迷いの森・1
それは剣と魔法の時代……
モンスターが当たり前に存在し、全ての人々が精霊の存在を知っていた。
これはそんな時代の物語……
カーディガン王国のアンサンブル地方に、メリアス山と言う山がある。
首都カーディガニアから東西に伸びるアンサンブル街道を、東のほうに七日ほど歩いたところにある、山と言うよりは広大な森である。
その中を街道が突っ切っているのだが、一旦その街道を外れてしまうとなかなか抜け出せなくなることから、その山は、別名『迷いの森』とも呼ばれている。
その森の中に、二人の青年の姿があった。
一人は背が高く、体格もいい。栗色の髪にドングリのような茶色の瞳。短いマントにレザーアーマーを身に付け、腰には大ぶりの剣を差している。一見して戦士と見て取れるいでたちである。
もう一人の青年は戦士ほどではないがそこそこに背丈があり、ほっそりしている。静かな湖の如き銀髪と冴えた蒼い瞳。僧侶の証である白くて長いローブを身にまとい、手にはメイスを持っている。
戦士の方はデニム・ブルー、僧侶の方はカシミア・ロートシルトと言う。
「…………」
カシミアは先ほどから近くの木の根元などにしゃがみ込んだりして、しきりに何事か調べている。
「…………」
一方、デニムはそれを手伝うでもなく、のほほ~んと木々を見上げている。
チチッ……チチッチチチッ……
鳥が囀っている。
吹き抜ける風は心地よく、木の枝がさわさわと音を立てる。その間から木漏れ日が注ぐ様は、なんとも清々しく、美しい。
…………
どこか遠くでせせらぎが聞こえている。
「ン~~~ッ、気持ちいいなぁ…」
デニムは、そう言うと大きく伸びをした。
「このまま昼寝したい気分だ」
「………………狼に食われたければ、そうしたら?」
顔も上げず、険悪な声でカシミアが言う。
その態度に、デニムは苦笑いをすると、
「それは困るな」
と、のんびりと言う。どう聞いてもぜんぜん困ったようには聞こえない。
カシミアは、一気に脱力したように肩を落とした。
「あのなぁ……」
そして特大のため息を一つ。
「頼むから、もう少し危機感と言うものを持ってくれ」
そう言う声が震えている。
「あれ、もしかして怒ってるのか?」
「もう怒る気力も失せてるよ……」
剣呑な調子を隠しもせずに言ってカシミアは立ち上がると、その見事なプラチナの髪をかきあげた。
そして、冷たい湖のような蒼い瞳で、デニムのあっけらかんとした茶色の瞳を睨み据える。
言ってることと表情が、ばらばらである。
デニムはしばらく不思議そうにその目を見つめ返していたが、やがて何か合点がいったようにポン、と一つ手を叩いた。
「ああ、そうか、おまえも腹が減ったんだな!」
見事に的が外れたセリフに、思わず握り締めた拳が震える。そして……
「こーのトンチンカンッ!」
ついにイライラを爆発させて、カシミアが喚いた。その剣幕に、さすがのデニムも一歩後退る。そしてとっさになだめるようなポーズを取った。
「まあ、落ち着けって。また胃が痛くなっちまうぞ」
そのセリフに、カシミアの胃が本当に痛み出す。
しかしそれでも敢えて表情を崩さず、
「ご心配ありがとう……ではここでデニム君に質問です」
そう言って息を一つついた。
そしてきわめてゆっくりと、
「今日は、朝から、と~~っても良い天気だったよね?」
「あ、ああ……?」
何を言い出すのだろう、といったような目をしながらも、デニムは素直に相槌を打つ。
「で、僕たちは、日の出と共にこの森に入ったんだよね?」
きわめて優しい口調がかえって不気味である。またもデニムは相槌を打つしかない。
「そしてさっき急に霧が出てきた……」
「ああ、あれは凄かったなぁ……なんせ本当に自分の足元も見えなかったし」
デニムはその時のことを思い出すかのように目線を上に投げやり、ついでに苦笑を漏らした。
しかし、これは必ずしも大げさな言い方ではない。
彼らが森に入って小一時間ほど経った頃のことである。
街道を歩いていると、突如霧が発生したのだ。それは濃霧などと言う生易しいものではなかった。冗談抜きですぐそばにいた相方がまるっきり見えなくなってしまったのだ。
