時はまだ来ないから。
レイがエレノアを抱えたまま、器用にどこからか放たれた魔法を剣で弾く。
いつのまにか、陛下を守るように立ち塞がったベルセーヌが、防護結界を張るのを見届けて、エレノアはミーナに密かに指示を出す。それは誰にも聞こえない魔道具を使った誰にも聞こえないはずの会話だった。
(あれ?)
指令を送った瞬間、レイが一瞬、眉をひそめてエレノアの方に視線を向けた気がした。
(いくらレイでも、聞き取ることはできないはず)
「承りましたですよ!」
(ミーナも、そんな大きな声を出したら、指示出したのがバレバレだわ)
短時間で、エレノアは色々諦めて、開き直ることに決めた。
(せっかく綺麗な色だったのに)
名残惜しさを振り払って、レイの瞳の色をしたネックレスに施された仕掛けを発動する。
南の海の青さが、夕暮れの海へと塗り替えられていく。
その直後から、参加者全員を、茜色の光が包み込んでいった。
ほんの少しの魔力が、エレノアからネックレスに流れて、その代わりに、エレノアの瞳の奥が、パキパキと小さくひび割れるような音を立てる。
(これで、ミーナがどんなに強大な魔法を使っても安全だわ。ましてや、ベルセーヌもいる)
「ミーナッ! 暴れることを許すわ!」
その瞬間、ギリッと歯軋りの音が耳元で聞こえた気がした。
「エレノア、あまり無理をするな」
抱き上げられ、ベルセーヌの横に置かれる。ここは、たしかに今この瞬間一番安全だろう。ベルセーヌの強さは、戦うことよりも守ることにある。
それなのに、安心できる腕から離されて、エレノアは湧き上がった不安を自覚する。
(無理するななんて言葉、そのままレイに返したい)
不安の源は、自身の安全に関するものではない。
だって、レイは戦いたくはないと言っていたのだから。
「レイ……行かないで」
「わがままを言ってもらえたら嬉しいけど、その願いは聞けない。俺は、魔塔の長の伴侶として相応しい英雄でありたい」
その言葉を残して、レイは高く跳躍した。それは、どう考えても人間が跳ぶのは不可能な高さだ。
(――魔塔の長の伴侶に相応しいから英雄でありたい?)
その手首には、茜色の宝石がついた腕輪が光っていた。
「あっ、それ! 私から取り上げた魔道具?!」
「あとで、対価は払う。あと、そのネックレスも欲しい」
「えっ、せっかくの宝石の色を変えてしまったから回収ですか?! 怒っておられますか?!」
「エレノアの瞳の色になったその石、手元に置いておきたいから。俺の瞳の色の宝石は、また贈らせて」
遠くなってしまったその声は、多分もう、エレノアにしか聞こえない。
「っ……約束ですよ?」
ベルセーヌと陛下のそばに取り残されたエレノアは、あきらめの吐息とともに振り返る。
「……ようやく、誰の邪魔もなく話せるな」
「――――っ、陛下」
薄く笑った陛下が口を開いた。
その声は、先程の印象より、ずっと若い。
(そういえば、アルドランド国王陛下は、私が魔塔に篭った後に、その地位についたのだわ)
新国王即位のお祭り騒ぎの中、エレノアはやっぱり部屋から一歩も出ることなく、いつも通りの生活を送っていたのだが。
エレノアは、初めて真っ直ぐに陛下の顔を見た。
焦げ茶色の髪と瞳、色合いはよくあるものなのに、そこには確かに王者の風格が漂っている。そして、やはり思ったよりもずっと若い。
「それは、どう言う意味でしょうか」
「魔女アリシアの真実が、知りたくはないか?」
「……アリシアお姉様の?」
「そう、魔塔と英雄の物語だ」
「物語」
物語とはいったい、どういうことなのだろうか。
そういえば、あの日のアリシアも、物語が始まってしまうと言っていたのではなかったか。
レイがその場にいたら、もちろんその話題からエレノアを遠ざけたに違いない。どんな手を使っても。
「教えてくださると、仰るのですか?」
エレノアは、思わず差し伸べられた手を取ろうとした。だが、木でできた無骨な杖で、その手は阻まれる。
「やれやれ、魔塔の長ともあろうお方が、誰かの言葉をすぐに信じるなんて、愚かだと何度も申し上げていたはずですが」
「ゾーラ様?」
振り返れば、魔塔のメンバーの一人。隠者ゾーラが立っていた。その気配は感じられず、よく見知った相手のはずのエレノアにとってすら、不気味な印象を与える。
「さて、魔塔の秘密に無闇に踏み込まれるならば」
「そうか、まだ時は来ないからな。……今はまだ」
そう言い残した陛下が去ってすぐ、ミーナがエレノアの元に飛び込んできた。
「無事ですかっ?! ごめんなさい、敵に逃げられてしまいました」
「ミーナが無事なら、いいの」
振り返った先には、ゾーラの姿はすでになかった。
(助けられたの? それとも……)
また、年に四回、季節の変わり目の定期会合まで、その姿を見つけるのは困難だろう。
誰よりも長く魔塔に所属していると言われるが、その研究内容は、禁術に近く、エレノアでさえもその全貌は知らない。
「あとは、レイが帰ってきたら」
「誓いの言葉と口づけですねっ!」
「えっ? 人前で?!」
「そう言うところだけ、貴族令嬢って感じですよね」
(キスをされたって、それはただの儀式で)
エレノアは、ドクドクと高鳴る胸をそっと押さえる。鼓動が高まっているのが、不安なのか、それとも誓いを目前にしているからなのか、エレノアには判断できそうになかった。
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