魔女は英雄を堕落させる。
◇
ぼんやりと目覚めたエレノアは、寒さにフルリと体を震わせた。隣にいたはずのレイの姿はすでにない。
まだ、空が白みはじめたばかりなのに。
(昨日は遅くなると言っていた。もしかして、もう出かけたのかしら?)
いつも一人で過ごすことが気楽で好きだったのに、そばにあった温もりがなくなってしまえば、寂しさだけが際立つ。
そうなるとレイの居場所が、気になって仕方がなくなり、エレノアはそっとベッドを抜け出した。
魔道具に灯をつければ、仄かな光で室内が満たされる。霞んだエレノアの視界には、そこまで生活に関係なくても、明かりがあることで、少しだけ不安が薄らぐ。
エレノアは、簡素なワンピースにローブを羽織ると、屋敷に来て初めて、自室の外へ続く扉に手を掛けた。
ガチャリと音を立ててドアノブが回り、そっとドアを開く。だが、開けた直後、予想に反して部屋の中に影がさす。
「っ……レイ?」
「エレノア、外に出ようとしたの?」
そこには、軽食と飲み物をトレーに載せたレイがいた。目の前にレイが急に現れたことが意外で、エレノアは軽く目を見張る。
「音がしなかった……」
「ああ、この魔道具。便利だな」
まさか、もう魔道具を完全に使いこなしたとでもいうのだろうか。エレノアは、茜色の宝石のついた腕輪を凝視する。
――――高く跳躍できる魔道具の腕輪の真価は、重力に反発する力を生み出すこと。つまり、使いこなせば、足音すら無く歩くことができるのだ。あくまで、理論上は。
(机上の空論も、英雄の力なら現実になるのだわ。天才はいるのね)
自分の才能は棚に上げて、エレノアは素直に感心した。おそらく、エレノアの魔道具とレイの才能は、どこまでも相性がいい。
不可能を可能にするくらいには。
しかし、幾多の魔道具を使いこなしても、レイ一人では、魔塔のメンバーやベルセーヌ相手には、苦戦する。英雄の強さは、あくまで正面からの戦いで真価を発揮するのだから。
魔塔のメンバーは、目的も大事にするものも、全てがバラバラで一枚岩ではない。
ミーナが、エレノアに懐いていてくれることが、例外中の例外なのだ。
(隠者ゾーラ様は、長きに渡り魔塔に在籍している。何か叶えたいことがあるらしいけれど、その願いも目的も不透明だし、もう一人のメンバーに至っては、全く行動が読めないわ。悪い人ではないけど)
「エレノア……ここから出たい?」
「え?」
思考が中断され、エレノアが顔を上げる。
目の前のレイは、切なそうに眉を寄せた。
(ここは居心地が良い。欲しいもの全てが、ここにはある。それでも、私が本当に居たい場所は)
「そうね……」
密かに揺れたレイの瞳をエレノアは見ることができない。諦めるような吐息が聴こえるだけ。
「それなら、自由に……」
「レイが、ここに居ない時には、私も一緒に連れて行って欲しいわ。寂しいもの」
二人の台詞は、ほとんど同時だった。
レイが、衝撃を受けたように肩を揺らす。
珍しいこともあるものだと、エレノアは何故か高まったレイの鼓動の音に、耳を傾けた。
「……は? …………なんだ、それ」
「えっ、迷惑?! あっ、ご迷惑ですよね?! どうかご容赦くださいっ?!」
エレノアは、思わず告げてしまった言葉を、取り返したいと思って赤面し、動揺する。それはそうだ。魔道具があっても、エレノアの生活は不自由で、レイに迷惑をかけるだろう。
だが、何故かレイの頬が、赤く染まっているように見える。エレノアの気のせいなのだろうか。狼狽えた様子のレイは、そのまま口元を押さえしゃがみ込んだ。
「いやっ、あの……。全力で俺のことを駄目にしにくるの、やめて欲しい」
「……どうしてレイが、ダメになるの?」
「可愛すぎて、愛しすぎて」
「え、あの。大丈夫?」
あまりに意味がわからない言動を心配したエレノアが、しゃがみ込むレイの顔を下から覗き込む。瞠目した直後、レイが何故かニコリと美しく微笑んだ。
その瞳の色が、獰猛さに染まったように思えて、エレノアの本能が、これはダメだと告げる。
逃げようとしたが、時すでに遅く、エレノアは横抱きにされた。立ち上がり、歩き出すレイは、エレノアから目を離そうとはしない。
「おかしくなりそうだ。……責任とって?」
「せ、責任とは」
抱き上げられて、その顔に近付けば、やはりレイの頬が赤く染まってしまっていた。
そのことを指摘なんて出来ないまま、エレノアの頬も、赤いリンゴみたいになってしまうのだった。
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