ヒロインはお姉様だから
可憐で儚く、清廉な淑女。
我が姉。皆のヒロイン。貴方の恋慕。
貪欲で醜く、残酷な悪女。
それが私。皆の悪役。貴方の許嫁。
私達は、双子の姉妹としてこの世に生を受けた。
姉は、母から祝福され生まれたが、私は、母の骸から這い出た忌み子だった。
身体の弱かった母は、双子の出産に耐えきれず、姉を産んだ直後、姉をその胸に抱いて、愛おしい名前を呼んで亡くなった。
皆が悲しみに暮れる中、母の腹を裂いて取り出されたのが私。
母からは、名前すら授けて貰えなかったのだ。
姉だけならば、助かったかもしれない。
だから、いつも、いつも揶揄された。
私のせいで母は死んだのだ、と。
以後、独身を貫く父は何も言わないが、最愛の妻を奪った私を恨んでいるはずだ。
それでも、姉妹で似ていれば、私も公爵家の一員として、みんなに認められただろう。
たられば、だが。
姉は、大勢に愛された母譲りの美貌を持っていた。
私はと言うと、その逆だった。
健康的で紅を差す姉より、病的なまでに青白く。
優しく穏やかな眼差しの姉より、きつく霞んで澱みきり。
太陽のように輝く艶髪の姉より、夜のように暗く野暮ったい。
優秀な姉に勝る部分なんて一つもなかった。
姉妹らしいところなんて、何一つなかった。
だからこそ、周囲の人間は口々に嘯く。
優しい姉と、それに嫉妬する醜い私だと。
姉は公爵家を継ぐ次期当主だから、妹の私が王子殿下の婚約者として内定した。
10歳の時の初顔合わせ。
私は、王子殿下に一目惚れした。
聡明な瞳が印象的だった。
目鼻立ちの整ったお顔。高貴な出立ち。優美な所作。
理想のお方。
まさしく、ヒーローだった。
けれど、王子殿下は、私に素っ気なかった。
一言二言交わして、終わってしまった。
目も合わせてくれなかった。
原因はすぐにわかった。
私は、お姉様じゃないから。
わかってはいても、悲しかった。
ならば、私が頑張ればいいだけだと奮起した。
言語。歴史。経済。マナー。あらゆることを妃教育で叩き込まれた。
でも、王子殿下は、貴方からは、労いの言葉一つもなく。
時折、思い出したかのように、事務的に、寡黙に義務を果たすだけだった。
ひたむきに、国を良くしようと奮闘する貴方に、私なんて道端の小石ほども眼中にあるわけがないものね。
そんなところも、貴方に惹かれたのだけれど。
それでも、いつかは、やがていつかはと期待したところで、目を逸らし続けてきただけで、変わることのない現実に、私は直面する。
密会。
邂逅。
逢瀬。
私には一度も笑いかけたことのない貴方が、お姉様には。
お姉様と二人きりでいる、貴方は、とても。
乾いた笑いが出た。
1度目は偶然だと信じた。
信じ込もうと頑張った。
でも、何度も続けば、馬鹿な私でも流石に理解する。
お似合いなのは、あの二人なのだ、と。
胸の内に渦巻くものはなんだろう。
貴方に対する怒りでも、憎しみでもない。
お姉様に対する激情でも、憎悪でもない。
知っていた。わかっていたことじゃないか。初めから。始まる前から。
当たり前のことを、当たり前のように、なるべくしてなっただけなんだから。
あれから、貴方からの贈り物が増えたよね。
不自然なほど、増えたよね。
勘の鋭い貴方だもの、私に見つかったって、バレたのでしょうね。
いいのよ。いいの。
無理しないで。
お姉様を好きになる方が当然なのだから。
ならば、私の役割は。
一晩だけ、声を殺して泣いた。
ああ、ひどい顔。
化粧でも隠しきれそうもない。
我ながら、なんて醜悪な顔なんだ。
けれど、決意は固まった。
失恋の悲しみは、全て涙と共に清算した。
すごく晴れやかな朝だった。
だから、後は任せて。
大丈夫。
私は、慣れてるから。
「本当に?」
ええ。お姉様。
私は、大丈夫ですから。
そんなに悲しそうな顔をしないでください。
憐れまないでください。
恥ずかしくて直接言ったことはないけれど、お姉様にはずっと笑っていて欲しいのですから。
「わたしは、あなたが一番大切なのよ。だから」
私もです、お姉様。
私は、優秀で愛されているお姉様といつも比較されてきたが、その度に散々な評価を貰ってきたが、一度もお姉様を恨んだことはなかった。
