8、魔王の章 俺の筋力とハンターの体幹
目と目が合うのは古代から恋愛漫画のおはなしか、ケンカ系オラオラ物語と相場が決まっている。あぁ催眠系なんてのもあるか?
残念なことに俺は催眠なんて使えない。オラオラするにもスタ〇ドなんて持ってない極一般的な猫なのだ。
「意思疎通できる猫が何を言っとるんじゃ、ホラ美味しい納豆があるぞ。ほれ、こっちゃこ〜い?」
ハンターはあからさまな猫撫で声で俺を呼んでいるが、全く見た目に似合わない声である。この人こんな声出るのか?
これが本当の猫撫で声か。俺を捕まえようとしてるのが丸わかりなんだよなぁ…
というか、納豆なんかわざわざ貰わずともそこら辺が既に納豆の群生地だろ、さっき俺が散らかしたんだから。
既に逃がしてもらえないかハンターに人生、いや猫生初の上目遣いをしてみたがどうやらそれは不発な様である。結果恥ずかしさで俺のメンタルがやられただけとなった。目と目が合って恋愛始まるとか嘘だろ?いや、恋愛が始まったらそれはそれでこまるけどな!
おっさんと猫とか恋愛というよりもハートフルエッセイみたいなあたたかな空気が今の俺には必要だと思う。
だってさ、デッドorライフな空気は中々精神にくるだろ?緩和できるなら是非緩和させて頂きたい。
しかし、猫特有の可愛らしかろう庇護を掻き立てる魅力、なんて物はきっとこの世界では存在しないんだな!なんてったって猫は食い物なんだろうしね、怖いな!
あぁ…モフモフに包まれる系の異世界転生ラノベだったらどんなに俺は優遇されただろうか?しかし無常にも今、俺を助けてくれそうな助けは見当たらないのだった。
すぐにでも脱出したいところだが、ハンターは起きてるし、俺は犬の上にライドしてるし、アニキがカノジョを救出し終えているかもわからない。
まだ救助は完了していないだろうと思うものの、これで置いていかれてたらもう助けは見込めない気がする。
もうこうなれば、自力でどうにかするしかないだろう。
俺は犬の上でない頭を絞りに絞った。
犬の上でできることなんかブレーメンの音楽隊ぐらいなんじゃないの?いや、まて… 犬、コイツを使うことはできないだろうか?
俺はそこで、ひたすら納豆を食い続ける犬を見つめた。
馬の鼻先ににんじんぶら下げるみたいな感じで、こいつの目の前に納豆をぶら下げてうまい具合に動かすことはできないか?いや、それは流石に無理か?道具もないしな、それなら…
俺は咄嗟に床から納豆を何束かガサッと拾い、そのうちの1束を犬の目の前で振った。
…よし、見てるな? よしよし。
そして犬の視線を確認した後、俺は決死の思いで後方の部屋のドアの外、俺が家に侵入した窓がある部屋の方へそれを投げたのである。
オラッ!取ってこーい!!!!
全く土壇場でよく思いついた。狙いは簡単である。
納豆を犬に追いかけてもらい、俺は犬ごと逃走してしまおうという魂胆なのだ。
部屋窓近くまでくれば、あとは犬を乗り捨て華麗に脱走すれば良い。 俺、実は天才やもしれん。
しかしだ。現実はそう甘くはなかった。
もう逃げ切る気は満々だったのだが、渾身の力を込めて投げた納豆の束は放物線を描き、納豆を部屋に撒き散らしながら部屋の隅に落ちてしまったのである。
部屋の隅に落ちたのだ。つまり、飛距離が足りなかったのである。
だって俺、猫だからな!単純に腕力とか投擲の力が足りなかったのである。 盲点だった。筋力も猫並とか、そりゃそうなんだろうけどさ!
結局 納豆の束は、当初の狙いよりもだいぶ手前、ベッドルームの隅に置き去りにしていたチリトリの上にポトリと落下した。
俺はというと、せめてそのチリトリまで犬が走って納豆束を追いかけてくれるかと期待したもののそんな事は皆無なのだった。残念ながら犬は投げた際に追加でそこから床に落ちた納豆の方へ目がいってしまったみたいだ。
そして床に鼻をつけフガフガとその散らばった豆を食べ始める。もうこのモサモサ犬、納豆回収機以外の用途は無いんじゃないのか?
悲しきかな、あれだけ自信満々だった作戦は全くうまくいかなかった。
結果だけ見れば、俺はただいきなり納豆を投げる、という奇行をしただけなところが悲しさを増幅させる。
そんな俺の耳には、クチャクチャとモサモサ犬が床を舐める音が虚しく響いていた。
…もうコイツずっと納豆食ってるし犬から降りて逃げ出してやろうか?
しかし、今思えば、俺は最初から隙だらけだったんだろう。
改めて 逃げよう、そう思った時にはハンターはすでに動き出していた。
「おや、逃げてしまうのかい?」
そう言ったハンターの声が聞こえた時にはすでに俺はハントされていたのである。
正に鮮やかな腕前だった。驚く間も無く俺が犬に気を取られていた一瞬の出来事だったのだ。
俺がもう唖然、頭マッシロケッケ状態におちいる位の自然でそれでいて素早い動作。流石ハンターやってるだけあると納得する動きだった。
俺は犬から素早く降りたかったのだが、思い叶わず、いともかんたんに首根っこの後ろのところを掴まれてしまったようである。うぉ、ここ掴まれると力が出ない!
