序章 「早く朝ご飯食べて」「あ、はい」
雪の降る夜……あの日僕は、目の綺麗な子猫を拾った。
今でもあの時の事を昨日の出来事の様に鮮明に覚えている。
いや……〝忘れられない〟と、言った方が正しいのかもしれない。
雪雲の間から差し込んだ双子月の月明りに照らされて輝くその透き通った瞳は、まるで宝石の様に金色に輝いており。
小さくて今にも崩れ落ちて死にそうな弱々しい姿とは裏腹に、その瞳の奥からは強い生きる意志の炎が燃えており、心揺らされる程の生命力で満ち溢れていた。
雪で白く染められた夜の街の片隅で、双子月の月明りに照らされた青い銀世界の中で見たあの光景は……やはり〝忘れられない〟と表現するのが正しい。だってそうだろう?
――だって彼女の瞳が……あんなにも美しかったのだから。
「……ユミト」
「ん……」
「ユミト……ッ」
「んぅ……」
「ユミトッ! 朝よ、起きて……!!」
「んぁ……朝かぁ…………朝ぁ!?」
「朝ご飯、出来てるわ……」
「え、あ、本当に……?」
「本当」
「もしかして、君が作ってくれたのかい?」
「えぇ、そうよ」
「そっか……いつもすまないね、本当は僕が作ってあげなくちゃいけないのに……」
「あなたが作らなくちゃいけない規則なんてないわ。それに私の仕事だから、あなたが気にする必要は無い。むしろ作らないで」
「そ、それはそれで辛いな。でも、いつも助かってるよ……〝エマ〟」
「ん……」
今日も朝がやって来て、いつものごとく僕は目の前の猫の女の子に起こされる。そして起こしてくれたその子の頭を僕が撫でる。
彼女の名前は『エマ』
猫人である彼女は、全身を猫の毛で覆われ、人の体をした猫の獣人だ。彼女の毛色は赤みの入った暗い灰色をしている。髪の毛は黒髪だけどね。
僕が触れているクセ毛のあるその黒髪は、もう背中の後ろまで伸びており腰付近まで近づこうとしていた。
人の体の形をしているけれども、猫特有の猫の耳も尻尾もある。ただ左耳の先端は引き裂かれた様に割れている。
顔立ちも猫に似ている。でも、昔に比べるとエマの猫の口は少し伸びたのかな? 本人はそれを好ましく思ってない様だけれど、僕は良いと思うんだけどなぁ。まぁだからといって、その口に関して言うと怒るからそっとしておこう。
そして目は美しい人を連想させる様な吊り上がった目をしており、その瞳は本来は黄色いのだが光の加減によって透き通った宝石の様に金色に輝いて見える。だからその目は、時より見せる妖艶な笑みをより際立たせて思わず見とれてしまう程に綺麗な目をしているんだ。彼女は大袈裟だって言うけれど。
僕はそんなことを思いながら、感謝の気持ちを込めてエマの頭を優しく撫でてやる。手に触れる彼女の黒髪がサラサラとしていて気持ちが良い。
「……うぅ、お酒臭い」
「あ、ごめん。まだ昨晩のお酒が残ってたか、あははは」
エマがあからさまに嫌そうな顔をしながら、自身の顔の前で手を扇ぐ。
今日の彼女の服装はぶかぶかの白色の長袖シャツに茶色の長ズボン、それから白いシャツの上から使い古された紅色のエプロンを着ていた。今気がつけば、あの長い黒髪が頭の後ろで結ばれてポニーテールとなっており。綺麗な姿勢で正座しているエマの動きに合わせてゆらゆらと揺れている。
何か込み上げて来る感情があるが、それを言葉に出すのは今は堪えよう。ところで君は何故、僕のシャツを着ているんだい? サイズが合っていないから、ぶかぶかだろうに。もしかして替えの服が足りないのかな?
