道路の住人
ジメジメとした暑さが続くものの、今は一応九月。『秋の日はつるべ落とし』という言葉も知っているし、日が短くなってきていることも分かっていた。だから油断していたつもりはない。嫌な予感もあり、警戒もしていた。それでも、いざ危機に直面すると、自分がこれほど脆い人間だとは思いもしなかった。
太陽が沈み、足元から黒く染まってゆく夕闇の道。 ヒュッと耳を掠めた音に反応して立ち止まると、目の前を石が転がっていった。石が止まる。おれはゆっくりと背後を振り返った。
そこには、まるで歴戦の真剣師のような鋭い目つきと雰囲気を漂わせる少年が立っていた。小さな手の中で、石をじゃらじゃらと弄んでいる。
――しまった。
ふいに背後から物音がして振り向くと、別の少年が地面にボールをバンバンと叩きつけていた。その音は攻撃的で、おれは思わず一歩後ずさる。
すると、真剣師の少年が、おれの踵に向かって石を投げつけた。驚いて声を上げると、周囲からクスクスと木々のさざめきのような笑い声が響いてきた。気づけば、横道や塀の上に子供たちの姿がちらほら見えていた。
――囲まれたか。
「ひひ……ひひひははははははは!」
突然、連中は下卑た笑い声を上げ始めた。ボールが空中を飛び交い、おれは奴らが作り出した見えない檻の中に閉じ込められてしまった。
――こいつらは。
「き、君たち、やめないか!」
「君たぁちぃ」
「やめぇなぁいかぁ」
「あはははははは!」
連中はおれの言葉をオウム返しにし、さらに大笑いした。その精神構造は明らかに常人のそれとは異なっていた。
――道路族だ。
道路族とは、最近都市部で急速に勢力を拡大している集団だ。早朝や夕方、どこからともなく聞こえてくる子供たちの歓声や親たちの嬌声。連中はボールを蹴り、スケボーを走らせ、まるで道路が自分たちの庭であるかのように振る舞い、騒音を撒き散らしている。
家に入ることはほとんどなく、道路を占拠して自分たちの縄張りとする。集団で行動し、嘲笑を好むが、それはおそらく彼ら自身が誰かに嘲笑されていると感じているからだろう。それを悟られないために、また侮蔑される前に相手を侮蔑することで、自己防衛を図っているのだ。
おれは連中を刺激しないよう、努めて優しい声で話しかけた。
「なあ、ここを通してくれないか? 頼むよ……」
連中の笑い声が徐々に押し殺されたものへと変わっていった。静寂が戻りかけているのに、なぜか平穏からは遠ざかっている気がした。カラカラカラと、落ち葉の舞が警告音に感じられた。
「ひひっ、おれらに何か文句でもあんのか?」
そう言ったのは、さっきおれに石を投げた少年だ。彼がリーダー格らしい。
「道路で遊んで何が悪いんだよ」
「ここはおれたちの道路だ」
「法律なんか通用しないんだよ、ここじゃ」
「ここはうちらの遊び場よ!」
「はははははは!」
次々と罵声を浴びせられる。おれは獣の群れに囲まれた気分になった。いや、連中は獣だ。別の種だ。話し合いなど端から無理だったのだ。
そのことに気づいた瞬間、おれは反射的に走り出していた。
「逃げたぞ!」
「追え!」
けたたましい笑い声が背後から迫ってくる。おれは連中の“遊び”に組み込まれたらしい。
硬いボールが背中に当たって、転びそうになりながらもなんとか走り続けた。しかし、連中のほうが圧倒的に有利だった。当然だ。彼らは道路に適応した生物なのだ。
連中の体は浅黒く、アスファルトと保護色になっており、砂利が食い込まないほど足裏が硬く、皮膚はざらざらして埃や油汚れを弾き返す。さらに、排気ガスにも耐えられる肺を持ち、疲れを知らない筋肉と強靭な背骨を備えている。唯一の弱点は湿気。建物の中に入るのを嫌うのはそれが理由だ。
連中は家を持たず、道路そのものを生活の場にしている。白線を枕にし、いずれ道路と一体化してしまうのだろう。
「こ、ここは私道じゃない! 公道だぞ!」
自分で言っておきながら苦笑してしまった。この国では、もはや市道も公道も意味を成さなくなっている。
「道路はおれたちの領地だ!」
「子供の健康のために!」
「叱らない子育て!」
「子供たちを遊ばせてあげて!」
バスケットボール、スケボー、フリスビー、野球バット。次々と飛んでくる攻撃に、おれは必死に耐えた。倒れれば、奴らのバーベキューの肉にされ、やがて道路の一部になるのはわかっていたからだ。
闇雲に走り続けると、別の道路族に出くわした。
その男の足はまるで草の根のようにアスファルトに溶け込んでいた。また、ある者はガードレールに皮膚が張り付いて一体化していた。さらに廃車のボンネットに張り付き、口からクラクションの音を出す者までいた。
「うあっ!」
完全にアスファルトに擬態した者に足を掴まれそうになり、おれは慌てて飛び上がった。道路のひび割れから、何本もの指が飛び出し、蠢いた。まるで悪夢の展示場だ。
「ちくしょう!」
「どこだ!」
「モグラ野郎が!」
どうにか連中を振り切り、家に帰り着いたおれは、部屋の真ん中でうずくまり、大きく息をついた。
先ほど、多くの道路族を見たが、何よりも恐ろしかったのは、追ってくる連中の中に大人が混じっていたことだ。見た目は子供だが、口調からして間違いない。彼らは精神的にまるで成長していない。それはつまり、道路族の精神性が次世代にも引き継がれていくということだ。
核汚染の影響で、この世界は大きく変わってしまった。
おれは文明的に振る舞い、復興を目指すことが人間のあるべき姿だと思っていた。
しかし、おれは今日こう思ってしまった。
道路族こそが、新たな人類なのではないかと。
この社会は崩壊してしまった。もう戻ることはないのだ。道路族の繁栄はその証であり、彼らはこの環境への適応者だ。
おれは泣いた。声を出さずに泣いた。このままでは、おれたちが歩く場所が失われる日も近いだろう。そしてそれは、道路族が『人類の道』を完全に手に入れることを意味している。
おれは今日見つけた食料を胸の袋に詰め込み、床下に穴を掘り始めた。
溜め込んだ栄養が尽きるまで、この穴で眠るつもりだ。
遠くから聞こえる道路族の嬌声から、永遠に逃れられることを願いながら……。