静かなる夜・2
「ア、アングル……? よ、よう……ちゅう……?」
アングルなる虫(生き物?)など聞いたこともないし、ましてやその幼虫など想像すらできない、のだ、が…………
「…………あ、はは」
カシミアは笑顔を浮かべ、そうなのか、と頷くしかない……
その顔が思いっきり引き攣っていたとしても……
「カシミアもどうだ? すげー旨いぞ?」
その表情の意味を汲み取ることなく、満面の笑みを浮かべたデニムが爆弾を落とす。
その手にはカシミア用なのか、野菜と共にくるまれたふよパンが……
(……っていうか、抵抗まるで無しなのか!? 無しなの!??)
もう頭が働かず、カシミアは心の中で幼稚なツッコミを入れつつ、黙ってスープを口に運ぼうとして……
「ウっ…………ゲホゲホ!!」
見事盛大に噎せ返った。
「おいおい、大丈夫か!?」
元凶が慌ててコップに水を注ぎ、カシミアに手渡してくる。
「ゲホッ………んぐんぐ」
カシミアは礼を言うことも忘れ、手渡された水を一気に飲み干した。
「ケホッ……はぁ、は……ぁ」
「…………落ち着いたか?」
自ら起こした惨劇に気付かないまま、デニムは心配げにカシミアの背を摩る。
誰のせいだ!!
と、力の限り突っ込みたかったカシミアだが……
「カシミア兄ちゃん……」
同じくらいに心配げなコットンの真っ直ぐな瞳に、言葉が全て飲み込まれてしまった。
「…………ふおっふぉっふぉっ」
収集のつけようがなく固まってしまったカシミアを助けたのは、長老の差も愉快そうな笑い声……
「外の方にはいささか刺激が強すぎましたかの?」
「あ……いえ、…………その…………」
カシミアの表情の意味を正確に把握し問うてきた長老に、カシミアはどう返答すべきかしばし迷い……
「…………申し訳ありません」
結局素直に頭を下げた。
長老は少し愉快そうな、しかし温かい笑みを目元に浮かべ、ゆっくりと首を横に振る。
「いや、謝るにはおよびませぬよ……何分急でありましたのでな、このようなものしか準備できませんでしたのじゃ」
そう言って頭を下げ返す長老。
カシミアはとんでもない、と言わんばかりに首を振りながら、内心で激しく己を恥じた。
例えそれが自分にとってどうであれ、彼らにとってアングル・アングラは恐らく貴重なたんぱく源なのだろう……
そして食と言うのは、その土地の文化そのものと言っても過言ではない。
その土地に根付く食を否定するつもりはなかったのだが……
(結局僕は……)
罪悪感に俯き黙り込んでしまったカシミアを眺めながら、デニムはうーん、と小さく唸りポリポリと鼻の頭を掻いた。
本当に遅ればせながらカシミアの心情を理解する。
「ああ……まあ、普通は馴染みないかぁ……」
うんうんと頷き、
「なら、しゃーないか……」
手にしたパンを結局自分で食べ始めた。
「…………旨いんだけどなぁ」
小さく呟いた声は心底残念そうで……
「……くすっ」
カシミアはついに吹き出してしまった。
「デニムは全く抵抗ないみたいだね」
自然に問いが口を突いて出る。
「んあ? ……、……、……、ああ、まあな」
デニムはいきなりの問いにも関わらず、きっちりと口の中のパンを咀嚼して飲み込んでから律儀に答え、目線をちらりと上にあげた。
「食える、ってだけでもありがたい、って言うか……」
小さく、何でもない事のようにポロリと零す。
その声をカシミアは聞き漏らすことが出来なかった。
(………………そうだよな)
食べられるだけでもありがたい……祈りはそのために捧げているのではないのか……?
