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クラウンクエスト  作者: 空花
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迷いの森・2

 パチパチと火のはぜる音がする。串刺しにされた魚が、いい匂いをさせて焼け始めている。その隣で、やはり同じように小枝に刺されたきのこが香ばしい匂いをさせていた。


 きのこはカシミアが集めたもの、魚はデニムが釣ってきたものだ。



 森の奥から帰ってきたデニムは、数匹の岩魚と、くるんだマントを小脇に抱えていた。


 一本の木を見上げながら何かを思案していたカシミアが気配に振り向き、くるまれたマントに目を向けて小首を傾げる。


「何を採って来たんだい?」

「いや、いい物があったから、ついでにさ」

「いいもの……? 木の実か何かか?」

「色々だよ。この森は豊かだな」

 嬉しそうに言いながら、どさりとマントを下ろす。


 一体何が入っているのか、少し興味を覚えてカシミアが覗き込む。


「いい物ってなんだい?」

「それは後のお楽しみ。さ、昼飯の準備しようぜ」

 デニムはそう言うとさっさと枯れ枝を集め始めた。

それを見てカシミアも食事の支度を始める。


 支度、といっても簡単なもの。適当に集めた枯れ枝に火を点け、後はこれまた適当に食材を串に刺し、火にかければ終わりだった。



「…………ようし、きのこはもうよさそうだぞ」

 デニムは火傷をしないように注意しながら火の傍から串を抜くと、カシミアに手渡した。

「ああ…ありがとう」

 カシミアがきのこを受け取ると、自分も串を取り、塩を振ってかぶりつく。


「あ、アチチ」

「慌てて食べると火傷するよ」


 一応忠告はしてみるものの、効果のほどは期待薄、である。

 案の定、デニムは一気にきのこを頬張りすぎて、慌てて口をハフハフさせている。その様はまるで子供と一緒だ。

 呆れたようにカシミアがそれを見ていると、二本目の串に取り掛かっていたデニムと目が合った。


 デニムは、カシミアの手に握られたまま、まだ口もつけられていないきのこに目をやった。


「……早く食わないと、きのこ冷めるぞ」

「あいにく僕は猫舌なものでね」

 そう答えて、カシミアはおもむろにきのこを食べ始めた。


 本当は塩などではなく別の調味料が欲しいところだが、贅沢も言ってはいられない。これでも素焼きのきのこに抵抗がないだけましなのだ。


 黙々ときのこを平らげているうちに、魚が程よく焼けてきた。さっきデニムが釣ってきたものである。


「おっ、いいあんばいだな」

 デニムは妙に嬉しそうにそう言うと、傍らに置いてあったマントを広げる。


 その表情を見ながら、カシミアは魚を串差しにしていたときのデニムのセリフを思い出していた。


 ごめんな……きっと美味しく食べてやるからな……


 そう言いながら泣きそうな顔をしていたのに……今はそんなこともすっかり忘れているかのようだ。


 デニムはいそいそとマントの中から小さな黄色い実を一つ取り出した。

 それをナイフで半分に切ると、その果汁を、焼かれて表面が塩を吹いた魚にかける。食欲をそそるような爽やかな香りが辺り一面に広がった。


「……何だい? それは」


 密かに眉をひそめながらカシミアが問うと、デニムは黙ってにっこりと笑って魚を差し出した。

 カシミアは一瞬ためらったものの、あまりの香りの良さにつられて串を受け取る。


「食べてみなよ。大丈夫、毒じゃないから」

「……本当か?」


 わざとらしく疑わしそうに言ってみせると、デニムは少し苦笑して、


「いいよ、俺が先に食べてみせるから」

頂きます、と、勢いよく魚にかじりついた。

 

