桜のお茶会
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とある日曜の昼下がり。
日本屈指の大企業である桜製薬の社長に悲劇が襲う。
「裏切り者が……一人、いる」
三人の愛娘に囲まれた中で一言だけ呟き、社長は静かに意識を手放した。
現場に四客のティーカップと、時を刻むことを放棄してしまった三つの腕時計を残して……。
***
警察の調べによると、社長が倒れる直前に飲んでいたとされる紅茶から毒物が確認されたという。ちなみに紅茶を淹れたのは社長の長女である藍。紅茶を運んだのは次女である百合。そして、無類の甘党である社長のために角砂糖を渡したのは三女の菫だった。
「どうして、予め甘い紅茶を用意されなかったのですか?」
警察が疑念を抱くのも無理はない。紅茶の用意をしたのは、無類の甘党であると知り尽くしている間柄である他ならぬ娘なのだから。
「実は紅茶に甘みを加えようとした矢先、インターホンが鳴りまして……」
つまり、流れはこうだ。
まず、藍が紅茶を淹れ終えたところで玄関のインターホンが鳴る。そして、回覧板であることを確認した藍が玄関先に置いて欲しい旨をインターホン越しに頼んでいる際、少しばかり目を離してしまう。更に、奇しくもタイミング悪く通りかかった百合が紅茶の準備が完了したと早合点して、社長の元へ手早く運んで行ってしまったという。
「ティーカップは四客全てに注がれていましたし、お姉様がお忙しそうでしたので運ぼうとしたのですが……。却って、妹にまで手を煩わせる結果になってしまいまして」
その後、インターホンの前で慌てふためいている藍の姿を目撃した菫が事態を察し、角砂糖を手渡した。……というのが、おおまかな流れ。
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「ところでティーカップは家族で兼用されておられましたか? それとも誰が使用するか予め決めておられていましたか?」
警部からの問い掛けに三姉妹が返答をする。
「原則、各々決まったティーカップを使用していました」
「異なるフレーバーを楽しむために交換することはございましたが、お父様が名入れして下さった特注品、無下に扱うことなどしたいとさえ思えませんでした」
「……」
藍の言葉を受けて答えた百合の返答が警部はどうにもしっくりこない。しばし考え込み、ようやく名入れの存在自体思い出せないことに気付きた警部は、おもむろに鑑識へ向けて質問を投げかける。
「……名入れ、していたか?」
慌てて確認する鑑識より早く、菫が回答する。
「あ、そうですね。パッと見は分かりづらいかもしれませんが……。それぞれ【INDIGO】【LILY】【VIOLET】と」
「ああ、成る程。【INDIGO】は【藍】、【LILY】は【百合】、【VIOLET】は【菫】か。……ん、じゃあ。社長に記載の【PEACH】はいったい?」
警部が疑問に思うのも仕方がない。社長の名は碧だからだ。
「【PEACH】は私たちの生みの母である【桃】を指してます。父は死に別れた後もずっと母を愛し続け、そして家族を本当に大切にしていましたから」
「成る程な」
つまりは父親のティーカップに狙いを定め、毒を盛ることは愛娘三人なら誰でも可能な状況だったというわけだ。
***
「ところでテーブルの上に置かれた三つの腕時計は全て同じ種類にも関わらず、全て異なる時間で止まっている。何の意味があるか、知っているか?」
お揃いの時計にも関わらず、窓辺から順に六時、十時十分、三時を指した状態で時計の針が止まっている。時計の針が止まっていること事態は、ソーラー式ではない腕時計なら起こりうる現象であり、何一つ不審な点はない。だが、敢えて時計をお揃いにしているにも関わらず、敢えて時刻をズラして用意していることに警部は激しい違和感を覚えたのだ。
「同じ種類であることは想像に難くありませんが、止まっている時刻までは分かりかねます」
