幸せになるって無条件に信じていた。
◇
今から約三年前、無敗の騎士として名を馳せていたレイ・ラプラスは、赤い飛沫を撒き散らし、地に伏していた。
いくら騎士団最強とも言われるレイでも、アリシア相手に、エレノアを守りながら戦うのは、負担が大きすぎた。
そして、その代償は、剣を握るべき右腕だった。
「逃げろ、エレノア」
「やだっ! レイっ!」
美しい黒髪と、見たものすべての印象に残る茜色の瞳をした少女エレノアが、必死な形相で、魔法薬をレイの傷口にかける。
圧倒的な効能を持つ魔法薬により、血が止まるが、もちろん腕は失われたままだった。
その日、王都は、狂ってしまった魔塔の長、魔女アリシアに蹂躙されていた。
真っ赤に燃える王都。そして、その悪夢の一日の最後に魔女アリシアが標的にしたのは、当時その稀有な魔道具と魔法薬の開発能力を買われて、魔塔に所属していた伯爵令嬢エレノア・クレリアンスだったとされる。
当時臨戦状態だった隣国の陰謀であったとか、魔塔にある最重要アイテムの暴走であったとか魔塔の長アリシアが魔女に変貌した理由については、諸説ある。
だが、当時の資料は、魔塔により秘匿され、真実を知るものはごく僅かだ。
それでも、当事者だった現在の魔塔の長エレノアと、英雄ラプラスは少なくともその日起こったことを知っている。
エレノアは、信じられなかった。
儚げであっても、アリシアの志は高く、人を傷つけるようなことを何よりも嫌っていた。
(だからきっと、元に戻る)
エレノアは信じて疑わなかった。
「どうしてっ、どうしてこんなことをするのですか?! アリシアお姉様っ」
アリシアとエレノアは、姉妹のように仲睦まじく過ごしていた。家族から離れて魔塔で過ごすことが多いエレノアは、心からアリシアを信頼し、慕っていた。
しかし、既に正気を失ったアリシアは、薄く笑いを浮かべ、強大な魔法を練り上げる。
そこに、優しく儚げでありながら、誰よりも強く、誰からも愛された、魔塔の長アリシアの姿はなかった。
その瞬間、エレノアは、魔法の起こした風でよろめき、膝をついた。
「――――魔塔を破壊しつくさなくては」
「アリシアお姉様っ!」
アリシアの恋人は、少し前に姿を消した。
その日から、少しずつ運命の歯車は狂ってしまっていたのかもしれない。
「いいえ、魔塔だけでなく、すべてを廃墟にするまで」
「っ……」
エレノアは、倒れたレイを振り返った。
片腕を失って尚、レイは、剣を支えに、立ち上がろうとしていた。
「レイ……。動かないで。すぐにちゃんと、治療しますから」
「エレノア。頼む、俺の後ろに」
「まだ、戦う気なんですか? 王家が勝手に決めた婚約者なのに、やっぱりここぞという時、レイは騎士ですよね」
「エレノア」
レイは、何かを決意して笑うエレノアを見つめ、その行動を制止しようと手を伸ばす。
その手をすり抜けるように、エレノアは胸に下げていた水晶のペンダントを握り、地面へと思いっきり投げつけた。
「レイ。私は、魔塔の一員として、今回の不祥事を解決せねばなりません」
「ダメだ! エレノア」
「……ここは私に任せて下さい」
エレノアは、魔法を使えない。
少なくとも、魔法を使えないことになっている。
だから、彼女の武器は、自身が開発した魔道具と、魔法薬だ。
その瞬間、周囲に細い蔦が張り巡らされる。
次にエレノアは、指輪を握りしめて、アリシアに投げつける。
眩い光が周囲を照らした直後、アリシアの体は細い蔦に拘束されていた。
「アリシアお姉様、目を覚ましてっ!」
「近づくな、エレノア!」
「魔塔の長になる者を消す……。そうしなければ、物語が始まってしまう」
「こうなったら……」
細い蔦は、金属と同じくらいの強度があるはずだった。だが、その拘束は、次の瞬間、容易く断ち切られて魔法の剣がエレノアの胸元に突きつけられた。エレノアは、覚悟を決めて、その茜色の瞳を金色に染め、魔法を使おうとした。
――――ゴトリ
しかし、次の瞬間、倒れ込んだのは、エレノアではなく魔女アリシアだった。
この直後、隣国との戦争がはじまり、レイ・ラプラスは、英雄としての道を歩み始める。
だが、隻腕となった今。その未来を知るものは、まだいない。
それでも、左手で放たれたレイの剣により、魔女アリシアの命は絶たれた。
なぜ、アリシアは豹変したのか。なぜ、エレノアの命を狙ったのか。
解けない謎を、残したまま。
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