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恭介・圭吾シリーズ  作者: 芹澤柚衣
アンセルフィッシュ・ダーリンの心臓
7/73

 着替えさえ済んでしまえば、除霊の準備は殆ど終わったと言っていい。一般的にどんなやり方をするのかはわからないが、これほどお手軽な準備もないだろうと思う。恭介の行うそれは、邪道としか言いようがないくらい自己流だ。数少ない準備であるこの白装束だって、気持ちを集中させるアイテムの一つにしか過ぎない。最悪普段着だって、仕事をこなせない訳ではないのだ。

 大小によって違うけれど、神社の造りにベーシックな部分での違いはない。携帯電話のようなもので、最初から備わっているものは全国ほぼ同一と言っていい。テレビや馬鹿でかい許容量のムービー保存システム等、あると良いものがあれば大社、神宮。メール機能や電話等、携帯だと名乗るのに最低限必要な機能しか用意されていない機種であれば恭介の持ち家のような末社ということになる。

 拝殿、神殿があるのが基本で、大規模な造りになれば幣殿、神池、神橋が設置されていることもある。勿論恭介の神社には、綺麗な池も神々しい橋もない。神社を管理するのに必要な、最低規模の社務所すら設けられていなかった。拝殿の他に、拝殿と区別もつかない大きさの本殿。プラスアルファで神楽殿がある以外は、簡素な手水舎、申し訳程度の鳥居。木が何本か集合しているので森林という括りに入るのかもしれない、というレベルの鎮守の社。あまつさえ、御神体もいらっしゃらない蛻の殻だ。神社と言うより、民家よりは仰々しいだけの古い家と言い換えた方が良いのかもしれない。

 長い渡り廊下を進めば、恭介にとって仕事場所となっている神楽殿に突き当たる。迷う程分かれ道のない廊下だ。此方の勝手な決めごとで除霊は勿論のこと、その他御祓い等儀式の場所として使用しているが、本来の用途とは大分事情が違っているだろう。

 軋む廊下は、恭介が立ち止まった瞬間に鳴り止んだ。襖をゆっくりと開けば、俯いた女性が、不安に揺れる双眸で此方を振り返る。

「待たせて悪かった。件のものは持ってきたか」

 こくり、と首が縦に振られた。人間が人間相手にできる、一番簡単な肯定の合図。

 体を舐めるようにして吹く風に着物の裾をはためかせながら、恭介はゆっくりと部屋の中へ歩を進めた。

「そりゃ、どーも。車じゃねぇのに、荷物を増やして悪かったな」

 瞬間、ぴりっと張り詰める空気。それは、恐らくは自分にしか分からないであろう、僅かな変化だった。

「さて……」

 独り言のように呟いて、視線で彼女の荷物を確認した。夥しい量のそれに一瞬顔を顰め、すぐに目を逸らす。

「これから除霊を始めるが、一つだけ厳守してもらいたいことがある」

 犬神の気配が、曖昧になった。後ろ手に襖を閉めて、恭介は口元だけで笑みを作る。

「これからこの部屋で起こることに関しては、すべて――他言無用だ。いいな」

 こくり、とまたイエスの合図。依頼時の顔合わせで、口数が少ないことは重々承知していたので、それと分かる応えが貰えれば充分だった。

 右手を掲げ、小さく息を飲む。恭介を取り囲むような竜巻に身を任せながら、ただ一匹に聞こえれば良い小さな声で、マスターは呪文のようにその科白を口にした。

「犬神、始めるぞ」


 依頼の内容自体は、酷く簡単なものだった。

 夜な夜な金縛りに苦しめられ、満足に睡眠も取れないという相談案件。最初は数珠を身に付けるだけで回避出来ていたけれど、それも長くは続かなかった。日を追う毎に、僅かばかりの防壁アイテムだけでは、対処が出来ないレベルにまで問題は膨れ上がり、今となっては、夜に一睡も出来ないという。

 昼夜の逆転した生活で、スピード重視の営業事務を続けることは不可能だった。辞職後は夜勤帯のある飲食店のバイトで何とか生活費を賄っているが、こんな生活が続けば体が先に参ってしまう。あまつさえ充分な社会保障も完備されていない雇用形態では、生活水準も大きく下回ってしまうという現状。

 精神的にも肉体的にも追い詰められた彼女が、藁を掴む思いで祈祷師などと現実離れしている存在に頼ったのは、自然な結果だったのだろう。


「そのままで良いから、答えてくれ」

 抑揚のない静かな声で、恭介は話し掛けた。緩やかな風が、撫ぜるように体を包む。

「あんたが可愛がっていたペット、死んじまったのはいつのことだ」

 感情が籠ってしまわないよう、なるべく平坦な言い方で問い掛けた。肩に届く、黒い髪が揺れる。小さく背中を震わせながら、女性はか細い声で問われた事柄に該当するだけの返事を口にした。

「……半年、前です」

「酷なようだが、それだけ経ったのなら忘れてやれ」

 冷たい声でそう切り返されて、堪らず女性は顔を上げた。

「そんなこと……っ」

「想い続けることと、縋りつくことは同じじゃねぇよ。あんたはただあんたの為だけに、今愛した存在が生きて居てくれねえことを、嘆き悲しんでいるだけだ」

 睨むような彼女の視線が、一瞬揺らぐ。

 ――ああ。多分、傷つけてしまった。

「そんな重てェもんにずるずるひっぱられたペットに、すっきり気持ちよく成仏しろって方が無理な話だろ。まだあんたの近くにいるけど、それを喜ぶなよ。上にあがるべき魂が、あがるには何ら障害のなかったはずの綺麗な魂が、人間様のエゴでそう出来ずにいるって話をしているんだから」

