見合わせた。


だが、エミリア=アルバレストという人物の力量については、誰も否定できなかった。武術、魔法、語学、薬学、外交感覚、美貌――そしてあの訛りすらも、彼女という特異な存在の一部だ。外交の場でも通用し、民衆の支持すら集めかねない“皇后像”に最も近い女であることは、否応なく理解していた。


「……最初に陛下が恋をする者が、まさか“女官”とは……」


誰かがぽつりと呟いた。


「……女官などではない。あれは……あれは、運命だ」


ダリオスのその一言に、誰も異を唱えなかった。


その頃、エミリアはちょうどリリア皇太子妃の部屋で、夜の準備を整え終えたところだった。鏡の前でリリアの髪をとかしながら、穏やかな声で囁いた。


「皇太子妃さま、今宵はどうか、よい一夜を」


その声に、リリアは少しだけ微笑んで、鏡越しにエミリアを見つめ返した。


「……エミリア、あなた、最近少し……変わったわね」


エミリアは、何も答えず、ただ柔らかく微笑んだだけだった。


その瞳には、まだ誰も知らない、ひとつの決意が宿っていた。

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