逃げる間もない早技に、既に頭の中にドナドナが流れ始めた。
やべえ感が一周回り、俺はなんだかお気楽な心持ちである。
試験当日、なんも勉強してないけどいけるっしょ、みたいなあのテンションだ。つまりヤケクソなのだろうか。
立ち上がったハンターにブラブラと揺らされる俺。
「プッククッ 作戦は残念だったなぁ、まぁそれも全部俺に丸聞こえだ、そりゃ失敗もするだろうよ。しっかし夜中に人様の家でひと暴れして家主を叩き起こし、納豆で部屋を汚した責任取ってもらわにゃならんな」
そっか、思考は筒抜けだったな!そりゃ作戦もクソも無いわな!
というか、ハンターに言われて改めて考えると 俺は結構酷いことしてるんじゃないのか? 地味に反省だぞこれは!
まず不法侵入に始まり、部屋は汚す、食べ物は床に落とす、寝てる人は叩き起こす、あとめっちゃ寝具とかに納豆の匂いつくのも最悪だな!
他は救出作戦の一環としても、食べ物でこんな事をしたのだけはいただけない。
空腹という名の俺の諸事情が原因で、おまけにダメにした俺は一口も食べていないというモッタイナイお化けが出てきそうな状態である。大変申し訳ない。ええ!納豆は本当にすみませんでした!
食べ物で遊んではいけません。遊んだわけじゃないけどさ!ええ、ええ、もうしませんとも!しないって言ってんじゃん!俺も罪悪感で心がちょっと痛んだんだからな!
しっかし、ここまで納豆を犠牲にし、更に俺は心も体はったんだ。せめてアニキは救出成功してるといいなぁ…
いや、無理。やっぱ訂正!アニキの救出成功してなくてもいいから俺助けてくれないかなぁ!!
まあ人間はそんなもんである。今回は何故か勢いに任せて参加してしまったが、こちとら元々アニキのように仲間を救出するような精神構造ではないのだ。
「…救出?それが目的かい?」
そうだぞ、アンタが誘拐した猫を俺は助けに来たんだよ。捕まっちまったがな。
「捕獲…?あぁ、あの猫のことか!」
なにやらハンターは1人うなずき、俺が逃げたい方とは別の方の扉へ顔を向けた。ワァ〜、俺もそろそろドナドナァ〜
そしてハンターが俺をケージか何かに入れる為、歩き始めた正にその時である。
ズルリ
なんとこのハンター、片足を見事に滑らせたのだ。
実はこの床、先程納豆を撒き散らしたせいで凄くネトネトヌルヌルしていて最悪である。これはたしかに滑るわという状態の床であった。
臭いし滑ってて最低な床だな!やったの俺だけどな!
もちろん俺はこのチャンスを逃すまいと暴れ、なんとかむんずと掴まれた手から脱出する。フゥゥゥゥ!
しかし背に腹は変えられず、俺はそのネッチョリした床に足をついた。ふぅぅぅぅ!
俺のテンションは上がったあとひたすら下落。クソだな!…まあ逃げられただけラッキーか?
しかしガッツリ俺を掴んだハンターから何故俺が逃げられたかというと、一言で言えばラッキーが重なったからであった。
足を滑らせただけならすぐにハンターは立ち上がっただろうし、俺を離さなかっただろう。しかし、ここで再び偶然が重なり俺は逃げることができたのだ。
彼が先程 ズルリ 、と よろめいた先は、なんと俺がチリトリを置いた場所だったのである。
バランスを崩したハンターは片足を、チリトリの平たい部分に乗せてしまったのだ。
だがそこは納豆 オン チリトリなブースである。さっき投げるの失敗した奴がチリトリの上に鎮座していたのだ。
結果ハンターは再び納豆でよろめき片足立ちになってしまった。 …あんなに納豆を踏んであの足は俺と同様臭かろう。
更にだ。床のヌルヌルのおかげで、バランスを取るために強く踏み締めたチリトリは、力が斜めにかかったのか、なんとそのまま床を滑り出したのである。
ハンターに足の筋力や体幹がなければそこでひっくり返って終わっていただろうが、彼は残念なことに咄嗟にバランスが取れるほどには体を鍛えていた様だ。
結果、ハンターは見事なポージングで部屋を滑走したのだった。
どんなポーズかって?ゴル〇松本の命ってポーズとるネタあるだろ?咄嗟にバランスをとったときのポーズがアレだったのか、彼はその体制のままチリトリで床を滑る滑る。
小学生の時俺これ見てたら真似しちゃいそうだ。その素晴らしい立ちポーズに俺は感心した。俺があっけに取られている間に、
「うぅぅぅおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
ハンターは叫びながら、そしてあのポーズをキープしながら戸棚に突っ込んでいった。
ガッシャーン!という音と共に戸棚に激突。
先程俺がひっくり返したのは主に戸棚の納豆のスペースだったのだが、ハンターは完全に戸棚自体を薙ぎ倒した。
そのあと棚に載っていた丸いオブジェがぐらりと傾き、ゴチーンと頭に当たったみたいである。いっったそうな音したよな今?
…ハンター、 …生きてるだろうか?