神樹の村・2
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「こっちだよ」
袖を引かれ、カシミアはふと首を傾げる。
コットンの様子が、妙に慌てているという事に気が付いたのだ。
その理由は後で知ることになるのだが、その時のカシミアには見当もつかなかった。
「行ってらっしゃい」
のんきな声を背中に受けながら、二人は、村の奥へと歩を進めて行った。
村の中は不思議なくらいに静まり返っていた。通りに出ている者は誰も居ない。
しかしよくよく注意を払うと、それぞれの家の中に、微かだが人の気配を感じる。
(警戒されているのか……?)
今が何時なのか正確には判らないが、昼時は過ぎているはずだ。
普通であれば、いかに小さな村とはいえ、全く人影を見ないと言うことはそうそうないはず……
(案外、デニムの心配も杞憂とばかりは言えないか……)
コットンに手を引かれながら、カシミアは微かに眉を顰めた。
警戒を怠らないように、周囲に注意深い眼を向ける。
それにしても、見れば見るほど奇妙な村だった。
白っぽく乾いた土壁に、簡素な木で作られた扉……鎧戸で閉ざされた小さな窓……屋根は平たいのだろうか、何も葺かれている様子はない。
立ち並ぶ家々はどれも古く、歴史書の挿絵でしか見た事の無いようなものばかり。
それも神話時代のもので、今はこんな造りはほとんど残っていないと聞く。
それは、さながら時が止まってしまっているかのようだ。
……いや、もしかすると彼らの方が、時を越えて迷い込んでしまったのかも知れない。
そう言う錯覚を起こさせる、そんな村である。
(こんな場所なら、聖霊信仰も頷けるな……)
町並みを足早に通り過ぎながら、カシミアはぼんやりとそう思う。
聖霊信仰は、彼ら神官からすれば原始の信仰ということになる。彼らの教理はそこから発展したものではあるが、今は純粋に聖霊のみを信仰したりはしない。
コットンはカシミアの手を引きながら、通りを奥に向かって真っすぐに進んでいく。
カシミアが案内されたのは、村の奥にひっそりと佇む一軒の家だった。
道はまだ奥へと続いているが、集落はここで終わっているようだ。
「ここが……?」
「うん。長老様の家だよ」
長老の家といっても、特別立派と言うわけではないらしい。他の家よりも一回り大きいといった程度だ。
しかし、遥か昔を思わせる古い造りの家はよく手入れがされているらしく、年月の傷みをあまり感じさせない。
コットンは、躊躇いも無くその家の中に入っていった。
「ただいま! 長老様」
「ただいま、って……」
カシミアが面食らってるうちにも、コットンは部屋の奥へと入っていく。
「お客様を連れてきたよ!」
「……大きな声を出さずとも、聞こえておるわい」
奥からか細い声がして、一人の小柄な老人が現れた。
民族衣装なのだろうか……華美ではないが細かな刺繍が施された布に身を包み、腰を飾り紐で緩く縛り、老人にしては豊かな白い髪を後ろで緩く束ねている。
一見すると普通の老人だが……
(なるほど……長老、ね)
カシミアは心の中で頷く。
長老……と言うよりはシャーマンのような出で立ち……小さな体から発せられるのは、重ねた時が生み出した威厳。
その無言の圧力を全身に感じながら、しかしカシミアは臆することなくそれを受け止める。
「お客人、か……ようこそ」
呟くような声でそう言うと、長老は軽く会釈をした。
しかし眼は少しも笑っていない。
歓迎されていないのがありありと判る。
しかしカシミアはわざとそれに気付かない振りをして、軽く会釈を返した。
「突然押しかけてしまって、申し訳ありません。私はカシミア・ロートシルトと言う旅の者です。実は……」
「外からおいでなさったか……霧に巻かれなすったな」
カシミアが話す前に長老が遮るように言い切る。
不躾にも思えるその発言に、カシミアはしかし臆する様子を見せずに、「はい」とだけ答え、先を続けた。
「メリアス山の山道を歩いていたら急に霧が出てきて……」
(説明の必要も無いのだろうな……)
そう思いつつも、カシミアはここまでのことを掻い摘んで話をした。
話しながら、注意深く目の前の老人を観察する。
長老は、後はカシミアの言葉を遮ることも無く黙って話を聞いていた。
今のところ危害を加えるつもりは無いらしい……
しかし、その眼はずっとカシミアに注がれたまま、殆ど瞬きすらしていない。
その眼を真っ直ぐ見返しながら、カシミアは静かに下腹に力を込めた。その口は淀みなく説明を続けている。
「……それで、もしご存知ならば、元の場所に帰る方法を教えていただきたいと思って、やって参りました」
カシミアがそう言葉を結ぶ。
しかし長老は相変わらず黙ったまま、カシミアを見つめ続けていた。
心の奥底まで見通すかのような視線……並みの神経の持ち主ならあっという間に落ち着きを失くしてしまうようなその視線を、カシミアは真っ向から受け止める。
(まさしく、炯眼、と言うやつか……)
しかし,この眼、どこかで見たことがある……
薄暗がりの中で、老人の眼が淡い燐光を放っているかのよう。
それはまるで……
(そうか……幻獣だ!)
