【1-4】前線都市ファルエル グレイ家 居間 / マリアベル・グレイ
人は魔法を使えるが、魔力を持たない。
この世にあまねく存在するという魔力の源『魔素』を取り込み、魔法として出力可能な『魔力』に変換することができるのは魔物だけだ。
この魔力生成はもともとドラゴンの能力であり、影響を受けた魔物たちに徐々に広まったのだといわれている。
人は魔物を倒して、その肉体などを触媒として使い、魔力を引き出すことで魔法を行使するもの。それが常識なのだが、マリアベルは違うという。そして彼女の師匠であり、ラウルの知人だというエレナも違ったそうだ。
言われてみればシャラはマリアベルから、他の人間とは異なる奇妙な気配を感じていた。
むしろそれはドラゴンたちの気配に近い。彼女の持つ魔力がシャラにそう思わせたのだろう。
「要は特異体質ね。
『魔力持ち』の魔法は『魔力持ち』にしか分からない。だから師匠は自分と同じ、稀少な『魔力持ち』を探してきて、育てて後継者にしたってわけよ。
それがこの私」
マリアベルの家は街の中でも、かなり東寄りに……『黒の群れ』の本拠地の方角にあった。外から見ると、趣味の良い二階建てのカントリーハウスと言った風情の建物だ。
いかにも魔女の隠れ家という雰囲気をした、よく分からない干物がたくさん吊されて大釜が火に掛けられたリビングで、シャラはお茶を出されていた。
軽く匂いを嗅いでみたけれど、ホッとするような香りのハーブティーだった。まあ、仮に変な成分が入っていたとしてもドラゴン胃袋で消化してしまうだろうけれど。
窓からは暮れかけた西日が差し込んで、机の上にコップの影を深く刻んでいた。
「エレナさんが死んだのは最近なんですか」
「三ヶ月前ね。長いこと体調悪くて、あんまり人前に出なくなってたんだけど……急に体調崩してポックリ。
でも確か87歳だったから、大往生って言っても良いわ」
だとするとラウルが知らなかったのも無理はない。訃報を知らせる手紙がドラゴンの巣に届くわけでもないのだから。
前線都市にスパイでも紛れ込ませていたら話は別だったろうが、『黒の群れ』はそういうことをしていなかった。少なくともシャラが知る限りでは。
「あなたが何者か、それとあなたの事情は分かったわ」
伝令兵に届けられたらしい手紙を広げ、読み直しつつマリアベルは言う。
シャラが持ってきた、ラウルからの手紙だ。
どうやらそこには、シャラの追放に至るまでの諸々が全て記してあるらしかった。
そして、世話をするようにと。
だがそれはあくまでマリアベルの亡き師匠に向けられた頼みだ。
シャラがドラゴンである事はひとまず秘密にしてくれているようだが……『面倒を見ろ』だなんていう厄ネタをマリアベルがどう思うか。そして、背負わせて良いのか。
竜族と人族は不倶戴天の敵、ましてここは対竜戦線の最前線。そこでドラゴンを匿うことがどういう面倒を招くのか想像くらいは付く。
預かってくれというのが根本的に厚かましいお願いなのだ。ラウルの伝手でエレナの厄介になるのも無茶な気がするのに、直接関係ないはずの弟子であるマリアベルに……
「そんな不安な顔しないで。
師匠を頼ってきたのなら、弟子の私が無碍にするわけにはいかないわ」
「いいん、ですか……?」
慣れた手つきで自分のお茶も用意しつつ、あっけらかんと彼女は言った。
「気にしなくていいのよ。私だって、ラウルのことは知らないわけじゃないし……事情を聞いたら放っておけないわ。
と言うか是非とも居てほしいの。代わりに……そう、たまに髪とか切らせてくれたり、抜けた鱗とかくれるだけでいいから!」
「……えっ?」
手を合わせて頼み込むマリアベル。
ドラゴンの肉体の一部。それ即ち、最も強力な魔力が籠もった最上級の魔術触媒。
劣種竜ならともかく、本物のドラゴンの身体など鱗一枚ですら貴重品だ。金貨とは限らないが、少なくとも同じ枚数の銀貨くらいの価値はある。
「なるほど、もしかしてそれでエレナさんは兄ちゃ……ラウルと密かに交流を?」
「私は『魔力持ち』だから、普通の術師みたいに日常の訓練や研究で触媒を使う必要はほとんど無いんだけど……
