静かなる夜・5
「おい……そこまで笑うかぁ?」
タライから頭を引き上げたデニムが、腹を抱えてひーひーと悲鳴を上げるカシミアに向かって地の底から響いてくるような唸り声を上げる。
茶色の髪が濡れそぼり、ぽたぽたと雫を垂らす前髪の向こう側の眼は半眼だ。
知らない人間が見たら後退りしそうな迫力だが……残念ながらカシミアには通じない。
そしてそれはコットンにも言えることだった。
「あれ…………?」
今一つ状況がつかめずきょとんと小首を傾げるコットンと、元からよく分かってなさそうなオーボー……ファーゴは妙に嬉しそうに笑って(?)いる。
「ははは…………ゥんッ……いや、ごめん」
笑いの残滓を口元に残しながらも、カシミアは辛うじてそう言葉を紡ぐ。
タライの両脇を握りしめるデニムの腕がプルプルと震えている……これ以上揶揄えば本当にファーゴの証明をやりかねない。
湯浴みはしたいが、流石にタライごと頭から被るのは御免被りたい。
全く響く様子を見せない周りに、デニムは尚もしばし半眼でいたが……
「俺はそこまで怪力じゃないよ」
と、説得力の薄い呟きを漏らして前髪の雫を払った。
気を取り直して身体を拭き始める。
カシミアもデニムが突っ込んだタライに、お構いなく布を浸す。
白濁の湯は、拭くと身体がさっぱりし、仄かな花の香りと共にスッと肌に馴染む。
そんなつもりはなかったが、思いの外汗を掻いていたらしい。
「すっごくさっぱりするな……」
感心したように独り言ちながら、布を後ろに回し背中を拭くデニム。
「そうだね……ただのお湯より綺麗になるみたいだ」
腕から脇、背中と布を持つ腕を滑らせながら、カシミアも頷く。
(…………きれいだなあ)
そんな二人を、コットンはうっとりとした眼で見詰めていた。
ランプの明かりに褐色に見える健康的な肌のデニムは、確かに大柄で筋骨逞しくはあるが、決して厳ついわけではない。均整の取れた身体つきをしている。
ファーゴに例えてしまったが、姿形はもっと別の……何かに似ている。
その隣で、同じ明かりに照らされながらなお白い肌のカシミアは、ローブの下の裸体を晒しても少しも幻滅を感じさせない。デニムと比べると細いがしなやかな躰。
聖霊ではないことはもう解っているが、それでもやはり、どこかで……
「…………うーーん」
二人には聞こえぬ声でコットンは小さく唸り、首を傾げる。
二人とも、この村では見た事の無いほどに綺麗な人たちだ……
なのに何故かコットンは、彼らをどこかで見たことがあるような気がして仕方がない。
「……お、なんか髪がツルツルするぞ」
「……? さっき湯を被ったからかい?」
「そうかもな……ほら」
「…………ほんとだ」
「お前も埃かぶったろ? 洗ったら?」
「そうしたいけど……いいよ。床が濡れそうだから」
そんな会話が耳に入り、コットンはちょっとだけ夢から醒めたように眼をぱちくりとさせた。
その目の前で、カシミアが少し考え込むような様子を見せている。
「でも…………そうだな、拭くくらいならばできるかな」
言って、布を湯に浸す。
「大丈夫だよ。後でちゃんと床は拭くから」
思わずそう声を掛けたコットンに、カシミアは「ありがとう」と笑って見せ、軽く布を絞った。
と、そのカシミアの両脇にパタパタとオーボー達が近づき、頭の横でホバリングする。
コットンはオーボー達の意図に気付き、パッと目を輝かせた。
「カシミア兄ちゃん、ちょっとかがんで」
「……え?」
「いいから、かがんで」
唐突に言われ躊躇うカシミアの腕を引き、タライの横に座らせ、頭をかがませる。
きらきらと、湯の上に金糸のように散るカシミアの長い髪……
オーボー達はその髪を掬い取ると、その小さな手を滑らせ始めた。
「…………あ」
そこに来てカシミアは彼らの行動の意味を悟って優しく眼を細める。
「………………」
デニムは笑みを浮かべてその光景を見やると、綺麗で乾いている布をカシミアの肩に掛けた。
「……デニム」
頭を動かせず眼だけを上げるカシミアに、片眼を眇めて口の端を上げて見せ……
「時間かかりそうだからな」
そう言って自分はとっとと下着を身に着ける。
オーボー達は意外なほどに危なげない手つきで既にカシミアの頭の方まで洗い始め……全てが終わるのにさほど時間は掛からなかった。
乾いた布を頭から被せなおし、髪の水気を取る。
その様を見た時――――
唐突にコットンは思い出した。
「…………あっ!」
思わず上がった声に、ハッとしたように向けられるカシミアとデニムの眼……
「コットン……?」
「どうした?」
驚きつつも訝しむように見つめてくる二人に構うことなく、コットンは大きな身振りで手をパチン、と打ち合わせる。
その眼ははたから見ても分かるほどにキラキラと輝いていた。
「神殿の絵だよ!」
全ての説明をすっぱ抜いてもたらされた言葉に、二人はまるで取り残されたように眼を点にする。
「「…………はい?」」
同時に返ってきた要領を得ていないことが解る反応に、じれったそうに両手を振り回しながら言い募るコットン。
「だから! 神殿の絵がお兄ちゃんたちに似てるんだってば!」
「神殿……?」
全く話が見えないデニムが首を傾げる横で、カシミアはコットンが口にした「神殿」という言葉に少しだけ何かに思い当ったように眉を上げる。
何とか理解してもらおうと尚も手をばたつかせるコットンに、デニムは苦笑しつつ頬をポリポリと掻くと、
「…………とりあえず落ち着こうか」
そう言ってコットンの頭にポン、と手を置いた。