私はお姉様が好きだから。
大好きだから。
私にとってもお姉様はヒロインだから。
だから、ヒーローとヒロインは結ばれなくちゃいけないんだ。
私は、ただのお邪魔な悪役なんだ。
「いいのか」
お父様は、眉間に皺を寄せて言う。
当たり前だ。一介の令嬢如きが、王子殿下との婚約破棄を訴えているのだから。
「お前は、本当にそれでいいのか」
当然、いいに決まっている。
だって、だってそれが、王子殿下の幸せだから。お姉様の幸せだから。
私の幸せでもあるんだから。
深いため息の後、私を窘めようとして、でもなんとか堪えて、頷いた。
お父様を失望させ続ける悪い娘でごめんなさい。
けれど、それが最善手なのだ。
貴方にとっても、お姉様にとっても。
もちろん、私にとっても。
手放すことには慣れている。諦めることには慣れている。傷つくことも、それを平気にするのだって、慣れている。
明日からは、また後ろ指を指されるんだろうな。
王子殿下に振られた、傲慢で愚かな悪女だと。
まあ、それはいつものことだから、どうでもいいけれど。
奇しくも、婚約破棄当日は私達の18歳の誕生日。
成人の日。
8年間もの片思いは、儚く散った。
まあ、内定取り消しというだけだ。
お姉様は公爵家次期当主としてではなく、王子殿下の婚約者として発表されるだろう。
そして、多分、私が次期当主になることはない。
兄弟は他にいないが、優秀な従兄弟がいるから、きっと彼を養子にするだろう。
私はお払い箱だ。
だから、この日、すぐに家を出れるように荷物をまとめた。
小さなトランクカバン一つだけ。
元々、私物は少ないのだ。
お姉様のように、贈り物が山のように届いたことはなく。
貴方からだけしか、頂いたことはないのだから。
貴方からの贈り物だけで、トランクは一杯になってしまった。
それを捨てられないのは、見苦しいかしら。
豪華絢爛な誕生日会。
お姉様のための誕生日会。
今日も、招待客はお姉様しか見ない。
お姉様のために、山のように積み重なるプレゼントたち。
お姉様を褒め称え、絶賛する声。
ついでとばかりに隣の私にも挨拶するが、嫌悪と侮蔑が混じり、おざなりで適当なものだった。
その度に、優しいお姉様は心を痛め、諌めた。
ありがとう、お姉様。
でもいいのです。
そうなるだけのことをした私のせいなのです。
既に、私と王子殿下との婚約破棄の噂は浸透しきっていた。
あの慈悲深く聡明な王子殿下に振られるほどの悪女なのだから。
そして、主役は遅れて登場する。
凛々しく、堂々とした立ち居振る舞い。
いつもどおりの貴方。
荷馬車と共に、王子殿下が訪れたのだ。
お姉様を祝うために。
お姉様と結ばれるために。
ゆえに、来賓からは王子殿下とお姉様を祝福する歓声があがった。
荷馬車には、包装されたプレゼントが所狭しと大量に積み込まれていた。
やっぱり、お姉様と婚約できたから、毎年一つだけだった私とは、違うよね。
仕方ないけれど、貰えていた慈悲に感謝しなければならないけれど、複雑な思いは変わらない。
けど、予想に反して、そのプレゼント群は、私の目の前に運ばれてきた。
どうして。
手違いにしたって、辱めるためだって、こんなやり方はあんまりだよ。
泣きそうになるが、何とか堪えた。
妃教育の賜物だ。
それに、どうしたのだろう。
お姉様ではなく、私に向かって歩いてくる。
迷いなく、私に向かって、歩いてくる。
苦虫を噛み潰したような顔で。
貴方らしくないな、と他人事みたいに思った。
私の目の前で貴方は立ち止まった。
同時に、時が止まったように、静まり返った。
逃げ出したかったけれど、すくんで足が動かなかった。
もう構わないで欲しい。
余計に惨めになるから。
もしや、何か恨み言でもあるのだろうか。
そうだよね。
私が婚約者候補だっただけでも、不快だったよね。
だから、私のことを許してくれないんだよね。
だから、貴方の目の前から消えるから、だから――
「俺は、貴女じゃないと嫌だ」
ぽつりと、貴方は呟いた。
それに対し、思わず、私は生返事をしてしまった。
「俺は、貴女じゃなければ嫌なんだ!」
二度同じことを言われても、理解できなかった。
嫌。嫌いってこと?