質の良い触媒を使わないとできないこともあるからね。それでラウルから鱗なんかを融通してもらってたのよ……師匠は。
代わりにラウルというドラゴンは、『人が魔力を持つとはどういうことなのか』って、師匠そのものを調べていたみたい。
ラウルは人を見下していたけれど、滅ぼそうとは思っていなかった……それよりも人を使ってガイレイを倒すことを考えていたのよ」
「それが『相互利益』……」
ラウルはガイレイを嫌っていた。
と言ってもそれは、シャラを相手に時々愚痴を言う程度のもので、表だって反抗したり、ましてや戦いを挑もうなんて素振りを見せたことは無かった。
古代龍は正真正銘の化け物だ。普通のドラゴンとは格が違う。シャラとしては、もしガイレイ一匹に下剋上するとしても群れの半分くらいが束になるくらいでないと無理だろうと思っていた。
だからこそラウルは慎重な態度だったのだろうけれど、しかしその裏でとんでもない野望を抱いていたわけだ。
ドラゴンでも敵わない相手に人が勝てるのだろうかという疑問はあるが、今だってこの街は、強大なドラゴン共を相手にどうにか侵攻を食い止め人類の生存圏を死守しているのだから、もしも人の中に……それもラウルに協力的な者を『魔力持ち』にできたりしたら戦況が大きく傾くこともありうる。
その代価が、人族世界では貴重なドラゴン触媒。
ラウルが自分の研究の代価として鱗を渡したように、シャラの鱗もまた宿代くらいにはなるのだろうか。本物のドラゴンの姿は短時間しか保たないけれど、人竜形態になれば鱗の供給くらいはできる。
「私もラウルとは協力関係を築ければって思ってるの。彼の行動は人族にも有益だと思うし、私としても貴重な触媒は喉から手が出るほど欲しいから。
それと、あなたからも。私、人族とこの街を守るためには手段を選ばないつもりだから」
「じゃあ、そんなものでよければ……
何しろ出来損ないドラゴンなので、品質はお気に召すか分かりませぬが」
「いいのよ。
……あくまで利益の話から入ったけれど、それはそれとして、私自身としてもあなたを助けたいの」
「本当に、ありがとうございます」
テーブル越しに、自然と二人は握手をする。
「契約成立ね」
マリアベルは穏やかに微笑む。
なんだかシャラは、手に電流が走っているかのようにこそばゆく感じた。
そう言えばこちらの世界に来てから誰かと手を握り合ったことなんて初めてだった気がする。
マリアベルの手はとても温かかった。
「それじゃ、あなたがこの街で暮らせるように色々と考えなくちゃね。
……まず、まともな服を着なさい」
「え……?」
マリアベルの目が胡乱げに細められた。
「その適当な格好! ドラゴンってそうじゃないわよね本当は!?
人の姿になった時は大抵、古典的貴族趣味みたいな格好してるわよね!?」
外套を脱いだシャラが今着ているのは、巣で身近にあった布を適当に持ってきて、縛り付けて纏ったもの。
せめて貫頭衣っぽくなるように工夫はした。イメージは『古代ローマの服』。ただし正確に知っているわけでも前世で実物を見たことがあるわけでもないので、完全に適当だ。今ここで着付けにうるさい古代ローマ人に出会ったら助走付きで殴られるかも知れない。
「えっと、俺のこれは……今まで着てた服が全部使えなくなっちゃったんで、適当に近くにあった布を服の代わりに」
「信じらんなーいっ!!
いい!? 宝石は磨かれるべきだし、美形は相応に身繕う義務があるのよ!?」
「そんな決まり初めて聞いたんですが」
マリアベルは頭を抱えて絶望的に取り乱していた。
シャラはよく分からない言葉を聞いた気がする。
宝石? 美形?
「とにかく、あなたに合う服を急いで買ってくるから!」
「そろそろお店閉まる時間じゃないんですか?」
「うるさい! あなたを一晩その格好で過ごさせるとか、この世界そのものに対する冒涜よ!
すぐに服買ってくるから大人しくしてて。誰か来ても居留守で良いから!」
嵐のようにマリアベルは飛び出していき、呆然とするシャラは魔女のリビングに取り残されていた。