「どういう意味ですか? 藍さん?」
「その三つの腕時計は代々、我が社の後継者と認められた者にのみ贈られる特注品です。様々なオーダーが施されていますが、最たる特徴は裏蓋に刻銘された社名と年号で、それが正式に後継者に認められた紋章と内外に認識され続けています」
「つまり、姉妹三人に社長は託そうとした、と」
等しく会社を託す決意を固めていたのならば、三つの腕時計が全て同じ外観(見た目)であることは藍の供述通りの意図でほぼ間違いないだろう。では、止まっている時間が意図する内容とはいったい……。まだ解せない点も多いとはいえ、調べ続けるしかないだろう。気を引き締め、腕時計を手にしてようやく気付けたことがある。
「なぁ。ボロボロな腕時計が一本あること、気付いていたか?」
「「「え?」」」
三人の動揺する様子を見るに、どうやら誰一人気付いていなかったようだ。
「ひっくり返せば分かるんだが、一本だけ裏蓋がズタボロに傷付けられてる」
三時で止まっている腕時計のみ裏蓋がズタボロに傷付けられている。社名さえ理解出来ないほどに……。警部が裏蓋を見せた瞬間、三姉妹が辛そうなの表情を浮かべていたのは内外に認識される紋章としての価値も十分に理解しているからだろう。
「誰か、社長と確執はあったのか?」
「いえ、特には……。ですが」
「……菫!?」
言いかけた菫の口を封じるかのように、叱責する百合に向け、藍が毅然と諭していく。どうやら年功序列のままのパワーバランスがこの三姉妹には発生しているらしい。
「百合、防犯カメラを調べられれば時期に察することでしょう。あなたが我が社の風評を恐れて咄嗟に取った行動を責めるつもりはありません。ですが、ここは正直に語ることが最善の手法ですよ」
「藍お姉様……」
力強く語る藍に恐れをなした百合が口を噤む。そして、菫に変わり藍が詳しい説明を警部に述べていく。
「先ほども申しました通り、問題の腕時計は代々我が社を譲る後継者と認められた者にのみ贈られる特注品です。そして、その腕時計の受け渡しが本日でした。ですが、お父様が受け渡し前に語った言葉は誰一人予想もしていなかったものでした。『裏切り者が……一人、いる』と」
「何!? 社長がそう言ったのか!?」
「はい。そう言った瞬間、お父様は倒れてしまいました……」
「……」
つまりは被害者である社長は三人娘の一人に裏切られていることを掴んでいた。そして、裏切り者である娘もまた社長が自分の尻尾を掴んでいることを知っていたというのだ。
***
「警部、どうしましょうか?」
「ひとまずは証言の裏を取るために、防犯カメラの映像を検証するように」
「はいっ!」
「……」
形式上、部下に指示を出さねばなない立場だからこそ言い付けはしたが、警部は裏を取る必要はないと思っている。何故ならば、既に社長が仕掛けていた犯人である娘をあぶり出す方法に気付いたから……。
「ところで皆さんはどの腕時計が誰に宛てた腕時計かご理解しておられますか?」
「え? これは誰がどの腕時計を受け取っても同じではないのですか?」
「違いますよ。まぁ、実のところ社長としては『裏切り者』以外のお二人がどちらを受け取っても問題視されないとは思いますが」
「……警部さんは『裏切り者』が分かったのですか?」
「ええ、まぁ」
警部の言葉に三人の顔色が一斉に変わる。
まさか本当にいるとはという驚愕の色、まさかバレたのではないかという恐怖の色、まさかでっち上げるつもりではないかと疑っている色。三者三様の色ではあったが、一斉に顔色が変わったことだけは間違いなかった。
「表面上、腕時計は全てお揃いに見えます。それはまさしく三姉妹、等しく愛情を注がれた社長のお気持ちそのものです。ですが、いくら愛しい娘でも裏切り者に代々譲っていた会社を渡すことは憚られたのでしょう。業績が下降することがないよう身を粉にして働き続けた社長ならば尚更そう思うことでしょう。つまり、表は無傷で、正式に後継者に認められた紋章と内外に認識された裏蓋のみをズタボロにしていたことこそ、家族としてではなく会社に対する裏切り行為をしていた何よりの証。つまり、三時で時が止まった腕時計が示す贈り主こそ裏切り者であり、社長を襲った犯人とみて間違いないでしょう」