「エマ、生活に必要な服は足りてる? もし足りてないなら――」
「いらない。生活に必要な服は足りてる。それより、いつまでそこにいるの? さっさとベットから出る。ご飯が冷めるから、早く朝ご飯食べて」
「あ、はい」
エマに急かされて僕は慌てて掛け毛布を手で除けて、ベットから立ち上がろうとする。
ベットの隣に座っていたエマは、そんな僕の動きに合わせて僕の立ち上がるスペースを空ける様にエマは正座のまま両手を使って後ろに下がる。僕はそのお陰で余裕をもって足場を確保できて、そのまま床に足を付いて立ち上がった。
「ぁ……もう。あー……ユミト」
するとエマが僕に再び声を掛ける。
僕が彼女の方に顔を向けると、彼女が呆れたかの様なジト目で僕の事を見上げて来る。
彼女はもう今年で16歳になるが、いくら昔より体が大きくなったと言っても正座した状態だと、立ち上がった僕の腰ぐらいの高さしかない。
「ん、どうした?」
「……ズボン、またズレてる」
「え」
――そう、〝座ってる状態だと僕の腰くらいの高さ〟と言う事は、今のエマの顔の位置は僕の腰の高さぐらいにある。つまりは彼女の顔の前には僕の下半身がある。ズボンが半脱ぎになった下半身が! パンツは履いてるよ! ちょっとズレてるけど。
僕は慌てて両手で隠そうとする。いくら同居人と言えど、女の子の前でこの格好はよろしくない。
「わ!? わぁッ!? ごめッ!? 気持ち悪かったね、ごめんよ!」
「……別に。それよりも早くズボン戻してご飯食べてくれる? 冷めるから」
エマにそう指摘されて僕は慌てて半脱ぎのズボンを上げる。
彼女の顔は先程のお酒臭さでの嫌そうな顔はしておらず、これといって表情の変化は無く。興味が無いようにそっぽを向いていた。
僕はその彼女の表情を確認しながら、彼女に急かされるままに急ぎ食卓へと向かう。
僕はどうも寝相が悪いのか、昔から寝ている間に服が脱げてしまう傾向がある。
特に深酒をした日は本当に酷くて、今日はまだマシな方だ。本当に酷かった時は掛け毛布は床に落ちて、ズボンは当然の事ながら完全に脱げてて、あろうことかパンツまで脱いでてアレが丸出しになってた時があった。しかも、よりにもよってその日はエマがいつの間にか僕のベットに潜り込んでた時だったんだ! 寒い日は時より僕のベットに潜りこんで来るんだけどタイミングが悪い、あの時は血の気が引いて本当に生きた心地がしなかった。
幸いにも、エマはまだ起きてなかったから彼女が起きる前に迅速静かに全てを履いて隠し。毛布を彼女にそっと掛けて難を逃れたものだ。
そんな自分の個癖を悩み嘆きつつ、朝食の置かれた食卓の前に辿り着く。その食卓の上にはエマが用意してくれた朝食が置かれていた。
今日のエマお手製朝ご飯は、再加熱を加えた古いパンと目玉焼きだ。……ん? 目玉焼き?
「え、目玉焼きじゃないか! なぜウチで朝から目玉焼きが!?」
「なぜって……大家のおばあさんの所で作らせてもらったの。安くはないから時々しか作らないけど、そんなに驚くこと? ……もしかして、まだ酔ってて記憶が曖昧になってるの?」
「あ、あははは……そうかもしれない」
「はぁ……とりあえず食べましょう」
そう言ってエマも僕と同じ食卓に来る。エマの分も置かれているからだ。
僕とエマは2人分のお皿で埋まってしまう小さな机を挟んで、素朴な椅子に腰掛ける。
食卓の上に置かれたご飯を前にして、僕とエマは食事の前の祈りを捧げる。エマは両手を顔の前に出してその両手の掌同士を合わせる。大家のおばあさんに教わったらしく、東にある島国『日の国』の作法らしい。
だから僕もそれに合わせて、エマと同じ作法で自分達に命を与えてくれた者達への感謝を込めて祈りを捧げる。「命をありがとう。命よ、いただきます」……と。
短く祈りを捧げた後、僕らは食事を始める。
素朴なご飯と思われるかもしれないが、僕はご飯が暖かいだけで心も体も温まりとても美味しいと感じる。しかもエマに作ってもらったご飯だ、なおさら美味しく感じる。
朝食を終えて片付けをすませた後。再びエマと机を挟んで椅子に座った後に、エマが質問をしてきた。
「ねぇ……昨日の事は覚えてないの?」
「ん? 昨日? なんの事だい?」
「……お酒を飲んだ後の事」
「げッ。え、えーと……職場の人達に誘われて飲んで、帰って来て……何回か、は、吐いてぇ……エマから水を貰って……から、覚えてない……最後にベットの上の天井が見えたきがする」
「あー……そう」
エマが質問して来た時は、どこか真剣そうな表情だったが。僕の回答を聞いていくにつれて、だんだんとジト目になっていき。最後には興味がない様な感じになってしまった。
いや、怒ってはいない。怒ってはいないが、何か期待外れみたいな感じかな?
「え、僕なんか嫌な事した? もしそうなら言ってくれ、謝る」
「いいえ……何でもない。嫌な事はされてないから大丈夫よ。あなたが吐いた物の後始末をしたぐらい」
「はうぁ……ッ!? そうだ、後始末……!!」
やべ、やっぱ怒ってる? それに関してはちょっと嫌だったって顔してる!!
