魔女と神殿と敬語。
◇
フレデリク大神官が、去った後、どこかレイの様子はおかしかった。血が通わない、かりそめの右手を握ったり開いたりしている。
まるで、憎むべき存在を前にして、剣に手をかけるか否かを迷っているように。
見えなくても、魔力の流れでエレノアは、そのことを感じ取る。
「……レイ?」
エレノアが声をかければ、初めて自分の行動に気がついたように、レイはぎこちなくその手の動きを止めた。
「……エレノア、会場にはもう人が集まっている。行こうか。もちろん君のご両親も、あとベルセーヌも来ている。それに……陛下もお見えになるそうだ」
「陛下もっ?」
レイとともに社交界に顔を出していた頃、遠目に見たことがあるだけの、雲の上の存在。エレノアにとっての国王陛下は、そんな存在だ。
(あれっ? 上手く誤魔化された気が)
だが、魔塔の長と英雄が、深い関係になることなど歴史上でも稀なことで、王家を取り巻く勢力図が、大きく書き換えられる意味合いを持つ。
エレノアが、己の価値に無頓着だとしても、英雄と魔塔の長の結婚は、国の重大イベントだ。陛下や神殿の最高位である大神官が参列することを、英雄であっても拒むことなど不可能だった。
エレノアが、婚約破棄を宣言した直後から、王家も神殿も、エレノアを、魔塔を取り入れようと動き出していた。
本人が、自覚していないのが厄介だとでも言いたそうに、レイは苦虫を噛み潰したような表情をした。
魔塔に閉じこもってしまったエレノアをもう一度、その手に掴むために、レイは政治的な意味でも力を振るうほかになかったのだから。
「帰ってからの数日間は、戦争よりも壮絶だったな……」
「レイ? どうしたの? 悪い雰囲気を醸し出してるよっ?!」
「それは、そうもなるさ」
「え?」
伯爵令嬢として身分もあり、誰よりも完璧な令嬢として振る舞うことができて、さらには魔塔の長。王族の一員と請われたのは、むしろレイよりも、エレノアの方だったのだから。
あの事件が起こるまでは、戦い続け、いつか相応しい立場を手に入れれば、エレノアを堂々と手に入れられると、レイは信じていた。
そして、あの日、自身の利き手を失った瞬間、レイは一度は諦めたのだ。
輝くような伯爵令嬢を、手に入れることは出来ないのだと。利き手を失ったことより、エレノアの隣に立つ資格を失った絶望のせいで、レイはエレノアから距離を置こうとした。
「まさか、その間にあんなことをしていたなんて」
「えっ、また何か私は、レイにご迷惑をお掛けしましたか?!」
なぜか敬語になってしまった花嫁を見つめるレイの瞳は、心中の葛藤を隠し、どこまでも穏やかだ。
「レイ……?」
美しく純粋な、そして少しばかり考えの足りないエレノア。
時に、信じられないほどの行動力と無謀さで、レイのことを守ろうとする、目の離せない大切な存在。
人生全てに投げやりになり、無茶ばかりするエレノアから目を離してしまった、過去の自分の横っ面を張り倒してやりたいと、レイは思った。
もし、利き手を失ったとしても、諦めることなくエレノアに歩み寄っていたなら、利き手を取り戻すという奇跡なんて起こらない代わりに、きっとここには、英雄も、魔塔の長も、存在していないだろう。
そう、ここにいるのは、ただ幸せな一組の花嫁と花婿だったに違いない。たとえ、利き手を失ったって、レイにはまだ出来ることは残されていたはずなのだから。
そうであれば、王族や神殿に、英雄としての権威を見せつけるための、千年蚕に紡がれたシルクのドレスなんて、必要なかった。
エレノアに似合うのは、そんなただ高価なだけの品物ではなく、もっと素朴でもっと自由な。
そして、彼女には似合わない権力争いや、魔塔の闇に巻き込まれてしまうこともなかった。
エレノアが、喜ぶものは、そんな華美な品物ではなく、もっと他にあることを、レイは理解している。
そんな彼女に笑いかけても、かつてのように、ただ何も考えず、幸せだけを感じて笑うことができないことをレイは認めたくはなかった。
(た……大変だわ。なぜかレイが怒っている)
不安になったエレノアは、もう一度、レイの腕にしがみつく。
「何か、先ほどの私の挨拶に問題が……?」
エレノアは、自身の立ち位置や、暗喩の理解が苦手だ。それなのに、その直感はどこまでも真実をついてくることが多い。
「そんなことない」
「英雄の妻になるのに自覚が足らず申し訳な」
「違う! 謝って欲しいんじゃない。ただ……」
「ただ?」
「はぁ。エレノアは、ただいつも自由でいて」
「それ、たぶんいつもと変わらない……」
エレノアにも、少しは自覚があるらしい。
神殿流の挨拶を他の人間が見れば、エレノアと神殿の関係を疑われるだろう。それでも、そのことについて、レイは何かを言おうとは思えない。
ただ、エレノアの自由を、そのままの彼女を守りたいと、レイはそれだけを誓い、再び見えない戦場へと向かうことを決意したのだった。
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