合意の上ならいいですよね。
「エレノア様っ!」
ミーナが訪れると、静かなエレノアの私室は、急に騒がしくなる。
それは、魔塔に暮らしていた時から、変わらない。
「よく来たわね」
「はいっ。英雄殿の許可をいただけてうれしいです」
「……許可? ミーナならいつでも大歓迎だわ」
「――気が付いていないようですね。……まさかまだ、この部屋から一度も出ようとしていないなんて。ある意味尊敬します」
エレノアが、その瞳を猫のように細める。
一瞬、その瞳孔が、縦に細くなったように見えて、不思議に思ったエレノアは顔を近づけてのぞき込もうとした。
「エレノア様……?」
「はっ、ごめんなさい。よく見えなくて」
ミーナには、不思議なことが多い。
強大な攻撃魔法に関しては、魔術師団長であるベルセーヌにも引けを取らない。けれど、魔塔に来るまでの公式情報が、どこにもない。
というよりも、貴族令嬢として生まれ、その出自がはっきりしているエレノアが、魔塔においては逆に異質な存在なのだ。
全魔塔の長であるアリシアですら、ある日突然、公式文書にその非凡なる魔法の才とともに現れた。
その時から、当時英雄に一番近いと言われていたアリシアの恋人も公式な記録へアリシアとともに名を連ねるようになった。
突然どこかから現れたアリシアとその恋人は、アリシアが魔塔に在籍し始めるまで、一緒に冒険者をしていたということまで、エレノアも掴んでいる。
「それにしても、この部屋から一度も出ようとしていないとは……。まあ、魔塔の部屋からも出てくることはなかったですからね。これはこれで、幸せという解釈でいいのですか?」
「……何のこと?」
「世間で、どんな風に噂されているか、その非凡な情報収集力で把握していないのですか?」
エレノアは、情報収集を得意とする。
王国中の音は、彼女の手の内にある。
しかし……。
(えっ、私とレイが、王都でどんな噂になっているなんて、知ってしまったら恥ずか死ぬ!)
しかし、その柔らかい頬を両手で形が変わってしまうほど押しつぶしたエレノアは、羞恥心のあまり、自分達に関する噂を意識して聞かないようにしていた。
いつもの立場とは逆で、冷静に口を開くミーナからエレノアは、信じられない言葉を聞き、自分の不甲斐なさに森の奥に隠遁したくなってしまう。
「英雄殿が、妻を愛しすぎるあまり、屋敷の中に軟禁しているという噂が立っておりますよ?」
「はぁっ?!」
(レイがそんなことをするわけないのに、いったいなぜそんな噂が?!)
エレノアの背中を冷たい汗が伝った。
英雄であるレイが、周囲の嫉妬に晒されるのは仕方ないとしても、これは引きこもり体質のエレノアに非があるのではないだろうか。
だが、煙のないところに噂は立たないのだ。
(そ、そういえば、夜会に夫婦で参加していないなんて、あり得ないのでは?!)
このままでは、お飾りの妻としての役割すら、果たしていない。役に立つと決めたはずなのに、エレノアはどうもレイの足を引っ張っているだけのようだ。
(魔道具の力さえ借りれば、以前のように貴族としての役割を果たすことだって、出来るのに)
レイは、エレノアに何も求めない。
だからといって、レイの役に立とうと、この結婚に踏み切ったエレノアが、何もしなくて良い理由にはならない。
動揺に思わず震える拳をそっと押さえ込んだエレノアに、気づいているのかいないのか、ミーナは続けて核心へと踏み込む。
「でも、あたしが見る限り、合意の上のようですし、世間様の噂など気にすることないですね!」
「え? その言い方だと、私が合意の上で軟禁されているみたいでは?」
「――――違うのですか」
「――――違うわよ」
「……ふーん? それなら、この部屋から一回出てみるといいと思いますよ」
そこで初めて、エレノアは、部屋の外に出るという選択肢があるということに気が付く。
あまりに、この部屋がエレノア好みに整えられていたから、部屋の外に出てみようという気が、まったく起きなかった。
エレノアの感覚は、やはりどこか人とは違う。
欲望を満たすものが目の前にあれぼ、それしか見えなくなってしまう。
だからこそ、魔女と呼ばれてしまうのだから。
「まあ、この話は終わりにして、本題に入りましょうか」
「えっ? そ、そうね」
ミーナは、勝手知ったるとばかりに、部屋の真ん中のテーブルの上に、抱えてきた資料をドサリと置いた。乱雑に積み上げられただけの資料が、一部床に落ちてバサバサと音を立てていく。
「……エレノア様が、探していた資料を見つけましたから」
「探してた資料って……。まさか」
床に落ちた資料。偶然開いてしまったページには、まだ、魔塔の長になる前のアリシアの儚げな微笑みが描かれていた。




