【1-1】グィルズベイル山 竜王殿 / 追放
そこは異様なまでに大きな洞穴だった。
ごつごつとした岩が壁を形成し、気が遠くなるような高さにまで続いている。どこか高いところから仄かに光が差し、染み出た水が時折滴り落ちていた。
広大なドーム状の空間は、しかし、そこに座す者たちにとっては少々手狭だった。
小山のような体躯。
うねるような暴力的で艶めかしい造形。
てらてらと輝く漆黒の鱗、鋭い爪と牙、天をも裂く皮膜の翼。
全ての魔物の王……ドラゴン。
たとえ一匹でも災害の如き暴威をもたらすと人々に恐れられる存在。
それが、ざっと三十ほど。ひしめき合うように座り込んでいた。
居並ぶドラゴンの群れを見れば、どんな勇者であっても震え上がるだろう。
そんな中で、広間の大奥に座す者は、一際大きく威厳に満ちていた。
闇夜の新月のように深く昏い目。鋭く威圧的に研ぎ澄まされた巨躯。黒曜石のように輝く鱗を持ち、角や牙などは鎧どころか城門の鉄扉すら紙のように突き破るだろう。
そのドラゴンの名はガイレイ。
……人族世界に仇為す七大竜王の一角、第六竜王グエルガ・ズア・ガイレイ。
居並ぶドラゴンたちの長。この『黒の群れ』を統べる者だ。
ドラゴンが交配の術を手に入れたのは、ここ四、五百年のことだ。
ほとんどのドラゴンは、その後に生まれた若い個体である。
しかしガイレイは齢千年を数える。
天地より生まれ出たとされる、ドラゴンたちの始祖の一頭……『古代龍』だった。
岩の玉座に気怠げに座るガイレイの目線の先、ドラゴンたちに囲まれて広間の中央に居るのは……ちっぽけな人間だった。少なくとも人間の姿をしているものだった。
「我が一族の面汚し、卑小なるトカゲ、グエルガ・ズア・シャラよ」
『トカゲ』。
ドラゴンにとって最大の侮辱となるその言葉を、族長・ガイレイは吐き捨てるように口にした。
陰湿な笑い声がいくつも立ち上り、大空洞に響き合った。
跪く青年・シャラは、じっとその声を聞いていた。
これまでの人生であまりにも聞き慣れた冷笑・嘲笑を。
シャラもまた、周囲の巨影たちと同じくドラゴンだ。
しかし、あまりにも弱い……群れの歴史の中で初めてだと言われるほどの『トカゲ』だった。
「貴様は何故、そのように小さく、か弱いのか?
何故、愚かな人間どもと同じ姿でしか生きられぬのか?」
ガイレイは、ねぶり回すように問いかける。
ドラゴンは、人に化ける能力を持つ。
ほぼ全てのドラゴンは人を見下しきっているが、しかし、人の身体はなんだかんだ言って便利だ。ドラゴン本来の強大な身体は、存在しているだけで消耗を免れない。それに、こんなデカいのがひしめき合っていては普段の生活にも面倒が多い。そのためしばしば人の姿を取るのだった。
その場合も、人そのものの姿に化けるのはドラゴンの誇りが許さないらしく、敢えて鱗や翼、角を残した半人半竜の形態になるのだが。
ただしシャラの場合は事情が異なる。
シャラは身に秘める魔力が足りなすぎて、ドラゴンの形態になることがそもそも不可能だった。
ドラゴンの姿を保持できるのは、せいぜい五秒。それで魔力を使い切って強制的に人に化けさせられてしまう。
似たような出来損ないのドラゴンは過去にも存在したそうだが、それでも過去の例は数分間ドラゴンで居られたとか。シャラは前代未聞の出来損ないだった。
「弱き血は、我がグエルガ氏族に不要ぞ。
よって、このグエルガ・ドゥム・ガイレイはグエルガ氏族の長として、貴様を氏族より追放する。
判決のように言い渡された追放令を聞いて、いよいよこの時が来たかとシャラは思う。
どこか、清々とした気分になっている自分に気が付いた。群れを追い出されればもう、無力を責められることも無くなるのだから。
……それが、事実上、人生の終わりだとしても。
「殺しはせぬ。これは同族への慈悲であると思え。
……野に生きるも良い。人里に逃れ、人に交じるも良い」
ガイレイの言葉は欺瞞だった。慈悲などではないことをシャラは知っている。
群れを追い出されて野に生きるはぐれドラゴンは、人の獲物にされるものだ。
では人に化ければ人に交じって生きられるのかと言えば……それも厳しい。人に化けられると言っても、ドラゴンであるとバレれば、ほぼ殺される。
人族と竜族が世界の覇権を賭けて争い始め、千年以上が経つという。人々に刻まれた、ドラゴンへの恐怖と憎しみは根深い。
周囲のドラゴンたちは失笑していた。
生きろと言うが、実質的には『苦しんでから死ね』と言っているようなものだった。
しかも、ドラゴンとしてあるまじき弱さであるがため、シャラは人に殺されて死ぬ公算が高い。それは『トカゲ』に相応しい末路だった。
「だが貴様を追い出す前に、儂は貴様に罰を下さねばならぬ。
