第一話「見習い女官エミリア初出勤」
王城という場所は、初日から人を値踏みするような視線が飛び交う場所だと聞いていたが、実際にその空気を肌で感じたとき、エミリアはむしろどこか落ち着いていた。
自分のことを「あの子、地味ね」とひそひそ囁く声すら、想定内だったからだ。
しかしながら、見た目の印象と中身が一致していないのが彼女という人間だった。与えられた書類の山はすぐさま整理され、報告も指示も簡潔かつ正確、さらに女官長の采配が効率的に回るよう、その数歩先を読んでの準備や段取りが抜かりなく行われた。
ある日の夕刻、執務室で一日の仕事を終えたタイミングで、女官長から声をかけられた。
「エミリア、少し座ってもらえるかしら」
整った白髪に背筋の通ったその姿は、誰よりも厳格で、誰よりも誇り高い。エミリアはすぐに背筋を伸ばし、椅子の端にそっと腰を下ろした。
「はい、女官長」
「この二ヶ月、見習いとは思えない働きぶりだったわ。書類の精度、業務の進行、そして周囲との連携。どれをとっても文句のつけようがない。……率直に言って、ここまで出来るとは思っていなかったのよ」
エミリアは驚いたように目を瞬いたが、すぐに小さく頭を下げた。
「お言葉、もったいのうございます」
女官長は小さく笑みを浮かべて続ける。
「他の者があなたを“地味な女官”だと思っている間に、あなたは黙って結果を積み上げてきた。これが“只者じゃない”ってことよ。見習いの肩書きは、今日をもって外しましょう。正式に女官として任命します。そして、私の補佐をお願いしたいの。……これは信頼の証でもあるのよ」
思いがけない言葉に、エミリアはわずかに目を見開いた。淡々と日々をこなしてきたが、自分の努力が認められたことが、胸の奥にじんと温かく沁みる。
「……はい。光栄に存じます。これより一層、務めを果たしてまいります」
きちんと整えられた口調に、女官長は満足げにうなずいた。
「そう。あなたなら、きっとやってくれると信じているわ。言葉遣いもきれいで、申し分ないけれど……マーレン語の会話になると、ときどき“味”が出るのよね」
エミリアはぴくりと眉を動かし、そっと眼鏡を押し上げた。
「……ご容赦くださいませ。幼少の頃の癖が、どうしても抜けきらず」
女官長はくすっと笑う。
「いいえ、それもまたあなたの個性。訛りよりも、大切なのは中身よ。王宮では言葉より、行動の方が雄弁なのだから」
その日の終わり、エミリアは初めて、自分がこの王城の一員になれた気がした。
通常、この見習い期間は最低でも一年、多くは三年を要する。それでも十分というほどの厳しさで知られ、もし三年を経ても成長が見られなければ、女官としての道は閉ざされ、侍女として格下げされる――それがこの王城の通例だった。
だが、エミリアは入城してからわずか二ヶ月でその「見習い」の肩書きを外された。正式な女官として任命されただけでなく、女官長の補佐という、極めて重要なポジションを任されることになる。これは極めて異例の昇格だった。
何より、彼女の仕事ぶりには無駄がなかった。言われる前に手を動かすのではない。言われる必要すらなく、自然とそこに気づき、手を伸ばしている。それはもう、隣にいてくれるだけで、仕事が一歩も二歩も先に進んでいくような感覚だった。
静かに、淡々と、ただ誠実に任務を遂行する姿。周囲がようやく気づき始める――この地味な見習い女官、只者ではない。