 緩やかだった竜巻が徐々に加速度を増し、部屋の壁が悲鳴を上げた。一度依頼主に視線を投げてから、恭介は淡々とした口調を崩さずに先を続ける。

「可愛くてたまらない、いい子だったんだな」

 小さく頷いたような気がする。艶やかな黒色の髪が、気付きにくい程僅かに揺れた。

 こんな仕事柄だ。失ったものを嘆く気持ちの深さと、やりきれなさを理解していない訳ではないけれど。

「大事にすんなら、自分を保つための殻じゃなく、思い出の方にしてやれ。そのペットと過ごせて幸せだったとあんたが思うことが、何よりの供養になる」

 震える女性の瞼から、音もなく綺麗な涙が流れ落ちた。

 こういう瞬間は、あまり気分の良いものではない。一瞬、頭に走る頭痛。濁流のように流れ込んでくる、一方的なシンパシー。

 飲まれる前にと、息をついた。頭痛は少しだけ和らいだけれど、根深く浸透している。如何ともしがたい気分だ。

「……そのペットが気に入ってたっつうぬいぐるみは、それで全部か」

 鞄の脇に置かれた紙袋から溢れる、子供向けの玩具。見遣りながら恭介が、業務的な声で確認をする。依頼主が頷く前に視線を外し、宙を睨みながら最後の忠告を落とした。

「それは俺が処分するが、あんたがベッドの周りに、無駄に置いてるぬいぐるみも全部始末しろ。住人以上の数のヒトガタを、よりによって寝室の枕元に置くんじゃねぇよ。厄介事の元凶はそれだからな。根本を直さなけりゃ、同じことの繰り返しだ」

〝恭介!〟

 犬神が、呼ばれる前に姿を現した。分散されていた妖気が集結して、見慣れた物の怪が象られる。竜巻の渦中にいる恭介を呼ぶ声が、どこか忙しない様子だったのに僅かな不信感。纏っていた竜巻のエネルギー源は殆ど恭介の精神力と言ってもいいので、威力を緩めるくらいの運転は可能だった。

 出入りが出来るような速度が保たれたのを確認してから、仕事の相方が足元に転がり込む。一度衝撃で崩れた仮の見てくれは、何秒も立たないうちに元の姿に戻った。

「何だよ、犬神。こっちから呼ぶまでは騒ぐなよ」

〝なぁ、今回のって……本当に邪霊の仕業なのか?〟

「――今更何言ってんだ」

 恭介が呆れるのも無理はない。昨日散々打ち合わせして、手順も完璧に決めた筈だ。いざ依頼主と媒体を目の前にして、推測の域を出なかった仮定の結論はいよいよ真実味を帯びたくらいなのに。

 今更その根本を疑う犬神の気が知れず、忌々しい気持ちを隠さずに恭介は怒鳴った。

「いいか、今回の尤もたる元凶は、依頼人が枕元に、異様な数のぬいぐるみを並べてたことだよ! 貰ったもんも買ったもんも、ほいほいベッドに放っておいたせいで、邪霊や動物霊を付け込ませる()()()は充分用意されてたんだ。挙句、溺愛してたペットの死を嘆く負の感情につられて、余計な霊が集まってきやがったし、お陰でそのペットだって、満足に成仏出来ずに飼い主の周りをふらふらしてたんだ。そういう半端なもんがどんどん凝り固まって、でけえ厄介事に育っちまったってだけの話だろーが」 

〝そりゃあ……そうだろうよ、けどなァ〟

 尚のこと言い募る犬神に取り合わず、恭介は会話を切り上げた。

 左手を軽く振って、出て行けのジェスチャー。渋る犬神をぎろっと睨んで、追い討ちのように言い放った。 

「いいか。早く何とかしねぇと、邪霊ならすぐに元の姿へ分散し、戻ろうとする。動物霊じゃなくなってからは、始末出来なくはねぇが面倒臭え。ごちゃごちゃ言ってねェで一気に叩くぞ。いいから早く準備しろ」

〝……ちぇ、わかったよ〟

 どうやら犬神の不安に、恭介を納得させられるだけの根拠はなかったらしい。少ししょげた様子で、緩んだ竜巻の間を潜ろうとした――その瞬間。

 一瞬鼻をつく、湿った土の臭い。

 状況を冷静に判断するには、充分な材料だった。

「――犬神」

〝何だよ?〟

 彼の本能は、賛辞に値するかもしれない。決して頭の良い霊ではないけれど、ここぞと言う時に働く犬神の野性的勘は、どんな物差しよりも正確だ。

 細かい事情を、説明している時間はない。恭介は、七年来の盟約相手に端的な命を下した。

「今すぐに、俺から出来るだけ遠くに離れろ。今すぐにだ」

〝……恭介?〟

 手っ取り早く距離をあけるには、自分から離れた方が早かった。現状をよく理解していない犬神が、ぼんやりとしている一瞬の隙をついて畳を蹴る。竜巻を解除してしまえば、部屋は死肉にも似た生臭さで充ちていた。蹲るようにして倒れている依頼人が、視界を過る。既に、意識はないようだ。

 こんなの、低級霊の仕業とはとても思えない。どうして、もっと早くに気付けずにいたのだろう。

 後ろへと勢い良く飛んだ恭介が渡り廊下に背中を付く前に、無数の蛇が体を縛り上げた。一匹一匹は小さなものなのに、どんなワイヤーよりも強い力で恭介を締めつける。

 喉をやられる前に、恭介は声を張り上げた。

「のろま! 逃げろっつってんだろ犬神!!」

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