貴様の母であるグエルガ・モノス・デムルは、有望な仔を三頭も産んだ良き母体であったが、貴様のような出来損ないを産んだことで失意のあまり自ら死を選んだ。
彼女の無念に報いねばなるまい」
――死なせたのは、お前らだろうが。
シャラは歯を食いしばり、心の中で毒づいた。
シャラにとって、母自体はもはやどうでもいい。
ほんの幼い頃は人並みに愛情を注いでくれた記憶があるが、シャラが無能だと分かると彼女の態度は急変した。蔑まれ、暴力的に虐待された。母が自死したと聞いた時はほっとしたものだ。
しかし母を死に追いやったのは、母を蹴落とそうとする群れの中の政治的駆け引きだったり、子が無能である事を理由に親を責める文化であったり、とにかく原因は群れの側にあったとシャラは思っていた。
シャラが産まれたことなど所詮きっかけに過ぎない。
今更、体よくシャラを責める材料にするのは我慢がならなかった。
「そして我々は貴様を産み育てるために無駄な資源と時間を費やしてきた。だというのに貴様は何時までもそのように卑小なままだ。
この大いなる無駄に、儂はけじめを付けねばならぬ」
「オレだって……」
「ぬん?」
じっと押し黙っていたシャラの口から声が漏れて、ガイレイは僅かに首をかしげた。
「オレだって、こんな風に生まれたかったわけじゃない……」
ずっと心の底から思っていたことを、シャラは振り絞るように声に出した。
強くなって人族を滅ぼす戦いで活躍しようなんて考えた事も無い。
ただ、こんな風にみじめな思いをしたくはなかった。
不要なものだ、出来損ないだと群れ中からなじられてきた。
努力などでは決して埋まらない差。余りにも乏しい才能。それは生まれついてのものだ。何故それを責められなければならないのか。
そんなシャラの言葉は、しかし、失笑を買っただけだった。
「無力を悔いるだけの殊勝さがあるのなら、甘んじてその罰を受けるが良い」
重々しく言い放つと、ガイレイは問答無用で掌をシャラに向けた。
「ぬぅん!」
「っ……!? あ、あぁあああっ!!」
闇色の雷が迸り、シャラを直撃して全身を包み込んだ。
魂を直接焼かれているような苦痛がシャラを苛んだ。シャラは絶叫することしかできなかった。
兄から尻尾ビンタを食らって全身骨折した時も、母にブレスを浴びせられて死にかけた時もこんなに痛くはなかった。
掛け値無しに『死んだ方がマシだ』と思えるほどの苦痛の時間は……唐突に、終わった。
その時、シャラはただでさえ大きかったドラゴンたちが更に大きくなったような気がした。
痛みの残滓が身体を疼かせているが、傷を負った様子は無い。
「あ、あれ? 何が起こっ……」
異様に甲高い声がシャラの口から聞こえた。
「ふむ……己の姿を見せてやるといい、ウレス」
「はっ」
ドラゴンの一頭、ウレスが軽く手を振る。
シャラの目の前で何も無いところから水が湧いた。ウレスの使った魔法だ。
水は空中で板状に形を為し、普通の水ではあり得ないほどの反射力を発揮して姿見の鏡となった。
そこに映し出されたものは……
「嘘だろ……!?」
だぶついた服に埋もれるようにしてへたり込む、美しい少女だった。
人間を基準とするなら、その姿は11,2歳ほど。
星を撒いた夜空のように艶やかな長い黒髪が全身を包んでいる。
その黒さと対比されて肌の白さが際立っていた。手足は、いや身体全体が細く柔らかく瑞々しい。
顔立ちからは気が強くてませているような印象を受ける。純粋無垢さと、大人すら翻弄する我の強さをないまぜに滲ませたかのようだ。頬はほころびかけた梅のつぼみの色だった。
彼女は吸い込まれてしまいそうな程に黒い目を驚愕に見開いて、水鏡の中からシャラを見ていた。
シャラは男だった。いや、ドラゴンなので雄と言うべきだろうか。
そしてドラゴンとしてはまだ未成年だが、人間体は相応に成長して青年の姿となっていた。
それが今は、少女の姿だ。
「その姿にて生きるが良い。
……一つ忠告をくれてやるが、人は愚かだ。弱く幼き雌など食い物にされるのが落ちだろう。もし人の中で生きようと考えているのなら、努々気をつけることだ」
陰湿な笑い声が巻き起こる。
シャラはガイレイの底意地の悪さを心底から思い知った。
※古代『龍』なのに『竜王』なのは、『竜たちの王』だからです。
某ゲームの設定っぽく龍>竜みたいなイメージですが、あくまでテキスト上の使い分けで、作中世界にそういう分類があるわけではありません。
まずは第1話読了ありがとうございます。
既に第一部(43話)執筆完了してますのでそこまでは毎日更新します。
誤字報告は確認する余裕が無いのに投げてもらうのも申し訳ないので止めてます。
どうしてもという感じのやばい所は感想の方からご報告ください。