神樹の村・5
「さーて、こっちは加勢が来たけど、どうする? このまま続けるか?」
世間話の続きでもするかのように、デニムは姿の見えない相手に向かって言う。
殆ど脅し文句なのだが……
何故かデニムが言うと今一つ緊迫感に欠ける。
(大物なのか、何なのか……ね……)
カシミアは内心苦笑しながらも表には出さず、静かにメイスを両手で構えた。
相手は更にしばし沈黙を保っていた。
新たに加わった戦力を値踏みでもしているのか……
やがて、押し殺したような笑い声が響き始めた。
「クックック……ハーッハッハ!」
それは見る見るうちに勝ち誇ったような哄笑に変わる。
「いいだろう! 相手になってやる! ただし、相手するのはこいつらだ!」
声が叫んだと同時に、辺りがザワリと音を立てた。
「————!?」
コットンが声を出せずに息を呑む。
空間が歪む気配に、デニムが肩に担いだままだった剣を静かに降ろし、カシミアも半身になって軽く腰を落とす。
ゆらゆらとした歪が凝り、現れ出でたのは数多のモンスターの影……
大きさはさほど無く、小さな子供くらい……やせ細った異様に長い手足と貧弱な体つき、それに不釣合いなほどにぽってりと突き出た腹に同じくらいに大きな頭。
大きく、ぎらつく瞳に浮かぶのは、飢えにも似た殺戮と破壊への欲望……一見して邪悪と見える。
コットンは信じられない、と言った声音で叫び声を上げた。
「え!? ……ブロッケン!?」
「……幻獣か?」
振り返ることなく発せられたデニムの問いかけに、コットンは即座に首を横に振る。
「違うよ! 魔獣だよ!」
「……魔獣?」
「幻獣じゃない、暗闇に棲む魔物の事だよ! 夜にしか出てこないのに……!」
言ってる内にもブロッケン達は徐々に包囲を狭めてくる。
「数が……多いな……」
呟きながらデニムは他の者達を庇うようにして立つと、その剣を水平に構えた。
後ろに控えるカシミアとちらりと視線を交わし、目で頷きあう。
「コットン、リュート達と一緒にさがっているんだ」
「長老……村の中へ」
二人の言葉に、カシミアと一緒に来ていた長老は一つ頷くと、門の奥へとコットン達をいざなう。
それを気配で確認しながら、デニムは剣を目の高さで構えたまま、敵との間合いを計った。
じりじりと、ブロッケン達との距離が狭まってくる。
先頭は既に、歩幅十歩分ほどにまで迫ってきていた。
「カシミア、村の方を頼むよ」
「……援護は?」
「当てにしている。やばくなったらヨロシク」
本当にそう思っているのか、どっちともつかない口調でデニムが言う。
カシミアは軽く苦笑すると、
「でも数があんまりだね……このくらいのハンデは欲しいな」
言うとやおら、メイスを縦に真っ直ぐ構え、気を放った。
呪文も何も無し。気合一閃、眩しい光が迸ったかと思うと、先頭にいたブロッケンたちがすさまじい悲鳴を上げた。
その光景に長老の眼が見開かれる。
「あれは……降魔光か……?」
まさか、と言ったような震えた声が唇から漏れた。
直撃を免れたもの達がたたらを踏むようにして立ち止まり、進軍が中断してしまう。
先頭にいた者たちは、跡形も残さず塵と化していった。
カシミアはそれを見て取るや、大きく叫ぶ。
「デニム、遠慮は要らない! こいつらは純然たる魔物だ!」
デニムはその一声に軽く頷くと、一気に魔物の群れに突っ込んで行った。
「————ッ、無茶だよ! ブロッケンは普通の剣じゃ倒せない! すぐに回復しちゃうよ!」
コットンが悲痛な声で叫ぶ。
ましてやデニムの剣は未だ鞘に収まったまま……無謀としか思えない。
しかしその声が届かないのか、デニムはそのまま突進して行く。
怒り狂ったブロッケンの群れがデニムを押し包むのと、コットンの悲鳴が同時に起こる————
「……え!?」
コットンが眼を閉じる間もなく、デニムの周囲に群がっていたモンスター達が音も無く崩れ落ちた。
全てが完全に首を切り落とされている。
「デニム……にい、ちゃん……?」
コットンはその右手に握られた光るものを見た。
神々しいほどの輝きを帯びた、一振りの抜き身の剣…………
一瞬、デニムが振り返る。
その眼に淡い悲しみを滲ませるが、言葉は無い……その眼はすぐに背けられ、コットンからは見えなくなった。
その右手の剣が、真っ直ぐに差し上げられる……
その時、既にカシミアの準備は終わっていた。
両手で高々とメイスを掲げ、完成させた呪文を最後の言葉と同時に一気に解き放つ。
「聖なる守護を!」
メイスの先から迸った光は、今度は一極集中、デニムの剣めがけて一気に突き進む。
剣がそれを受け止めるや、デニムはまたもそれを横薙ぎに一閃させた。
悲鳴が辺りにとどろき渡り、更にモンスター達が消滅していく。
間髪入れずにデニムは地を蹴り群れへと飛び込み、他の者たちには目もくれず、そのまま一直線に切り進む。
輝く剣をまるで羽でもあるかのように軽々と閃かせ、ブロッケン達を次々に塵へと還していく……
その進路は森の一角に向かって真っ直ぐだった。
完全に虚を突かれた形となった魔物たちは、混乱したように動きがバラバラになる。
その中の一部がカシミアの方へと的を変えてきた。
「……フン」
小さく鼻を鳴らし、カシミアは冷笑を浮かべる。
バシンッ!