タライを片付け、寝る準備もすべて終え……
ようやく落ち着いたコットンの話をよくよく聞いてみれば……
どうやら、二人の姿が神殿とやらにある壁画のようなものに描かれた人物達に似ている……と言う事らしい。
「神殿……って?」
「……神樹の傍に建物みたいなものがあったけど」
「神様の樹に生えてるんだよ!」
「は……生えてる……?」
「…………フルートの眼ではそこまで見えなかったね」
その神殿の奥への入り口は固く閉ざされていて、いつも入れるわけではないようだ。
しかし壁画は閉ざされた入口の両壁にあるらしく、いつでも見られると言う事だそうだ。
しきりにコットンは力説するのだが、デニム達の方にしてみれば今一つピンとこない。
「じゃあ、明日連れてってあげるよ!」
百聞は一見に如かず……
焦れたコットンが半ば以上強引に決め、その勢いにかえって興味をそそられてしまった二人は、
「お、おう……」
「あ、うん……」
そう返事を返すほか無かった。
彼らがワイワイとやっている横で……オーボー達はカシミアの髪をさらさらと梳っている。
どうやらキラキラと流れるその髪がいたくお気に召したらしい……
その様をぼんやりと眺めていたデニムは、ふと浮かんだ疑問をコットンへと向けた。
「……そういや、オーボー達ってやっぱり幻獣なのか?」
「……え?」
明日の段取りをうきうきと考えていたコットンは、急に話を向けられぱちぱちと眼を瞬かせる。
「オーボー達? うーーん……幻獣、と言えば幻獣だけど……」
うんうんと唸って考え込んでしまうコットン。
デニムが発した素朴な疑問は、どうやら思いの外コットンを悩ませているらしい。
「……あのね、オーボー達は『しんじゅのけんぞく』なんだ」
ようやく言葉をひねり出し、訥々とコットンが話し出す。
「しんじゅ? あ、神樹、の……眷属?」
鸚鵡返しをするデニムにこくり、と頷いて見せる。
「神様の樹の……え、と……コドモ? みたいな?」
「子供……?」
「うん、あのね、神様の樹から生まれてくるんだって……でー…………」
再び言葉に詰まるコットンに、助け舟を出したのはカシミアだ。
「神樹の精……みたいなものかな?」
「うん! そんな感じ!」
意を得たようにコットンが大きく頷く。
幻獣は幻獣でも、妖精に近いのもの……と言ったところか?
デニムはそう解釈すると、ふーんと頷く。
「だから……何だか人間みたいな感じがするんだな」
直感的にそう結論付けるデニムに、カシミアはひっそりと苦笑う。
事はそう単純そうでもないのだが……
結論としてはおそらく間違いではないだろう……
「テイムの家はね、『しんじゅのけんぞく』と『けいやく』してるんだって」
コットンが続けた話に、今度はカシミアが問う。
「テイムの家というのは?」
同じことを考えていたのか、デニムも首を縦に振りながらコットンを覗き込む。
「……? ぼくんちだよ?」
一瞬不思議そうにそう返して……
「あ、そっか……!」
コットンは名乗っていないことに気が付いて、あっと口元に手をやった。
「そういや長老様も……」
コットンの反応にデニムもまた鼻の頭を掻きながら思い返す。
二人が依頼を承諾した際、互いに名乗りを上げたのだが……
「モーメン、って名前しか聞いてなかったね」
くすっとカシミアがそう言葉を引き継ぐ。
この村では、あまり姓を名乗る習慣そのものがない、と言う事なのだろう。
そう判断して、カシミアは先を続ける。
「それで……『契約』というのは?」
「幻獣と約束するんだよ?」
当たり前のことを聞かれたかのように首をコテンと傾げるコットン。
「……みんなしないの?」
不思議そうに質問を返され、デニムは空笑いと共に首を横に振る。
「あいにく幻獣そのものがいないよ」
言われて「そっかぁ……」とコットンはちょっと驚いたように呟き、
「村のみんなしてるから……」
当たり前だって思ってた
口の中に消えた呟きは、しかし青年達にははっきりと伝わっていた。
やはりこの村……この世界、は、彼らの世界と大きく勝手が違うようだ。
「どうやら色々と、まだ知らなければならないことが多いみたいだね……」
小さく呟くカシミア。
その中に、幻獣を連れ去る者たちの目的や手掛かりがあるかもしれない。
「まあ、さ……」
大きく伸びをして、デニムはごろんとベッドの上に寝転がる。
「今日はもう夜だし……一応休んでおこうぜ」
そう言って大あくびを一つ……
「そうだね……」
出来る事と言ったところで殆ど何もない……
カシミアは同意するようにそう返して、自分の掛布団を広げる。
お休みを言おうとコットンを振り返ろうとしたとき、
「コットン……」
デニムの呼びかけが聞こえて、カシミアはそちらの方へと眼を向けてしまった。
横になったまま、左肘を付いて軽く上半身を持ち上げたデニムが、優しい笑みでコットンを見詰めている。
「……なーに?」
ランプを消そうとしてか、机に手を伸ばしていたコットンがデニムの方にぱっと身体ごと向き直る。
その寸前の表情をカシミアは見逃さなかった。
残念そうな……ちょっと寂しそうな表情を……
デニムはそれを見ていたのだろう。
自分の横をポンポンと叩きながら、ちょっとだけ悪戯っぽい口調でデニムは囁いた。
「一緒に寝るか?」
その誘いにコットンは劇的に眼を輝かせ……
「うん!!」
元気よく答えると、勢いよくデニムの隣に飛び乗った。
やっと寝てくれました……(;'∀')
今回もよろしくお願いします!