「…………そ」
のとおりだね……
言いかけたカシミアの言葉は、被さるように発せられたデニムの言葉に散らされた。
「ひどい時にはさ……そこら辺の木の皮を剝いでみたりもしたことあったし」
「…………は? 木の……皮?」
聞き間違いか、と、恐る恐る聞き返すカシミアに、デニムは「ああ、そうだよ」とあっさり頷く。
「まさか……食べるの……か?」
「ああ、まあ、食えないことはないかな……種類によっては。毒持ってるのとかはさすがに無理だけど……」
眉を顰めて苦笑して見せるデニムに、カシミアは極めて真顔で呟く。
「ある意味、ほっとしたよ……君が人間で」
「? ……なんだよ、それ」
「……いや、深い意味は無いよ。気にしないでくれ……」
「気にするな、って言われてもなぁ…………ま、いいか」
言葉ほどには引っ掛かった様子もなく、デニムは続ける。
「どっちかっていうと木の皮よりもさ、目当ては虫だったかな……運が良けりゃ、だけど」
確かにそう聞けば、木の皮よりも虫の方がまだしも……
思わずチラリとふよふよの方に眼がいってしまったカシミアは、慌ててその目線を逸らし、溜息を一つ吐く。
……うん、ごめん……やっぱり無理だ
今はまだ……
心の中でひっそりと付け加えながら、それと同時にカシミアはデニムの強さの根源を垣間見た気がした。
「でも……まさかずっと、そうやって旅してきたのかい?」
だとしたら、旅と言うのは思った以上に過酷なのかもしれない……
カシミアの顔が不安げに曇ったのを見たデニムは、苦笑いを深めて肩のところで手をひらひらさせる。
「いやいや、そんなことはさすがに滅多にないよ…………ありゃあちょっと特殊だった、って言うかさ……」
「特殊……?」
何気なく続いた言葉に、カシミアが首を傾げる。
つまりデニムは「そうせざるを得なかった」状況を思い出しているということだ。
無意識に訊き返してしまったものの、先を続けるべきか迷い、カシミアは唇を舐めた。
デニムは口が滑ったことに気付いたものの、隠すことでもないか、と一つ肩を竦める。
「囮にされてさ……森ン中に置き去りにされたことがあったんだよ」
さらりと告げられた告白に、しかしカシミアは信じられない! といった声を上げた。
「は!? なんだよ、それ!?」
思わず詰め寄るカシミアの拳が白くなるほどに握りしめられる。
カシミアの様子に、コットンは首を傾げつつ長老の方を見る。
長老は眉を顰めて二人のやり取りを黙って見守っていたが、コットンの視線に気が付くと「黙っていなさい」と眼だけで合図を送った。
「…………」
それに向かってコットンは口をへの字に曲げながらも、黙って従う。
そのやり取りを横目にしながら、デニムは困ったように再び目線を上にあげ、やがて諦めたように深く溜息を吐いた。
「詳しいいきさつは端折るけど……昔な、受けた仕事が村まで視察に行くっていう貴族の護衛だったんだけどさ……」
その途中の山に山賊が出るらしく、万が一のための用心棒として雇われた……それそのものは別にそんなにおかしな話ではない。
村がある、と言われ向かった先に待ち受けていたのは当の山賊で……
貴族はデニムをはじめ、他にも雇われていた数人の傭兵を囮にして逃げ去った。
デニムたちは辛くも山賊たちを退け、村への道を急いだ。
しかし、携帯していた食料が底をついても村にたどり着くことが出来ない……用心のため、と敢えて遠回りになる道を選んでいたのだ。
通常の食料はすべて貴族が持って行ってしまった……デニムたちは、冬に差し掛かろうかと言う森の中で自力で生き抜くことを強いられた。
元が北の山で育ったデニムが傭兵たちを取り纏め、彼らは満身創痍になりながらも何とか村へと辿り着き……
そこで彼らは、護衛していた貴族が偽物で、自分たちが初めから囮にされていたことを知ったのだった……
「……ひどいや」
コットンがポツリと呟きを漏らす。
しかし続ける言葉を見つけられない。
カシミアは言い知れぬ怒りに肩を微かに震わせる。
その歯の隙間から、押し出すように低い声でが漏れた。
「まさかそんなことが……許されると……?」
山賊が怖いのであれば、討伐をすればいい……
簡単なこととは当然カシミアも思ってはいないが、他人を囮にするような卑怯な真似よりずっと……
すっかり重くなってしまった空気……
その空気を破ったのは、デニムの苦笑混じりの声だった。
「流石にそれを聞いて皆ブチ切れてさ……」
貴族を探し出してきっちり報酬を払わせよう、と言うことになった。
「でさ、貴族を見つけていざその屋敷に行ったら……」
まるで幽霊でも見たかのようにひっくり返ったそうだ。
「は? ……何故?」
「なんでも、『生きているとは思わなかった』ってことらしいよ」
「え?? どういう事だ?」
「ああ……なんだかな? 初めっから俺たちが山賊にやられるって思ってたらしい……」
運良く生き延びられたとしても……森に取り残されれば行き倒れる。
「行き倒れる……って……」
初めから殺すつもりだったということではないか!
「何故そんなことを…………」
「……あー」
デニムはその時のことを思い出したのか、一瞬渋い顔をした後、何故かくすりと笑った。
「報酬をさ……払いたくなかったんだと」
「…………」
あまりに無茶苦茶な論理……いや、論理とも呼べない……カシミアはついに言葉を失った。
しかし当のデニムは、もう過ぎ去ったことだけど、となぜか楽しそうな声。
「流石にあんまりだったんでな……もうみんな切れに切れてしまって……」
全員で貴族にキツーイ『お灸』を据えてやったのだそうだ。
当然、報酬は大幅割り増し。
貴族はすっかり青ざめ、数日寝込む羽目になった。
数瞬の沈黙の後、カシミアがぼそりと呟いた。
「…………命があっただけマシってものだろ」
地獄に落ちなかっただけでも泣いて喜べ……
後に小さく続いた神官らしからぬ物騒な呟きは、幸い誰の耳にも届くことはなかった……
あ、あれ……?
今回はカシミアが元気良く突っ込む回にするつもりだったのに……
何故かちょっと重く??
次はもう少し軽くなるはずです(^_^;)
多分……??
ブックマークが少しづつ増えて……すごくうれしいです! してくださった方々に感謝します!
今回もよろしくお願いします!