カシミアに触れることなく、ブロッケン達は大きく音を立てて弾かれた。
チラリとそれを確認して、デニムが小さく唇の端を吊り上げる。
カシミアは「心配するな」と言葉にせずに眼で頷き返す。
一瞬のアイコンタクトで互いの役割を再確認して、互いになすべきことをする。
デニムは攪乱と召喚者の確保を
カシミアは広範囲の防御を
無謀としか言えない役割分担にも係わらず、二人の表情に焦りなどの色は見られない。
「————シッ!!」
鋭い呼気と共に薙ぎ払われる長剣が、周囲の魔物を纏めて払う。
「甘いよ……」
冷たい声音と共に迸る光球が、脇をすり抜けようとしたものを容赦無く塵にする。
ぎゃあああああ!!
一体が耳障りな奇声を上げながら背後からデニムに飛び掛かった。
「デニム兄ちゃん! 後ろ!」
コットンの声と同時にデニムは身を沈め、前にいたブロッケンの足を掬って横に流し、真後のそれ諸共後ろに吹っ飛ばす。
と同時に二体はカシミアの放った光の中に消えて行った。
「…………」
コットンは知らず知らずのうちに息を呑む。
二人の無駄の無い洗練された動きは、美しいと言ってさえ良かった。
ある程度デニムとの距離が開いたと見るや、カシミアは構えていたメイスを地面に突いて詠唱を始めた。
両手を祈りを捧げるように空に向かって差し伸べる。
カシミアの周りに白い気が集まり飛び交う。
無数の蛍のような小さな光の群れは、たちまち一つの巨大な柱に成長していく。
デニムは詠唱を耳にした途端、更に加速しながら打ち漏らしたものには目もくれず前進した。
光の柱は更に収束し、球状へと変化していく。
カシミアは手を高々と掲げ、叫んだ。
「降魔の光を!」
完成した光球はそのまま村の方へ押し寄せて来ていたブロッケンの群れの真ん中に着弾し————
ゴウウウッ————!
光球はドーム状に弾け飛び、魔物たちをことごとく飲み込んでいった。
ダンッッ!
デニムはそれと同時に一気に跳躍する。
光のドームは彼のいた空間をも飲み込んだ。
デニムはブロッケンたちの頭上を飛び越え、群れの向こう側に着地した。
そのまま振り返ることも無く、木立の一角、下生えが特に生い茂る辺りをめがけて剣を横薙ぎに一閃させる。
「ぎゃぁっ!!」
奥で短い悲鳴が上がり、それと同時に生き残っていたブロッケン達の姿が消え去った。
周囲に静寂が戻って来る……
「……戦うなら、姿隠すなんて卑怯な真似はするなよ」
デニムが低く呟いたその視線の先、薙ぎ払われた下生えの向こう側で、男がへたり込むようにして座り込んでいた。
その目は無様なくらい怯えている。
「ど、どうして……ここだと……」
「はぁ…………あのさぁ……」
デニムは半ば呆れたように首を振る。
「あんだけ大声で笑ってりゃあ、誰だってわかるだろ? ……な?」
「それに姿は隠してても、気配は隠せてなかったし……かな?」
いつの間に追いついてきていたのか、後ろからカシミアが相槌を打ち、
「そう言うこと」
デニムは当然、と言ったように頷き返す。
男は呆気に取られたように二人を見比べた。
もう戦う気力も失せたのか、ただ口をパクパクさせている。
カシミアは冷ややかな眼で男を見下ろした。
真っ黒なローブに身を包み、片手には杖らしきものを握ってはいるものの、装備そのものはほとんど丸腰の状態と言ってもいい。
その周りの地面には、見たことの無い文様が掘り込まれている。結界か何かの類のようだ。
「今の魔獣は、あなたが召喚したのですか?」
視線と同じくらい冷ややかな声でカシミアが聞く。口調が丁寧なだけに余計に怖い。
男は答える代わりにうめき声を上げた。
「…………?」
自分から質問しておきながら、カシミアの眼がいぶかしげに細められる。
「どうにも解せないな……」
「……? 何が?」
カシミアの呟きを聞きとがめて、デニムが振り返る。
剣の先は男に狙いを定めたまま、ぴくりとも動かない。
「いや、はっきりとは言えないんだけどね……」
召喚士というものがどんなものなのか、正直カシミアにもはっきりとは解らない。
だが、それでも目の前の男には、そう言った類の力が感じられないのだ。
通常であれば何かしらの魔力と言ったものがどこかしら感じられるはずなのだが、普通の人間が持つ程度の微かなものしか感じない。