その時の事を克明に思い出し、デニムはもう一度深く頷いた。
「うん、確かに凄かった……」
「霧が晴れたあと、僕たちはここにいた……」
カシミアは呟くような声でそう言った後、人差し指をびっ、と立てた。
「ではここで問題です! ここは一体何処でしょう?」
「そりゃ、メリアス山のどこかだろ?」
即座に無意味な答えが返ってくる。一気に押し寄せる脱力感を振り切るように、カシミアは渾身の力を込めて突っ込む。
「だーかーらー! その山のどの辺りか、と聞いているんだよ!」
「うーん…………」
デニムはゆっくりと辺りを見回してみた。
どの辺りか、と聞かれても答えようがない。何しろ周囲には全然道らしいものが見当たらないのだ。
「見当もつかないな。結局、俺たちは道に迷った、ってことになるのか?」
「ってことも何もそのまんまだよ」
「そうか、それは大変だ」
あっけらかんと言い放つ顔にやっぱり緊迫感は無い。
カシミアはつくづくこの男と話をするのが嫌になった。
と、同時に胃の痛みが悪化する。彼は思わず胃の辺りを抑えると、うめき声をあげた。
「アウゥ……」
ことのついでに頭痛まで併発しそうだ。
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
デニムが眉を顰め心配そうに覗き込む。
(一体誰のせいだと思ってるんだ!)
カシミアは無言のままこのおっぺけペーな連れ合いを睨みつけた。
その視線をデニムは困ったような笑顔をしながら受け止めた。
たっぷり見つめ合うこと数秒……
グゥゥゥ
沈黙を破ったのは、デニムの腹の虫だった。
「腹が減ったな」
デニムは呟くように言うと、上を見上げる。木漏れ日は、ほとんど真上から差している。
「もう昼だな……」
もう一度呟いて、ポンと手を叩く。
「よし、飯にしようぜ」
「君の頑丈さが羨ましいよ」
もう、呆れる気力すら出ない。カシミアは諦めたようにゆっくりと首を振った。
「お食事するなら、一人でどうぞ。僕はもう少しこの辺りを調べるよ」
言い捨てて、再び木の根元にしゃがみこむ。
その傍らに、いきなり布が落ちてきた。
何事かと顔を上げると、デニムがニコニコと立っていた。
「調べものついでに頼まれてくれないか?」
「……なんだよ」
「きのこを集めといてくれ。食えるかどうかは判るだろ」
「…………」
そんなことぐらい造作も無い。神学校ではそれは必修科目だった。
別にきのこを見分けるのが僧侶の知識として必要な訳ではない。薬草を見分け、毒草の性質を見極める、その中にきのこが含まれているのだ。
確かに、そこら辺を探せばきのこぐらいは採れるだろう。現にさっきからたくさん見かけている。
しかし彼は、今忙しいのだ。この森を脱出するために苦労して情報を集めていると言うのに……
(一体、誰のためにやってると思ってるんだ!)
しかしそう言ったところで無駄なことは明らかだ。結局出た言葉は、
「君はどうするんだ?」
と言う、芸の無いセリフだった。
その代わり、滴るような剣呑な響きを含ませていたが……
しかしそれを一切感知した様子もなくデニムはナップザックを肩に担ぎなおすと、小さく「ん?」と声を上げた。
「どうやら近くに沢もあるようだし、ちょっと魚でも釣ってくるよ」
「沢? 何処にあるのか判るのか?」
「ああ、多分な。音も聞こえてるし、獣道もあるから」
「獣道って……」
指差された方を見れば、なるほどそれらしきものがある。ともすれば見落としてしまいそうなそれは、せせらぎが聞こえてくる方向へと続いているようだ。
「よくこんなもの見つけ出せるな」
半ば呆れたようにカシミアは呟いた。
デニムはそんな呟きなど気にも止めずににっこりと笑うと、
「じゃあ頼んだからな」
と、さっさと森の奥に消えてしまった。
カシミアはその後姿をただ黙って見送るしか無い。
「まったく……人の返事も聞かないで……」
やがて諦めたように、ぶつぶつと文句を言いながらも付近に生えていたきのこを採取し始めた。
結局、デニムのペースに乗せられている自分に憤りを感じながら……
なるべくこまめな更新を心がけたいと思います。
よろしくお願いいたします。