「警部さんは三本とも全て送り主をご理解されたのですか?」
「ええ、まず止まっていたのは六時、十時十分、そして三時。そして、三姉妹の名前が藍、百合、菫。これだけでは少しだけ想像しにくいですが、ティーカップを見れば、即理解できた」
そう言って、警部は六時で止まった腕時計を鑑識から受け取り、藍に渡す。
「六時で止まっていた腕時計は【INDIGO】の意味を持つ藍さん、あなたの物だ。大切な腕時計を渡して、捜査に協力してくださり、ありがとうございます」
「……確かにお受け取りいたしました」
互いに深々とお辞儀をした後、警部は再び鑑識から十時十分で止まった腕時計を受け取り、一人の女性の前に止まる。
「十時十分で止まっていた腕時計は【VIOLET】の意味を持つ菫さん、あなたの物だ。大切な腕時計を渡して、捜査に協力してくださり、ありがとうございます」
「……確かに、お受け取りいた……し、ました」
震える声で受け取る菫はもう気付いていた。
藍が受け取り、自分が受け取るとなれば、必然的に残ってしまうのは……。
「というわけで、問題の裏切り者を意味する三時の時計は【LILY】の意味を持つ百合さん、あなたの物だ」
そう言って、警部は百合の目の前に三時で止まっている腕時計を掲げ、決して渡すことはしなかった。
「何で、どうして!? 意味が分からない!! 百合が【LILY】の意味を持つからって、どうなれば三時になるって言うのよ!?」
腕時計を渡されることもなく、裏切り者であると名指しされた百合は動揺したのか、口汚い言葉で応じてくる。その姿を黙ってみていた藍が静かに語る。
「百合、本当に分からないの? 私たち、各々の名前を英語に訳した頭文字とアナログ時計が示す時間の形が一致していることを……」
「っ!!」
言葉をなくし、戦慄く百合に警部が畳み掛ける。
「詳しいことは署で語ろうじゃないか」
こうして、悲劇のお茶会は幕を閉じた。
***
「結局、桜製薬の後継者は藍さんと菫さんになったそうですね」
日本屈指の大企業である桜製薬の後継者が決まったとなれば、ニュース記事から嫌でも情報は流れてくる。
「しかし、後継者から戦線離脱したとはいえ不幸中の幸いですね。百合さん、社印を第三者に手渡す直前で父親にバレたが故に一大事にならずに済んで。父親に対する殺人未遂を犯したとはいえ、不起訴に収まったわけだし」
「仕方ないだろ。社長自ら『自分が煽って起きたことに逮捕も事件もないだろ』ってスタンスで通すんだし」
「しかし、社長とはいえ、やはり娘にはゲロ甘になるもんなんですねえ」
「うーん、ゲロ甘というわけでもないと思うけどな。だって、キチンと後継者からは外されたわけだし、受けるべき制裁は受けているだろ。既に、次女は会社の中枢に立ち入ることは禁じられているし」
「確かに。ですが、やはり甘い気が……」
「バッカだなあ、お前。事件の何を見ていたんだ? 初めっから社長は次女を家族の一員として丁重に扱っていた。パッと見た目では腕時計の傷なんて……そう会社の一悶着なんて一切わからないほどに、な。本当に三姉妹とも平等に愛情を注いでいたよ」
だが、社長が会社に対する不穏な動きに目をつぶることは一切なかった。その公私混同せぬストイックさが押しも押されもせぬ大企業を支えていたのだと改めて痛感させられる。
「あ! 警部、速報流れていますよ! 桜製薬社長、無事退院です!!」
「何とも、目出度いな」
テレビの画面越しに見る社長は少しだけ痩せてはいたが、とても朗らかな笑みを浮かべている。きっと社長はうれしかったのだろう。会社を裏切る者としての最後の一線を越える前に、百合さんが立ち止まってくれたことに。
【Fin.】