あの日の思い出のその先に。
◇
ガチャッと魔石をはめ込む音が、室内に響き渡った。口をすぼめて、長く息を吐いたエレノアは、ようやく顔を上げる。
「…………レイ?」
顔を上げた先には、美しい海の色が、揺らぐこともなくこちらを向いていた。
「え? ずっと見ていたの?」
「ダメ……だった?」
(ダメなんてことは、ないけれど)
気配を消していたのか、魔道具の作成に集中してしまっていたエレノアは、全くその存在に気がつくことが出来なかった。
(いくらなんでも、気配を消すのが上手すぎる。これが英雄の実力というもの?)
そんな、少し的外れなことを考えながら、ふとエレノアは、まだ幸せな未来だけが二人を待っていると思っていた時間を思い出した。
「顔に煤がついてる」
「えっ?」
苦笑混じりに発せられたその言葉が、かつての思い出と重なる。
ただ、違うのは、あの時にそう言って笑ったレイと、慌てて顔を洗いに行ったエレノアの思い出を塗り替えるように、恥ずかしさに顔を背けたエレノアの手首が掴まれたことだった。
そのまま、まるで愛しいものを確かめるみたいに、レイの指先が、エレノアの顔についた煤を拭う。
「あのっ、手が汚れてしまうわ!」
「……そうだね」
肯定しているくせに、レイは煤で黒くなった指先をなぜか愛おしげに見つめたまま、洗いにいく様子はない。
「……あの時間を取り戻せるなら、どんな対価だって払えると思っていたけど」
「……あの時間?」
レイの言っている時間が、つい今しがた思い出した、あの時であればいいのにと、エレノアは願う。
そしてそれは、恐らく事実で。
二人の時間が、あの幸せだった穏やかな時間に巻き戻る。けれど、もう二人は大人で。そして、婚姻を結んだ夫婦になっていて。
レイの青い瞳が、閉じられた瞼で隠されたのを見て、エレノアも慌ててその茜色の瞳を閉じる。
エレノアの秀でた聴覚が、鼓動を拾った。
それは、どちらの心臓の音なのかわからないほど、激しく飛び跳ねている。
柔らかい感触が、あの日の思い出を塗り替える。
二人にとって、どうしても取り返したくて、取り返せないのだと諦めた、懐かしくて、愛しい、あの日の思い出を。
「あんなに求めてやまなくて、取り戻せたら、それだけでいいと思っていたのに。あの日の続きを望むだなんて、あまりに欲張りだって、エレノアは思う?」
その言葉に、エレノアは思わずブンブンと強く首を振った。振りながら、やっぱりエレノアは魔女らしくて強欲なのかもしれないと思う。
だって、エレノアも、幸せな日々が塗り替えられて、新しい時間が動き出したのなら、その時間をレイのそばで過ごしたい。
「…………愛してる。エレノア」
長い沈黙と逡巡の後、正面から、エレノアに告げられた言葉は、何よりも欲しかった言葉。永遠に受け取ることはないと、思っていたのに。
「…………私も、レイのことを愛してる」
「エレノアの、嘘つき。それでも、嘘でも、嬉しい」
「嘘じゃない。ずっと、レイのことが好きだった」
あの日の、出来事のせいで、封じてしまった言葉。
どうして、口に出してはいけないと、思い込んでいたのだろう。
お互いを傷つけて、ずいぶん遠回りしてしまったみたいだ。
「エレノアを守ることが出来たら、それだけでいいと思っていたのに」
その言葉とともに、抱きしめるレイの力は、痛いほどに強かった。
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