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怠惰に暮らしたいだけなのですが?



 魔塔の乙女、エレノア・クレリアンス。


 建国当時からそびえたつ魔塔の長。

 その名は、国民であれば、子どもでも知っている。


『悪いことをしていると、エレノア様に魔塔へ連れていかれるよ』

「え〜。連れて行かないよ? 自分の責任で怒って」


 それは、子どもを叱るときの決まり文句なのだから。


(まったく、ひどい話だわ)


 だからって、彼女が国民に忌み嫌われているのかというと、そうでもない。


『すべてを救う万能の魔女』

「万能……? こんなに偏った人間いないとおもうけど」


 彼女に望めば、なんでも叶うと噂されている。


 国中を脅かす流行病の薬。

 戦争の流れを変える兵器。

 美しき肌をいつまでも維持する魔法薬。


 ――腕を失ったものに、新たなそれを与えることだって、彼女なら出来るに違いない。


(万能だったら……良かったのにね)


 ポリポリと音を立てながら、お菓子を食べてダラダラ暮らす。その姿は、先程のイメージとはかけ離れている。


 それでも、魔道具の力で王都中の音を自在に集めることのできるエレノアは、国民に恐れられ、敬われる魔女だった。


 そんなエレノアについては、謎が多い。


 はっきりしているのは、クレリアンス伯爵家の三女として生まれ、絶世の美女であること。


 英雄と呼ばれるレイ・ラプラスの婚約者であったが、約三年前に婚約破棄を宣言した後、塔に籠り、魔塔の長になったという事実だけだ。



 ◇



 魔塔の最上階。


 蔦と古びたレンガで覆われた、伝統ある外観とは裏腹に、その部屋はこの国の最先端という言葉がふさわしい。


 王都の中心部でしか見かけないライトで明るい室内は、夜を忘れてしまったみたいだし、いつでも冷えた飲み物が飲める冷蔵庫は、まだ王族の私室にだってない。


 魔法が栄えていても、文明は、まだまだ未発達ともいえるこの世界において、この部屋は明らかなオーバーテクノロジーで溢れていた。


 そんな中、ぬいぐるみやレースのカーテンが、どこか別世界のような非現実さを醸し出している。


 そんな部屋の中心で、寝転がる人間に合わせて形を変えるソファーに、うつ伏せのままゴロゴロと怠惰に寝転ぶのは、黒髪の一人の少女。その瞳は、夕暮れの空のような茜色だ。


 その時、扉がノックもそこそこに、乱暴に開かれた。


 少女は、億劫そうに顔を上げる。予想通りの人物に、ため息をひとつ、文句をひとつ口にする。


「乙女の部屋に勝手に入ってくるのは、あなたくらいよ。ベルセーヌ」

「――乙女が、そんな風に寝転んでいるはずがない。魔塔の長、エレノア様」


 整った口元を歪め、メガネのふちを持ち上げたのは、薄水色の髪をした青年だ。


 王国の智謀の大半を担う、ベルセーヌ・リベラル。


 軽い口調とは裏腹に、その冷たく見える瞳の奥では、今も物事が思惑通りに進むように、計算され続けているに違いない。


「私室だからね? 乙女だって、どう過ごそうと自由だわ」


 それでも、エレノアにとって、ベルセーヌは、心をを許して付き合える数少ない存在だ。王国魔術師団とと魔塔、お互いがお互いにとって、なくてはならない便利なコマなのだという現実を除いたって。


 ベルセーヌが身に着けている服装は、魔術師団のもので、その胸に光るのは、その長が代々受け継ぐ、古代魔法が封印されたブローチだ。


(相変わらず、憎たらしいくらい魔術師団の制服が似合うわね。ふぅ。それにしても、あのブローチ、相変わらず禍々しいぃ……あんなの身につけているなんて、よく耐えられるわよね)


 その魔法を、ブローチに込める方法を知っているのは、今となっては魔塔の長だけだと言われている。

 使わなくて済むに越した事ない。そういう類の魔道具だ。


「……はぁ。それで、魔術師団長様が、直々に押しかけてくるような案件なんて。今度は、何が起こったの?」


 ゆるゆると起き上がったエレノアは、今度はソファーに座りなおして両足をパタパタと揺らす。


 魔術師団長に、こんな態度をとる人間は、エレノアぐらいだろうとベルセーヌは、苦笑した。だが、嫌というわけでもない。


 呼び捨てされることだって、ベルセーヌはエレノアくらいにしか許していない。


 魔術師団と魔塔は、別組織だ。


 他国までも独自の情報網と影響を持つ魔塔は、独自の権限を持つ。


 それでも、魔術師団長だけは、秘密に包まれた魔塔への入塔権利を有している。


(魔塔の長が、許す限りは)