 カシミアはなおもしばらく匂いを嗅いだりしていたが、やがて観念したように魚を一口、口にした。


「……」

「どうだ、うまいか」

 何もコメントしないカシミアに、デニムが身を乗り出して聞いてきた。


 カシミアはなおも黙ったまま、もう一口かじる。そしてようやく、


「驚いた……おいしいよ、これ」


 強い酸味と程よい苦味と爽やかな香り……それが川魚特有の臭みを消して、なおかつ旨味をも引き出している。


「そうだろー、うまいだろー」

 デニムはカシミアの反応に満足げに頷くと、

「山の精霊の恵みだよ」

 そう言って再び食事を開始した。


「で、この実は一体何なんだい?」

「だから山の精霊の恵みさ。俺の田舎ではポロと呼んでる」

「ポロ?」

 カシミアが思わず聞き返す。なんとなくその単語に聞き覚えがあったのだ。


 しかし、その何かを確認するかのような響きに、

「何だ、知っていたのか?」

と、逆に聞き返されてしまう。


「いや、その実のことは知らなかったけど……『ポロ』って言うのは、確か北の方の言葉で『聖なるもの』を意味するんじゃなかったかな、と思ってね」

「へぇ、よく知ってるな。そうだよ、こいつは俺の育った山では、貴重な食料だし薬にもなるんだ。だが採れる時期が短くてな」

「それで山の精霊の恵み……」

「ま、ポロだけじゃなくて、俺たちが食べてるものは全部精霊の恵みだけどな」

 至極当然のことのようにデニムは言ってのける。


 そのあまりの素直さに、カシミアは皮肉ではない笑みをもらした。


 精霊が存在することは、誰でも知っている。だが、その姿を見たことのある者は皆無に等しい。そのためか、近頃はその存在を身近に感じている者が少なくなってきていると聞く。


 カシミアが学んでいた神学校の中でさえ、そうだった。


(今は祈りも形ばかりのものになってしまいおった……)


 ふと、カシミアはある老教師の言葉を思い出した。在学中いやというほど聞かされてきた愚痴だ。

 学生たちは、当然煙たがってその言葉に耳を貸そうともしなかった。


 しかし、本当にそれは単なる年寄りの愚痴だったのだろうか……カシミアは、最近そう思うようになってきていた。


デニムと、旅をするようになってから……


 デニムは精霊がいることを信じて疑わない。食事の前の祈りも、躾られたからではない、心の底からのものだ。


 単純だが純粋なものがそこにはある……そんな気がする……


 一緒に旅を始めてまだ数日しか経っていないにもかかわらず、カシミアにとって、彼との旅はある意味ショックの連続だった。


「……? カシミア?」


 呼ばれて、カシミアははっと物思いから覚めた。

 顔を上げると、デニムが赤い果物をかじりながらこちらを見つめていた。


「どうした? 何か考え事か?」

「いや…………別になんでもないよ」

 言葉を濁してカシミアはうつむいてしまう。


 その表情にデニムは一つ大きなため息をつくと、とびっきり優しい声で、


「なぁ、俺のじいちゃんが言ってたぞ……」

「?」


 何を言い出すのか……カシミアは顔を上げて、デニムの次の言葉を待った。

 デニムは優しい笑顔を崩さずに、言い切る。


「……考え事をしながら食うのは胃に悪いっ、てさ」


 一瞬でもまともな言葉を想像した自分が馬鹿だった……


 次の瞬間、カシミアは思いっきり脱力していた。

 しかしデニムには何一つ悪気は無い。


 そう、悪気は、全く、無い。


 カシミアは右手で額を支えると、左手をひらひらさせた。


「……ご忠告、有難く受け取っておくよ」

「どーいたしまして」


 きわめて素直に返されて、カシミアの脱力感はさらに倍加する。


「アウゥ……」


 カシミアはうめき声を上げると、両手で頭を抱え込んでしまった。


 その時、何かが下生えを踏む音がした。その音にカシミアがはっ、と身を硬くする。


「デニム、今の音……」

「ああ……わかってる」

 平常の調子でデニムは呟く。


 眼は炎を見つめたまま、左手も剣を取ろうとはしない。

 だがその耳は完全に研ぎ澄まされている。


 カシミアは小さく息を呑むと、細く息を吐きだしながら囁いた。


「……モンスターかな」

「いや、獣だな。数は五頭……シマオオカミだな」

 表情を変えずにデニムはそう言うと眼だけを動かした。

 カシミアもそれに倣ってその方向に眼をやった。


 うっそうと生い茂った木々の間から、それは顔をのぞかせていた。


 灰色地に黒の縞模様。その目は淡い燐光を放ちながら二人を見つめている。やや小柄ではあるが、姿形はオオカミそのものである。


「……確かにシマオオカミみたいだね」


 シマオオカミは普通群れで行動する。彼らは、小柄な体を生かして森の中を俊敏に駆けめぐり、群れで連携を取り合いながら狙った獲物を仕留めることで知られている。


 なるべくなら遭わずに済ませたい獣たちだった。


 しかし、その姿を確認してもなお、デニムの表情は変わらない。

 相変わらずはぜる炎に眼を向けたまま、剣の柄に手を伸ばそうとさえしない。


「…………」


 カシミアが傍らに置いていたメイスを手に取ろうとした、その時、


「じっとしてろよ」

 デニムは低く呟くと、右腰に掛けてあった紐を引っ張り出した。


 紐の先には羽を広げた鳥の形をした卵ぐらいの大きさの飾りが吊るされている。

 よく見ると翼の部分と頭の方に穴のようなものが見える……どうやら笛のようだ。


 デニムはそれを両手ですっぽりと包み込むようにして構え、頭の上に開けられた穴に唇を当てると静かに吹き始めた。


 柔らかい音色が、森に響き渡った。


 カシミアには、その行動の意味が解らなかった。しかしあえて何も言わず、じっと成り行きを見守る。


 ただ、その眼は油断なくオオカミたちの動向を探っていた。


 オオカミたちは身動きもせず、唸り声すら上げなかった。ただじっと遠巻きに二人を見つめつづけているだけ……


 そこでカシミアは、ふと首を傾げた。


(なぜ襲って来ないんだ?)


