第十二話「語られた過去、試される未来」
毒の混入という一大事にも関わらず、エミリアの冷静かつ迅速な対応により、ジークフリート皇太子の側近は命を取り留めた。
医師団の報告によれば、もしあのまま医務室へ運び、正式な処置を待っていたら――時間の経過とともに神経系に麻痺が残っていた可能性が高いという。
それほどまでに、エミリアの初動判断は的確で、早かった。
だが、早すぎたのだ。あまりにも、見事に。
それは、王宮の上層部に、ある“疑念”をも呼び起こしていた。
「なぜ、一介の女官があれほどの知識と技術を持っている?」
その疑念を晴らすべく、国王アレクサンダーと宰相マークレン、そして各部の指揮官・側近たちによる緊急会議が開かれることとなった。
当然、その場に召集されたのは、当事者であるエミリア=アルバレストだった。
リリア王女は心配を抑えきれず、自ら付き添いを願い出た。
またジークフリートは被害者の側でありながら、彼女が側近を救った張本人でもあるとして出席。
マーレン国からは第二王子レオンハルトが、王族としてではなく、“彼女のために”その場に姿を現していた。
入室したエミリアは、いつもの女官の制服姿。装飾もなく、化粧もほとんどない。
だがその立ち姿は揺るぎなく、毅然としていた。
「ご質問にお答えする前に、わたくしの経緯を先にお話しさせていただけませんでしょうか」
そう口にしたとき、尋問官が目を細めたが、王の頷きにより、エミリアは話し始めた。
――幼い頃から、私はよく攫われそうになりました。
その冒頭の言葉に、場が静まった。
美貌は、祝福だけではない。
エミリアは、自身の生い立ちを隠さず語った。
母は辺境伯の娘でありながら、鍛錬場で十人を相手取るような武術の達人。
父は“魔性の男”とさえ囁かれる美貌と色気を持つ、誇り高き侯爵。
その両親の間に生まれた自分は、容姿に恵まれすぎた。
何度も誘拐未遂に遭い、物陰で待ち伏せされ、執事や侍女すら信用できない時期もあった。
護衛は常についたが、すべての危険を防ぐには限界があった。
だから、自ら身を守る力を得るしかなかったのだと。
武術は母から。魔法は祖父から。毒物と薬草、そして“人の欲”を知るための知識は父から教わった。
言葉を操るためには、語学を。
生き抜くためには、偽ることも選んだ。
「……わたくしが地味に装っているのは、単に目立たないためではありません。
“美しい”と思われないことでしか、心が休まらなかったのです」
エミリアは静かに頭を下げた。
「結婚にも憧れは抱けませんでした。ただ、手に職を持ち、一人でも生きていけるようになりたかった。それが、わたくしが女官となった理由です」
尋問官は沈黙し、会場に重たい空気が流れた。
それは――誰もが「聞きたかった」ことの、すべてだった。
尋問官が「他に質問は」と目を巡らせるが、誰一人として声を上げなかった。
その沈黙の中、アレクサンダー王が椅子から静かに立ち上がった。
「……そなたは、“結婚に憧れがない”と申したな」
エミリアがわずかに顔を上げる。
「リリアからの申し出があった。帝国に嫁ぐ際、そなたを共に連れていきたいと。
我が娘のたっての願いだ。そなたは、それに応じてくれるか?」
王女リリアの視線が、そっと彼女へ注がれる。
エミリアは深く礼を取り、静かに答えた。
「リリア王女が、わたくしを望んでくださるなら。是非に及びません。
どこまでも、お傍にお仕えいたします」
その言葉に、リリアは胸を押さえ、ほっと微笑んだ。
アレクサンダー王としても、本心は娘を異国に送り出すことに抵抗があった。
だが、エミリアの覚悟と、過去を聞いた今、娘が彼女を頼りにする理由がよく分かった。
彼女ならば、大丈夫だ。
それに――“守ってくれる”。
ジークフリート皇太子は、地味ながらも有能な女官がリリアに随行すると知り、内心で安堵していた。遠く異国に嫁ぐ婚約者に、信頼できる人材がつくことは、彼にとっても望ましいことだった。
しかし、その言葉は、ある者たちにとっては“宣告”にも等しかった。
会議の場に並んでいたレオンハルトは、その瞬間、顔を動かさぬまま拳を握った。
――彼女が帝国へ行ってしまえば、もう会えなくなるかもしれない。
ジークもまた、無表情の下に苦悩を滲ませていた。
エミリアが“ただの女官”でなくなった今、誰よりも信頼できる存在として、手放したくないと初めて思っていた。
そして――
カイル=ラングレンは、その場に立ちながら、はっきりと顔に“絶望”の色を浮かべていた。
副長として、そして一人の男として。
その選択に、胸を貫かれたのだ。
こうして、女官エミリアのギラン帝国随行が、正式に決定した。
誰もがそれを静かに受け止めるしかなかった。
けれど、心の中に立ちのぼる想いだけは、誰一人として消すことができなかった。
──その想いが、後に新たな嵐を呼ぶことになると知らぬまま。