 それはさておき、愛とか恋という感情については全くないが、年の離れた妹のように思える大切な存在。それが、魔術師団長ベルセーヌ・リベラルにとってのエレノアだった。


 戦いに明け暮れるベルセーヌにとって、この怠惰な空間は、どこか居心地が良い。

 時間も役目も忘れ去って、いつまでも、この場所でのんびりと過ごしていたいという誘惑に駆られる。


 蝶を誘う蜜のような誘惑も、エレノアが魔女といわれる所以なのかもしれないと、ベルセーヌは思った。

 だが、時は一刻を争う。ベルセーヌは、そんな浮ついた考えを振り払うと、表情を改めた。


 そのことで、ベルセーヌがただ、会いにきただけではないのだと察したエレノアは、本当に嫌そうに唇を尖らせた。


「やだなぁ……真面目な話なのね。次に来るときは王都の新作のスイーツを持ってきて、楽しくお喋りするって約束したのに」

「約束した覚えがないのだが。まぁ、それは、次の機会に」

「はぁ。そこに座って」


 エレノアは、もう一度ため息をついて、ようやく立ち上がる。


 その長身には少し小さな椅子を勧められ、窮屈そうに座ったベルセーヌの目の前に出されたのは、冷蔵庫から出された紫色で小さな泡が沸き立つ、冷たく摩訶不思議な飲み物だった。


「新作よ。どうぞ召し上がって。魔術師団長殿」


 魔術師のローブを羽織っているのに、極上のドレスを纏っているかのような優雅な所作。

 少女のようだったエレノアが、一瞬にして最高の淑女へとその雰囲気を変える。


 魔術師団長として、人の上に立つベルセーヌですら、居住まいを正さずにはいられなかった。


 それは、ベルセーヌに、かつて王宮で見かけたことがある、英雄の婚約者エレノアの姿を思い起こさせた。


 洗練された所作で、小さな机を挟んで、ベルセーヌの向かいの席に腰かけたエレノアは、自分の目の前にも置かれたその紫色の泡立つ液体を一気にあおった。


「くっ、体に悪くないんだろうな?!」

「……さあ?」


 質問するのではなかった、とでも言いたげな表情をした後、ベルセーヌも、意を決してその液体を飲み干す。


 魔女の出した飲み物を飲み干すことは、魔女への信頼を表す古くからの慣習だ。


 それが分かっていて、エレノアはベルセーヌにこの飲み物を出したのだろう。


 ――エレノアは魔女であると、主張するために。


 予想に反して、その液体はどこまでも甘く、ほんの少しの酸味を感じて、さらに刺激的だった。


「それにしても、魔獣討伐の帰りか何かなの? 魔力がほとんど底をつきかけていたわ。それで、少しは回復したでしょう?」

「ひと悶着あってな……。主に、誤解のせいで死にかけたんだ」


 にこりと笑うエレノアに、ベルセーヌは肌が粟立つのを感じた。つい、本当のことを告げてしまったのも、想定外だったせいだろう。


 魔力量は、魔術師にとって、最も隠すべき生命線だ。だから、何重もの魔道具や魔法で隠蔽しているのに。


 ましてや、魔術師団長であるベルセーヌの魔力量を見ることができる人間は、英雄レイ・ラプラスくらいしかいない。


 そして、実際に漲ってくる力は、本当に久しぶりに魔力がすべて回復したことを意味していた。


「――それで、本題に入って。新しい魔道具の構想に忙しいの」


 雑多に置かれている魔道具や瓶に詰められた魔法薬は、どれも、その販売権や製造方法を欲しがっているものと取引をすれば、王都に屋敷の一軒や二軒は立ってしまうようなものばかりだ。


 なかには、その技術をめぐって、国家間の戦争に発展する可能性があるものまであった。


 どこかとぼけた印象の、かわいらしい女性がその制作者というのは、あまりにそぐわない。


 それでも、確かにエレノアが、その魔道具を構想し、制作したことをベルセーヌはよく知っている。ベルセーヌ自身も、何度もその魔道具に命を救われているのだから。


「……第一級招集が掛かっています」

「へぇ……? ドラゴンでも出現したの? ん? ベルセーヌがここにいるってことは、誰に」

「魔塔の長、エレノア様に」

「……誰からの依頼? 陛下?」


 魔塔は、太古から特別な権限を与えられている。


 基本的には、治外法権だから、王族であっても、おいそれと、ダラダラと暮らすエレノアを外へ呼び出すことは不可能だ。


 すべての権利を超える意義を持つ、国家の非常事態に発令される、第一級招集を除いて。


 そして、それを発令できるのは、国王陛下か、魔塔を上回る権限を持つ者だけだ。目の前にいる、一万の兵を相手取り戦えるという噂の魔術師団長ベルセーヌですら、その権限を持たない。


 ベルセーヌが、緩々と首を振る。


(陛下ではないとすると、この国の軍部を束ねる将軍であり英雄であるレイ・ラプラス……)


「英雄レイ・ラプラスが、三年ぶりに帰還しました」

「……今まで世話になったわね」

「どうして、わざわざ多忙な俺が迎えによこされたと思っているんですか」


 そんなの、エレノアを逃さないために決まっている。

 エレノアが、首元の魔石に手をかけるより、ベルセーヌの拘束魔法のほうが一瞬早かった。


「魔力を補充していただき、感謝しています。おかげで役目を果たすことができます。今回の任務、強大な敵に、命を賭けねばと思っていましたから」

「強大な敵とは?!」

「あなたのおかげで無理難題を吹っ掛けられていることは、これでチャラにして差し上げます」

「いや、あなたが持ってくる無理難題を解決してあげているの、誰だと思っているの?! 私は一応、魔塔の長なんだよ? 国家を揺るがす大問題に発展するんだから!」


 かくして魔女エレノアは捕らえられた。


「ああああっ、せめてお気に入りのソファーだけは!」


 静かな魔塔に、場違いな声が響き渡ったが、それもすぐに遠く消えていった。


最後までご覧いただきありがとうございます。


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