 見方によっては、まるでオオカミたちがデニムの笛の音に耳を傾けているように見えなくも無い。


(まさか……本当に聴いているのか?)


 オォーン……


 先頭に立っていたオスが笛に応えるかのように一声鳴いた。


 驚いたカシミアがデニムに眼をやると、彼はじっとオオカミの黒い瞳を見つめたまま笛を吹きつづけていた。


その音がふっ、と途切れる。代わりに漏れるのはデニムの呟き。


「ああ、なるほど……そういう事か」


 何を納得したのかデニムは穏やかに微笑むと、魚を焼くときに使った子供の拳ほどの大きさの岩塩のかけらをそっと転がした。


「…………?」


 カシミアは、訳が分からないまま、その軌道を目で追った。


 塩のかけらが、先頭のオオカミの前でとまる。オオカミはちょっと匂いを嗅いでからそれを舐めると、大事そうに口に咥えて森の奥に消えていった。

 他のオオカミたちもそれに続き、みんな居なくなってしまった。


「……塩、持って行ってしまったな」


 しばらくその方向を見つめ続けた後、カシミアはぽそりと呟いた。

 狐につままれたような顔をしながら。


「たまにあるんだよ」

 なんでもない事のように、デニムが言ってのける。


「あんな堂々と姿を見せるなんてのは殆ど無いけど……人間の食べ残しとかを狙ってな」

「……食べ残し? 餌に困って?」


 純粋に疑問に思い、カシミアは首を傾げる。

 デニムはちらりと虚空に眼をやって、小さく首を捻った。


「う~ん……どっちかと言うと……しょっぱい、から?」

「しょっぱい……って、オオカミが塩を食べるのか?」

「ああ、もしかして知らなかった? オオカミが時々人間のおしっこを舐めたりするだろ? あれってしょっぱいからなんだよ」

「初めて聞いたよ……」


 そう言いながら、カシミアは無意識に溜め込んでいた息を、吐き出した。


「それにしてもよくそんな事知ってるね」

 少しばかりの賞賛を込めて言うと、


「そりゃ、山育ちだから」

 本当に何でもないことのように、その一言で全てが片付けられてしまった。


 しかしカシミアは、何処か今の出来事に釈然としないものを感じていた。


 デニムは何事も無かったかのように食事を再開している。

 赤紫色の甘い芳香を放つ果実を、皮ごと齧る。

 カシミアの眼が、デニムの持つ果実から傍らに広げられたマントに向けられて……


「……!」


 その眼が一瞬釘付けにされたように、大きく見開かれた。


 確かにデニムは“いろいろな”ものを採ってきていた。だがそれは……


「デニム……ポロの実って、今の時期に採れるのか?」


 カシミアは、異様なほど静かな声で、そう問い掛けた。


 その声に何かを感じたのか、デニムは食事の手を休めてしばらく考え込んだ。


 今は季節は春……ポロの実はデニムの故郷では晩秋のごく短い時期にしか採れない。


「そうだな……俺の故郷では、この時期には無いかな」

「…………じゃあ、野イチゴと、今お前が食べてる果物は?」

「野イチゴは今の時期だけどな……そういえばこいつは秋に成るんだったか」

「そうだよな。本来なら、同じ時季に採れる筈が無いんだ……」

 そう呟くと、カシミアはそのまま考え込んでしまった。


 何かがおかしい……


 黙りこんでしまったカシミアにあえて声を掛けようとはせず、デニムは食べかけていた果物を平らげた。


「さあ、今からどうする?」


 焚き火に砂を掛けて始末を済ませると、デニムがそう聞いてきた。


 カシミアは気を取り直すように一つ咳払いをすると、辺りを見回しながら口を開いた。


「そうだね、とりあえずもう少しこのあたりを調べてみて……」

 その言葉が尻切れトンボになってしまう。


「何だ? どうした?」


 カシミアの眼がいっぱいに見開かれ、一点に釘付けになっていた。そのまま凍りついたように動かない。


「……カシミア?」


 訝しんだデニムが再び声を掛けると、カシミアはようやく、震える手でデニムの方を指差した。


 そして掠れた声で、


「デニム……う、後ろ……」


 そのカシミアの様子にただならぬものを感じ取ったデニムは、振り返ってその指し示すほうに眼を奔らせた。


 そしてデニムもまた見たのだった。


 大きな、爛々と光る二つの眼を……

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