『千夜千字物語』その8~走る
「もぉー無理ーっ! 間に合わないってー!」
「間に合わせるんだよー!」
ケンジはミカの手首を掴んだまま
ミカの父親が向かったバス停へ一目散に走った。
「もう間に合わないでは済ませない」
走りながらそう呟いた。
小学生の頃、ミカの父親が失踪した。
母親は心労で倒れ、弟の面倒のこともあり
ミカ自身悲しむことさえできず、
裏切られたという怒りだけが心に残った。
その父親が10年経っていまミカの前に現れた。
平謝りする父親に一瞥もくれずミカは黙っていた。
顔を見たら許してしまいそう、
そんな思いがミカの目に溢れていた。
そして踵を返すとどこかへ走っていった。
二人きりになると
「もう先がない。勝手だとは思ったけれど
どうしてもミカに会いたかったんだ」
父親はそう言った。
「ケンジくん、ミカのことよろしく」
その言葉を最後に来た道を戻っていった。
ずっとミカの傍にいて思いは同じだが、
これを最後にしていいのか悩んでいた。
ケンジには苦い思い出があった。
まだ小学6年生の頃、
大好きな姉が突然東京へ行くことになった。
突然といっても、知らなかったのはケンジだけ。
知れば邪魔をするだろうとみんなで黙っていたからだった。
「そんな荷物持ってどこ行くの? まさか東京じゃないよね!」
「ケンジ、ごめんね。ちょくちょく帰ってくるから」
嘘じゃないことはわかっていた。
でもケンジにとっては
行ってしまうことそのものが許せなかった。
「ずっと一緒にいるって…姉ちゃんのウソつきー!」
涙で濡れた顔を見られたくない
勢いよく玄関を飛び出していった。
本当なら姉のしたいことを応援したいケンジだったが、
別れたくない思いの方が勝っていた。
一人ぶつぶつ文句を言いながら
ひとしきり怒り終わると、
急に姉に会いたくなった。
このまま別れるなんてできなかった。
駅まで走った。
全力で走った。
それでも駅に着いた時には
電車はすでに発車してしまっていた。
そして、それが姉との最後だった。
ミカの父親と別れると、
ミカのもとへ走った。
ようやく見つけると
無言でミカの手首をがっしり掴んだ。
「何を言われたか知らないけど、
もう会う気なんてないから」
「頼む。後悔させたくないんだ」
そう言って走り出した。
「あんな思いは俺一人で沢山だ」
あの時の後悔にリベンジするように
ただひたすら走った。
100m先にバスを待つ男性の姿を見つけた。
ただバスがもう目と鼻の先にいた。
「あと少し」そうケンジが思った時、
「お父さーん!」
ミカが叫んだ。