「本当に申し訳ない……! お手数をおかけしました……ッ」
「だから別に怒ってないわ。覚えてないならそれで良い。それよりも今日は? 仕事ないの?」
エマがもうそれには興味はないといった表情で別の質問を投げかけて来た。
「あぁ、うん。今日はお休みだよ。久々に家でゆっくり過ごすよ」
「そう……ずっと家にいるの?」
「そうだねぇ、特に今日は用事もなかったし。あ、今日は僕が家事をするよ」
「しなくていい。休みなんでしょ? それは私の仕事、あなたはゆっくり休んでて」
そうエマに言われるも、僕はやはり「やるよ」と言い……かけたところで止まる。彼女の金色の瞳が強い意志をもって僕を見つめていた為に、その圧で黙らされてしまったのだ。ここはお言葉に甘えた方が良さそうだ。「オマエハ、ヤスメ」って圧がすっごい。
「ゃ――あぁ……うん、そうか、分かった。なら頼むよ……いつも本当に助かってる。ありがとう、エマ」
そう言って僕は彼女の頭を優しく撫でる。やはり彼女の頭は撫で心地が良い。
「……ん」
そんな僕に頭を撫でられているエマは、表情は相変わらず変化は無いけれどその綺麗な金色の瞳は僕の事をじっと捉えて見つめている。睨まれたら本当に怖いんだけど、こうやってよく見てたら本当に綺麗な目だと思う。僕を見るその視線には何だか熱っぽさがある気もする。……あれ? もしかして風邪を引いてる?
「もしかして……エマ、風邪引いてる?」
「……は? 引いてないわよ、バカね」
僕のバカな質問にエマは僕の手を振り払って席を外す。席から離れる時、エマはぼそりと小さく何かを呟いたようだけど上手く聞き取れなかった。
そのまま「洗濯してくる」と言って、洗濯物を詰めたカゴを持って家を出て行った。本当にエマには感謝しかない。いつも僕が仕事に行ってる間に家の事をやってくれる、それも毎日だ。何度感謝を伝えても足りない。
まぁ、だからこそ思い悩む事が僕にはある。
「……やっぱ嫌われてるのかな? 何かこうツンツンしてるというか、素っ気ないというか……うーん」
そうだ、僕は心から感謝しているそのエマ本人から〝嫌われているのでは?〟と、思い悩んでいる。別に好かれなくて良いと言ったら嘘になるけど、毎日お世話になっている子から嫌われたくないし。何より彼女に、毎日嫌な奴の為に苦労を掛けさせてるとなっていたら、彼女に申し訳ないと思うからだ。もしそうなら……彼女の別の住む場所も、働き口も探そう。
まぁ、結局は僕はエマに嫌われたくないってのが本音なんだろう、たぶん。
僕は狭い自室に戻り、ある本を数冊持って再び先程の机の前に腰掛ける。
持ってきたのは僕の日記帳だ。僕はそれを机の上に置いて本を開く。そこにはこれまで書いて来た日誌が描き示されていた。
「昨日の分も書いてなかったし、せっかくだからこれまでのを読み返してみるか」
僕は開いたページをペラペラとめくって書かれている内容に軽く目を通す。
「これまでの記録からエマに嫌われてるかどうかをちょっと考えてみよう。あと改めて好きな物とか確認してみよう、ちょっとでもエマを喜ばせたいし。そしたら……そうだなぁ、やっぱりエマと出会った時から読んでみようか。あの頃は何が嫌で何が好きかを模索してたからなぁ……いや、今もか」
そうして僕はこれまでのエマとの生活を振り返る事にした。
古い日記帳を開き、内容を確認しつつ目当てのページを探す。過去へ過去へとさかのぼる。彼女と出会ったあの日へと。
「……お、あったあった。これだ」
そして遂に、僕はエマとの出会いの日を記録したページを見つけ出した。
そのページは前のページと比べると、数日だが日を空けて書いてるのが分かった。そういえばバタバタして落ち着くまで書いてなかったんだ。
その事を思い出した後、再びエマと出会った時の事を書いたページに戻り一番始めの行を読んでみる。するとそこには……。
『目の綺麗な子猫を拾ったんだけど、もしかして嫌われてる?』
そう、書かれていた。
……あれ?
小説に関する勉強をしていたら、ふと前々から考えていたお話を書いてみたくなり。勢いで書いてしまいました。続くけど、まだ待ってね。
少しでも「面白い」と感じて頂ければ幸いです。
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