その気持ちに魔女は気が付かない。
その資料には、公式な記録には残されなかった、アリシアの過去が記されていた。それでも、アリシアが生まれた時までさかのぼる記録は、存在しない。
(どうして、山の中で恋人と二人で保護されたという記録以前のことをさかのぼることができないの)
そういえば、アリシアはいつも、エレノアに研究のヒントを与えてくれた。冷蔵庫もそうだし、研究中の遠くの人間と、音声を交換することができる魔道具だって、アリシアのヒントが影響している。
「――――アリシアお姉様は……」
「先代魔塔の長に関しては、それ以前の記録はありません。この世界に急に現れたとしか、思えないほど」
可能性の一つの信ぴょう性が高まったと、エレノアは考える。指の感覚を確かめるように、爪を軽く歯で噛んだ。
人が、ある日を境に急に消える。または、急に現れる。それは、魔法が存在するこの世界では、時々起こる出来事だ。
珍しいが、あり得ないほどでもない。
それに巻き込まれる人間は、何かしらの能力を持っていることが多く、各国に隠されているだけで、今だって存在するに違いない。
先代魔塔の長アリシアの魔法は、見たことのないものばかりだった。
神代の魔法によく似ていると、常々エレノアは思っていたが、そのことを尋ねても、アリシアは、その艶やかな黒髪を細い指先でかき上げて、曖昧に笑うばかりだった。
「……そう。曖昧に笑った」
それでも、あの日のアリシアの暴走と言葉の謎が解けるわけではない。
おそらく、これ以上過去の出来事を調べようとしても、手詰まりだ。
たぶん、答えはアリシアとの会話の中にある。
「……余計なことを、話過ぎたみたいです。英雄殿に出禁にされそうなので、今日は帰ろうと思います」
「えっ? よくわからないけれど、ミーナが来てくれなくなるのは困るわ。また、来てくれる?」
「ええ。英雄殿のお許しがあればですが」
「……? レイはそこまで、心が狭くないわ」
「英雄殿の素晴らしいお人柄は、あたしだって理解しています。先の大戦では、魔塔と王国軍の共同作戦もありましたからね。ただ、エレノア様が絡むと……。あはっ、この会話も筒抜けですね。そんなに慌ててこちらに来るなんて。このまま喋ってしまうと、本当に出禁にされますね。帰ります」
「……わかったわ」
ミーナがいなくなって、静かになった室内に、若干の胸騒ぎを覚えながら、エレノアは瞳を閉じた。
◇
……あれは、アリシアが我を忘れ、王都を破壊しようとした、あの悲劇が起こる少しだけ前の会話だった。アリシアは、恋人を失ってからというもの、ふさぎ込む時間が増えていた。
そして、まるで未来を知っているような言動が増えていった。
「アリシアお姉さま。どうして、今回の魔獣の大量発生が分かったのですか」
「どうしてと言っても……。知っていたと答えるしかないわ」
アリシアは、相変わらず神秘的な微笑みで、掴みどころがなかった。
それでも、いつでも優しいアリシアは、魔塔に通うエレノアを妹のように慈しんでくれた。
恋人を失って、悲しみの底にいるはずのアリシアは、その日も優しかった。
アリシアの恋人は、流派不明であっても、誰よりも強い剣の才能を持ち、英雄に一番近いと目されていた。魔塔の長になったアリシアと、その恋人が王国を守り、その平和を盤石なものにするのだろうと、だれもが疑わなかった。もちろんエレノアも。
だが、アリシアの恋人は、ある日を境にいなくなってしまった。
その理由は、今も秘匿されている。
まるで、レイとエレノアにとって、決して忘れることが出来ない、あの日の事件が秘匿されているのと同じように。
そこまで考えて、この部屋へと向かう足音にエレノアは我に返った。
それは、体重の分散が完璧で淀みのない、レイの足音だった。しかも、なぜか相当慌てている。
(思ったより早い帰宅ね。戦後処理の課題が山積みで、今日も遅くなるって聞いていたのに)
その足音は、エレノアの元にたどり着くのが、待ちきれないとでもいうように徐々に早くなり、扉が開かれる。
「――――エレノア」
レイの表情が、なぜか歪められているのを見て、エレノアは瞳を瞬かせる。
どうして、そんな表情をしているのだろうか。
いつも、無表情なことが多いレイが、そんな焦りに支配されたような顔をするなんて、とても珍しい。
「どうしたの……」
「……ここに」
「え?」
「ここに、もういないかと思ったから」
「どうしてそんなことを思ったんですか? 私は、ここにいますよ」
エレノアを抱きしめた、レイの腕が少しだけ震えていた。
いったい何をそんなにおびえているのだろうか。エレノアは、不思議に思いながら、レイの体を包み込むように抱きしめる。
「どうしたのです?」
「ミーナ殿が言っていただろう? ……俺は、自分がおかしいことを理解している」
「へっ? レイがおかしいのなら、私なんかどうなるんですか」
「エレノアは、かわいい」
「――――確かに、レイはおかしいです。あれ? なんでさっきまでの会話、知っているんです……」
「――――それは」
「あぁっ! まさか、まさか!」
エレノアは、耳を澄まして微かな魔力の流れを探し出す。
レイの魔力で、あふれかえる室内。
同じ種類の魔力で紛れているから、気が付かなかった。
「うあぁ……。すでに実用化されていたということですか」
いたずらが、見つかってしまったように、下を向いたまま怒られるのを待っている様子のレイ。だが、今はそれどころではないと、エレノアは、その魔法陣を探し出す。
「――――魔道具で、実用化しようと思ったのに、すでに魔法で実用化レベルに達していたとは。ベルセーヌの仕業ですか?」
「……遠くに音を届ける魔法陣の構築は、軍の最重要機密であり、最重要研究事項だからな」
「この魔法陣を描くための媒体は」
「リバイアサンの魔石」
「うああああっ。仮説は合っていたんですねっ?! ベルセーヌに先を越されたぁっ!」
多分、ショックを受けなければいけないのは、部屋に音を拾う機械が設置されていたことなのだが、エレノアの興味はそこにはない。
「あの……。エレノア? 俺は、もう口をきいてもらえない覚悟で」
「――――はぁっ。そうです。最重要機密をそう簡単に口にしてはいけません。でもっ、この際、発動条件を」
「え? そこの魔法陣を構築できるか否か……」
その瞬間、床に這いつくばったエレノアは、食い入るように魔法陣を見つめた。あまりに貴族夫人らしくない姿だとしても、視力が弱いエレノアは、こうするほかにない。
たぶん見えていた時から、そういう行動をしていたかもしれないが。
「……これは、実用化したというより、大量の魔力と才能によるごり押しですね。ふう……。ベルセーヌとミーナくらいにしか、構築できそうにありません。でも、これは応用すれば、リバイアサンレベルの魔石でなくても万人向けに実用化が可能……」
ふらふらと、研究室へと向かうエレノアの背中を見つめて「やっぱり、俺は眼中にないのだろうか……」と新婚のはずの夫はため息をついた。
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