これでは、あれだけ大量の魔獣を呼び出すことなど、出来そうにない。
かえって術者が食われてしまうだろう。
ならば男が座り込んでいる文様のようなものは……
「なるほど……魔法陣、ですか」
カシミアはその文様に視線を注いだ。
デニムは一切それを邪魔しようとはせず、男に向かって剣の先を突き出した。
殺すつもりは毛頭ない……しかし逃がすつもりも同時に無い。
鼻先に突き出された剣先に男は短い悲鳴をあげると、慌てて後ずさりした。
その拍子に魔法陣から完全に身体が離れてしまう。
カシミアはその側に寄ると、注意深くそれを観察し始めた。
だが、男はそれに気付かない様子だ。その眼は剣の切っ先に釘付けになっている。
デニムは、その様を感情の読めない眼で眺め下ろしている。
相手に逃げる隙など一切与えるつもりは無い。
「……で、何で弱いもの苛めなんかするんだ?」
低く呟くような声でデニムが問う。
その静かな迫力に気圧されてか、男はガタガタと震えるだけで答えようとしない。
脅しているつもりはデニム自身にはないし、その表情も決して怒りをあらわにはしていないのだが、見下ろされる眼がどこか冷たい光を放っていた。
「……お、お前らなどに……」
男がやっと口を開いた途端、
「幻獣狩り、ですね……?」
魔法陣を検分しながら、カシミアが横から口を挟んだ。
男の身体がびくリ、と震える。
カシミアは立ち上がると、膝に付いたほこりを払い、男に視線を向けなおした。
顔に見覚えがある……先ほど、フルートが教えてくれた数人の顔の一人だ。
「一体目的は何ですか?」
答えないだろうと思いつつも、そう尋いてみる。
案の定、相手は口をつぐんだまま、あらぬ方に顔をそむけた。
陽が傾いて来たのだろう。辺りは薄闇に包まれ始めている。
遠くで、コットンらしき少年の声が聞こえてきた。二人を呼んでいるらしい声だ。
「このままでは埒があかないな……」
デニムがやや呆れ気味に呟く。
「どうする? カシミア」
「そうだね、情報が欲しいところだけど……」
そう言いかけたカシミアが、はっと何かに気が付いたように身を硬くした。
「! ————ガァァァッ!!?」
ふいに男が苦悶の叫び声を上げ————
「な————!?」
二人は驚愕する光景を目の当たりにした。
男の身体が闇の色をしたもやに包まれていく……
叫び声もあげられぬまま、まるで飲み込まれていくように……
「! いけない! デニム、こっちに!!」
カシミアの叫びにデニムは即座に反応して後ろに跳び退った。
その直後、もやが触手でも伸ばすようにデニムがいた場所を覆い尽くした。
明らかに意思を持った生命のように……
男の姿はもうない……完全に闇に飲まれてしまっている。
もやは、まるで飢えた獣のように今度は二人に狙いを定めてきた。
カシミアが機先を制して完成させた呪文を放つ。
二人ともやの間に光のカーテンが立ち塞がった。
「今だ! デニム、急いで!」
二人は、踵を返すと森から飛び出し、村に向かって一直線に走る。
……もやは追って来る様子は無い。
しかし夕暮れの迫った周囲の気配に、何か得体の知れない冷ややかさを感じる。
無数の悪意の気配が、全てを覆い尽くしていくような、そんな気配……
それが二人の足を立ち止まらせることを許さなかった。
「お兄ちゃんたち!! こっち! 早く!」
悲鳴にも似た叫び声をあげて、コットンが門の前で手招きをしていた。
その両脇で長老と呼び出されてやってきたのだろう数人の村人が門を閉じる手はずを整えながら、二人を待ち構えている。
「早く! 陽が沈んじゃう!」
せかしてくる声にその意味を問う暇もなく、二人は更に加速し一気に門に飛び込んだ。
同時に重々しい響きを立てて門が閉じられる。
その向こうに、デニム達が垣間見たものは……
沈んでいく陽と共に黒い闇に変貌を遂げていく森の姿だった……
ブックマーク頂きました!
本当にありがとうございます!
この場を借りてお礼申し上げます!
前回、サブタイトル間違えて、「神樹の村・3」が重複してしまってました(^_^;)
正しくは前回が4、今回は5になります。
暑くなってきましたね……熱中症にお気を付けください!
今回もよろしくお願いします!