でも、ならなんで、私じゃないと?
「今まで悪かった。ごめん。申し訳ない。軽蔑してくれてもいい」
何のことを。
貴方は何も悪くないのに。
「この機会を逃したら、きっと後悔するから」
彼は、早口に言う。
子供にも、使用人にも、動物にも優しく、誰彼分け隔てなく接する貴女。
辛いことから逃げずに、凛と立ち向かい、一途に努力する貴女。
貴女は目標だった。
そんな貴女に相応しい男になれるよう、頑張れた。
そんな貴女に相応しい国にできるよう、頑張れた。
貴女がいたからこそ、今の俺がいるのだ、と。
「透き通る白い肌も、理知的な瞳も、漆のようななめらかな髪も好きだ」
私の劣等感の塊だった部分を、貴方は好きだと宣う。
「何より、他人を慈しむことができる、心の優しい貴女が大好きなんだ」
寡黙な貴方らしくない饒舌で捲し立てた。
わからない。
もう何もわからない。
何が起きてるの。
脳の処理が追いつかない。
貴方は、何を言っているの。
「貴女が、根も歯もない噂で傷ついていることは知っていた。でも、俺の知る本当の貴女を知らしめて、貴女が他の誰かに振り向いてしまうことが怖かったんだ」
私を、独占したいと?
王子殿下の貴方が?
聡明な貴方が、そんな幼稚なことを?
「貴女はこんなにも魅力的だから」
ああ、なるほど。
私を、誰かに盗られると思ったのね。
馬鹿ね。
そんなわけ、ないじゃない。
「未熟な俺を許して欲しい。できればずっと隣にいて欲しい。支えて欲しい。俺にとってのヒロインは貴女だけだから」
貴方は跪き、私を見上げた。
初めて、目が合った。
貴方の瞳に、私がいる。
「愛してる、貴女だけを」
真っ直ぐな瞳に射抜かれて、動けない私を不安そうな表情で見上げ続ける貴方。
本当に、馬鹿ね、私。
周りの噂に振り回されて、貴方を見ていなかったのは、私の方なのに。
――だからこそ。
「私も、ずっと愛しています、貴方だけを」
誠実な彼に、今度こそ応えようと思ったのだ。
静まり返ったホールに、拍手が湧いた。
お父様とお姉様。
それに続いて、まばらに、徐々に伝播し、やがて盛大に。
手の甲にキスをされて、真っ赤になった私を見つめる、私以上に耳まで真っ赤にした貴方は、とても愛おしい。
すぐに分かったことだが、お姉様とは、私のことについて相談していただけらしい。
私の好みとか、喜びそうなこと諸々を。
私も、貴方とは恥ずかしさから上手に話せなくて、自身のことを何一つ伝えたことはなかった。
二人揃って不器用すぎた。
私と貴方は、互いに片思いだと勘違いしていたのだ。
本当は、成人記念の誕生日にサプライズを考えてくれていたようだが、私の早とちりによって慌てて予定を変更したようだ。
いつも堂々と振る舞う貴方が、私と目も合わせられないほどシャイだなんて思わなかった。
冷静沈着な貴方らしくないけれど、私のためにこんなにも変わってしまうことが、何よりも嬉しい。
貴方からの情熱的な告白の後、どうなったのか。
それは、今言うべきことではないけれど。
ハッピーエンドだということは、間違いない。