思わず声を上げそうになって、カシミアは慌てて息を飲み込んだ。
「その服……そなたは神官ですのか?」
不意に長老が口を開いた。
突然の質問にカシミアは少し首を傾げ、それから首を横に振った。
何故そんなことを聞いてくるのか理由は解らないが、ただの世間話というわけでもあるまい。
カシミアは慎重に口を開いた。
「確かに神学は修めていますが、厳密にはまだ神官ではありません」
「まだ、と言うと?」
「正式な神官になるためには、四人の賢者様にお会いしなければなりません。私達はその旅の途中なのです」
この言葉は厳密に言うと正確ではない……しかし間違っている訳でもない。
どこまで話して良いのか判じかねて、カシミアはさらりと触れるだけに留めておく。
長老もそれ以上は聞き出すつもりもないらしく、頷いただけで言葉を続けた。
「私達……お連れさんがおいでなのか……その方は何処に?」
「……村の入り口で待っています」
「さようか……ふむ」
カシミアの応えに、長老は再び押し黙ってしまうと、まるで瞑想でもするかのようにすっと目を閉じた。
口の中で何か呟いているようだが、カシミアにはまったく聞き取れない。
だが、何かしらの呪文の詠唱をしている事は明らかだった。
警戒するに越したことは無いな……
カシミアは悟られぬようにそっとメイスを握った右手に力を込めた————次の瞬間
「————!」
クラリ、と、めまいに似たような感覚に襲われ、カシミアは目をしばたいた。
長老の周りの空間が歪んだように見えたかと思うと、その左肩の上に一羽の白い鳥が忽然と姿を現す。
(————あれは!?)
カシミアは思わず息を呑みこみ、それと同時にその鳥に眼を奪われてしまった。
大きさは鷹くらいだろうか……首はすんなりと長く、柔らかそうな羽が全身を覆っている。
見事な尾羽は床に届きそうなほど長い。
だがその眼は、鳥とは到底思えないほど鋭い知性の輝きに満ちている。
見つめていると吸い込まれそうになるほど、美しい……
「鳥に似て非なるもの……」
掠れたような声でカシミアが呟く。
その抑揚の無い響きにはっとして、コットンはカシミアの方を振り向いた。
カシミアは棒立ちになったまま動こうとしない……
その眼は、まるで幻惑されたかのように眼の前の鳥に釘付けになっている。
「————カシミア兄ちゃん!」
コットンが何かに思い当たったかのように、声を上げて駆け寄ろうとした。
だがそれは長老に阻まれる。
「じいちゃん! なにするんだよ!」
人前だから、と付けていた敬称も忘れ、コットンは長老に掴みかかった。
「…………黙って見ておれ」
必死に袖を掴むコットンに微笑みすら見せず、長老は冷たい声でそう言うのみ。
コットンはどうしたら良いのか解らずに、祈るような眼でカシミアを見つめるしかなかった。
いつの間にか日付変わってましたね(^_^;)
今回もよろしくお願いします!