迷いの森・3
それは真昼の木漏れ日を跳ね返すように、強い輝きを放っていた。
だが、鬱蒼と生い茂った木々に阻まれ、その姿ははっきりと見えない。
ただ解るのは、それがかなり大きな生き物であると言うことだ。
ともすれば、かなり大柄であるはずのデニムよりも大きいかもしれない。
カシミアは何とか驚きから覚めると、傍らにあったメイスを手に取り、それを構えた。
デニムはすでに、鞘を左手に、カシミアを庇うようにして立っていた。
しかしまだ、その剣を抜いてはいない。
しばらくの間、両者は一歩も動かず対峙していた。
「……?」
しかしその影は一向に動こうとしない。
デニムは怪訝そうに首を傾げると、カシミアのほうを振り向いた。
「……」
カシミアも何かを感じているのか、眉をひそめ、かすかに眼を眇めている。
「うーーーん」
そのカシミアの表情にデニムは一声唸ると、困ったようにぽりぽりと鼻の頭を掻いた。
そして小さく呟く。
「正体は何か解らないけど……」
その後を受けるようにカシミアもまた呟く。
「どうやら、敵意は無いようだね……」
「ああ。なんだか静かだ」
デニムはそう同意すると、剣を鞘ごと腰差しに収めた。
カシミアもそれに倣うように、構えを解く。
まるでそれを見計らったかのように、その生き物は森の奥からゆっくりと姿を現した。
「な……!」
その姿にデニムが一声上げて絶句する。
「まさか……そんなバカな」
信じられない、といった口調のカシミア。
現れたのは、この世のものとは思えぬ程、美しい生物だった。
白い毛並みはやわらかく陽光を弾き、長い首からなだらかな背中にかけて波打つように流れている。
見た目は馬にかなり近いのだが……
「馬……じゃ無いよな……?」
デニムが確認とも疑問ともつかぬ口調でカシミアへと囁く。
カシミアはその声に応えることなく、その『馬のようなもの』を注意深く見つめた。
大きさは、普通の馬と比べて一回り大きいくらい……それだけなら、さほど驚くほどでもない。
決定的な違いは、その足元にあった。
そこだけ何故か薄青い毛が逆立ち、揺らめいているように見える。
しかし、よく見るとそれはまるで違っていた。
ひづめを覆い隠すように、その足元から立ち昇っていたもの……
それは青い炎だった。
「これは……幻獣だ……」
一歩前に進み出て、カシミアが呟いた。
「……ゲンジュウ?」
オウム返しで繰り返して、デニムはきょとんと首を傾げる。
「驚かないのか?」
反応の薄さに微かに苦笑しながら、そう問い返す。
「いくら何でも、幻獣くらい知ってるだろう?」
「そりゃあ、話には聞いたことあるけど……」
困ったようにデニムはまた鼻の頭を掻くと、周囲へ目線を投げた。
「でも今は昼間だぞ? 幻獣はこっちの世界では昼間には出てこないって……」
「昼間どころか、人間の居る世界には滅多に現れないよ……でもこれで合点がいく」
苦笑を漏らしながらそう言って、カシミアは一人頷いた。
「……?」
今一つ要領を得ない様子で、デニムはただカシミアの次の言葉を待つ。
「まずは、ポロの実……」
「ん……? ああ……?」
「あれは君の故郷でしか採れない、貴重な果物だよね?」
カシミアが問うと、
「まあ、そう、だな」
デニムが、よく解らないまま相槌を打つ。
「そして、同じ時季に生るはずの無いものが、ほとんど無秩序に生えている」
「???」
殆ど独白に近い声に耳を欹てながら、口を挟むことが出来ないデニムはますます首を傾げる。
その表情を横目にしながらも、カシミアは構わずに先を続けた。
「そしてシマオオカミ……」
「シマオオカミが? ……って、…あ!」
デニムはそこで何かに気づいたように、空を見上げた。
きれいな青空が広がり、木漏れ日は相変わらず眩しい。
「あいつら、確か夜行性……」
「へえ、夜行性って言葉、知ってたのか?」
少しばかり揶揄うような口調のカシミアに、デニムはちょっとだけ口元を歪めて見せる。
「さすがにそのくらい知ってるよ! ……でもそれが幻獣と何か関わりがあるのか?」
「デニムにしては鋭いところを突いてきたね。……そう、幻獣は人間界には召喚されない限り存在することも出来ないんだ」
「つまりなにか? ココは幻獣の世界、って言うことか?」
「確証は無いけどね……直に聞いてみるか?」
妙に気軽にカシミアはそう言うと、幻獣の前に進み出た。
幻獣は怖気づく様子もなく、静かな瞳でカシミアを見つめる。
その様子に、攻撃してくる可能性は薄いと判断し、デニムは一歩下がった。
「出来るのか?」
単純に確認するかのようなデニムの口調に、カシミアは苦笑と共に軽く肩を竦める。
「さあね……やるだけやってみるよ」
軽い調子でそう言って、カシミアは薄く眼を閉じた。
口の中で小さく呪文を唱える。
幻獣はなおも逃げ出すこともせず、じっとカシミアを見つめている様だった。
…………
そうしているうちにカシミアの身体の周りに薄い光がまとわりつき始める。
デニムは声も無く、その様子を見つめていた。
「大丈夫、怖くないから……」
とびっきりの優しい声で、カシミアが囁いた。
柔らかな光を纏わせたカシミアは、まるで人ならざる者のように美しい。
男のようにも見え、女のようにも見えながら、そのどちらにも見えないような……
(…………)
どこかで見たような気もするのだが……何かの絵だったか……?
考えてみても思い出せそうにない。
デニムは諦めたようなため息をつくと、目の前の光景に意識を戻した。
光を纏うその手が幻獣に伸びる……
もう少しで手が届きそうになった、その時、
「……リュート!」
森の奥から、叫び声がこだました。
今回は少し短めです。
よろしくお願いします。